智慧の扉

2013年2月号

マーラ(悪魔)とは何か その2

アルボムッレ・スマナサーラ長老

 パーリ経典で釈尊と対決する悪魔(マーラ)は、「俗世間の価値観」を正当化する立場を代弁しています。悪魔は人生の表面だけ見て「生きること」を賞賛する。一方、ブッダは人生の表面だけでなく裏面もしっかり見なさいと仰るのです。現代的に例えれば、原発は電気を作ってくれる便利な技術です(表面)。しかし、事故にどう対処するのか、放射性廃棄物はどう安全に処分するのか、という裏面を無視したことで、日本は大変な事態に陥っているのです。

 悪魔とは、物事を一面的に捉えて、自分たちの弱みや欠点を発見できなくする心の働きです。ですから、ほんとうの悪魔は、私たち一人ひとりが持っています。ヤバイことをしたら隠したくなること。喧嘩したら「あいつが悪い、自分が正しい」と思うこと。それは相当、悪魔にやられてる証拠です。学びと人格向上は、自分の弱みを発見して、「これを何とかしよう」と思うところから始まります。しかし、人間はそれを拒否するのです。いつでも「我は正しい」と思ってしまうのです。

 仏教では、すべては変化し続ける(無常)と言いますね。無常は二種類です。①向上、②堕落です。残念ながら現状維持はないのです。私たちは自分の性格に関しては、決して「しょうがない」と言ってはいけません。「しょうがない」は魔の囁きです。魔がはっきり「あんたは成長しなくていい」と唆しているのです。誘惑しているのです。

 では、魔の克服法は?シンプルです。「つねに自分の弱みに気づく」ことです。気づいた途端、「何とかしなくては」という精進の気持ちが起こります。気づきと精進を絶やさないことが、即ち、解脱への一本道なのです。