智慧の扉

2016年5月号

ブッダとは、真理の教えと正しい生き方

アルボムッレ・スマナサーラ長老

 仏教では、お釈迦さまというのは父親です。父親とは怖い存在ですか? まあ少しは怖いのですが、こちらのことを心配して、ちょっと厳しいことを言ってくれているだけ。父親は紛れもなく、本当に私たちが幸福になってほしいと願ってくれているのです。ですから、我々もお釈迦さまのことを父親だという気持ちでいた方がいいのです。
 
 お釈迦さまは幸福の道を開いたのです。人間のみならずすべての生命が、平和で安穏に仲良く生きる道を教えたのです。世界が弱肉強食を止めたければ、殺し合いを止めたければ、どんな生命でもお互いに兄弟や友達だと、そんなふうな美しい世界を作りたければ、ブッダの教えを聞くことになるのです。

 いまだに純粋にお釈迦さまの教えがあります。それだけでも奇跡です。お釈迦さまの教えは実践するものです。いつでもお釈迦さまの直々の言葉に戻るべきなのです。元の言葉になればなるほど現代的で、科学的であることにびっくりします。
そういうわけで、人間に生まれたならば、我々の唯一の指導者はお釈迦さまなのです。私たちが手を合わせるならば、そうすべき唯一の存在はお釈迦さまなのです。

 ブッダは私たちが成功・成長する道をやさしく教えて下さっているのです。ですから、人間ならば、失敗したり、落ち込んだり、上手くいかなかったりしたら、ブッダのところへ行って、お世話にならなくてはいけないのです。
 
 しかし、お釈迦さまはもういません。でも、大丈夫。お釈迦さまは涅槃に入られる前に、師匠が亡くなられる、法主がいなくなる、これから誰に指導を受けたらいいのでしょうかと心配している比丘たちにこう言いました。「心配することはありません。比丘たちよ、私はあなた方に真理を説きました。生き方を説きました。私が亡くなったら、私の説いた『法(真理の教え)』と『律(正しい生き方)』がブッダです」と。ですから、お釈迦さまが涅槃に入られても、ブッダはずっといるのです。ブッダの教えこそが、ブッダなのです。