智慧の扉

2016年7月号

「これでいい」という諸刃の剣

アルボムッレ・スマナサーラ長老

「生きる」ということ自体、大変疲れる作業です。頑張り続けても、終わり・終了はありません。ですから、「怠けたい」という気持ちが自然に生じるのです。私たちは「生かされている」と勘違いしていても、本当は自分で生きているのです。「生かされている」というフレーズも怠けなのです。

 生きることは大変ですから、人は信仰や、固定概念・主義を作るのです。決まっている・変更の必要がない概念や主義や信仰などの何かを手に入れ、手抜きをするのです。たとえば、自分の子供が重病で治らないとわかる。大変な問題ですね。自分の子供だから、この事実を受け止めたくない。なんとしてでも治療してもらいたい。でも医者は「これは治りません」と言う。そのとき親はものすごい苦しみを感じるのです。

 そこで助けになるが信仰です。「全知全能の慈悲深い神様が考えたことだから、あなたは心配しなくてもいいのですよ」と言ってくれる。それでも子供は死にます。そこで「うちの子は神様によって、早く天国に招かれた」と誤魔化し納得するのです。これも怠けです。
 
 生命はいつでも放逸で、「変わらない、変えたくない」という保守主義になります。これではダメです。いつでもサボりたいのです。そういう気持ちがありませんか? どうですか? ありますね。手抜きしたい、という気持ちがある。どんなことでも「楽にできる方法がないかな?」「裏ワザは?」と、いつでも、この気持ちでいるのです。いつでも保守主義です。革命をうたっている人々も、実は頑固な保守主義なのです。一目瞭然ですが、まったく新しい考え方は生まれてきません。古いのです。

 私たちは「これでいい」という諸刃の剣で遊んでいます。不幸に陥って、失敗して、解決策を見つけて楽になったときに、「これでいい、これで良かった」と思います。これは自然なことです。「これでいい」ということは、一概に悪いというわけではないのですが、しかし、人生全体に対して、特に精神的に「これでいい」と居据わってしまうと、精神の癌になってしまいます。

「これでいい」と腰を落ち着けてしまうことは不可能です。物事はケースバイケースです。成長、進歩、よりよい幸福へ進むことができなくなるのです。気をつけましょう。人が「これでいい」と考えたら、生きることが退化の道に嵌ってしまうのです。