智慧の扉

2014年2月号

すべての宗教はみな同じ「嘘」をつく

アルボムッレ・スマナサーラ長老

「すべての宗教は表面的には異なる教えを説くが、みな同じく真理を語っている。」そんな有難い格言があります。しかし、これは大間違いです。地球の形状について根拠の無い話をしたければ、四角とも三角とも不定形とも言えます。しかし、事実を語るならば「地球は丸い」という一つの答えしか成り立たないのです。
 
 しかし、この格言の「真理」を「嘘」に入れ替えれば、見事な正解になります。宗教とは何かを信じて何かの仕来りを守ることです。基本的に宗教は、「死にたくはない、永遠に生きたい」という人間の巨大な願望が叶えられるという錯覚を引き起こすために、様々な神話をつくってそれを無批判的に信仰するようにと強制する仕組みです。神様、神々、それに類する他の概念を信じることになります。信じるためには理性も証拠もいらないのです。表面的にはどんなに多様に見えても、宗教はみな根拠のない嘘・虚言の集合体です。我々が嘘をついたら信頼を失いますが、不思議なことに、宗教は嘘をつけばつくほど信頼されるのです。
 
 宗教には人間の「生存欲」を応援するという特色があります。ですから、「人生は苦である」というブッダの教えは、宗教になりません。宗教ならば、「人生は尊い」「命は神の授かりものだ」などと、力説しなくてはいけないのです。科学的には行為に結果があるという因縁論しか語れませんが、猿から進化していない私たちの原始脳は、そんな話は聴きたくないのです。理由も無く、ただ自分の命にとことん執着したいのです。そういう原始脳のリクエストがある限り、宗教の騙し稼業は安泰です。宗教とは、端的に言えば「原始脳を応援する応援歌」です。応援歌だから、いくらでも新曲を作れるのです。
 
 そんな宗教と骨がらみになっている世の中で、私たちはどう生きればよいのでしょうか? どうぞ気楽にやってください。家の宗派が浄土真宗だったらその仕来りどおりに法事をしてください。葬式がキリスト教式なら、その仕来りにビシッと合わせればいい。それで自分の株もあがります。しかしあなたがどんな人間になればいいのか? どんな生き方をすべきなのか? そういう人生の問題は、お釈迦様に聞いてください。