智慧の扉

2016年12月号

「気づき」で生まれる能力とは?

アルボムッレ・スマナサーラ長老

 現代社会では、仏教のヴィパッサナー実践の一部を「マインドフルネス」として俗世間的に使っています。人間とは面白いもので、仏教ではないならば有難がって飛びつくのです。

 お釈迦さまが教えたヴィパッサナー実践は、超越した智慧を開発する方法であり、一切の苦しみを無くす道なのです。「マインドフルネス」のように、仕事の効率アップとか、ストレス低減といったことを目的にしていたら、すぐにこころの成長は止まってしまいます。人格の完成こそが仏道の本来の目的であって、そのテクニックを流用して下らない目的を実現しようというのは、すごく情けないことです。結局は、人間の成長の邪魔になるだけです

 ですから、仏道を歩む人は「人格完成」という高い目標を目指して頑張らなくてはいけません。個人がどこまで進めるのかは、それは人の努力次第です。とにかく、仏道を歩むことで一人ひとりが自分の能力に適した究極の結果に至るのです。
 
 大切なポイントは、気づきの実践で、私たちは「区別能力」を育てなくてはいけない、ということです。ものごとを区別・分別する能力が育つことこそが、仏教でいう「こころの成長」なのです。冥想して「なんだか気分が良くなった」だけではダメです。俗世間は、そこで止まってしまうのです。
 
 仏道を歩むうえでは、気分が良かろうが悪かろうが、そんなことはどうでもいいのです。そうではなくて、区別能力を高めてほしいのです。脳細胞の働きまで区別・分別ができるようになったなら、その人には抜群の能力があるということになります。いま私たちは、こころの働きが区別できないために、ハチャメチャな人生を送るはめになっているのです。区別能力が育てば、ものごとがより明確にわかってきます。その能力がなければ、「生きるとはどういうことか」「煩悩とはなにか」と理解する糸口もつかめないのです。
 
 気づきの実践で、まず育てるべきなのは区別・分別能力です。それをよく心得てください。いつでも気分が良くなりたいばかりでは、冥想してもこころの成長はありません。気分なんてものはどうでもいいのです。しっかりと丁寧に実況中継し、気づきの精度を上げて、少しずつでも区別能力がついたなら、それは俗世間のマインドフルネスより、桁違いの結果を出してくれます。この能力は、どんな場面にも通じるものです。そこからさらに歩みを進めれば、輪廻を乗り越える真理を発見できるのです。