智慧の扉

2017年2月号

恩を知る生き方

アルボムッレ・スマナサーラ長老

 パーリ語には「恩を知る」という意味で、kataññū (カタンニュー), katavedī (カタヴェーディー)という単語があります。恩を知るとは、他の生命の助けで生きていると知ることです。別な言い方をすれば、「生かされている」と実感すること、自分勝手わがままに生きられるわけではないと知ることです。これはご自分で実験して、実感してみてください。例えばデパートの食料品売り場に行けば、豪華な食べ物を売っているでしょう。スタッフの皆さんが、調理や盛り付け方法を精密に計算して、エビの天ぷらひとつに至るまで見事に売っているのです。それを見てみんなが「おいしそうだな」と感じるでしょう。そう感じたとき、「助けられている」とわかります。買い物ひとつとっても、プロの人々の助けがなければ私たちは困ってしまうのです。
 
 そのように日常生活の中で、いかに他の生命に頼って自分が生かされているのか、と実感してほしいのです。勘違いしないでください。私たちは決して神様に生かされているわけではありません。自然とすべての生命によって、自分の命が成り立っているのです。みんなに助けられて、みんなのおかげで生きていられるのです。
 
 ですから、相手に対する感謝の気持ち、喜びを感じる習慣を身につけなければいけません。これも実践しなくてはいけないのです。感謝の気持ち、喜びを実感する。生かされていると感じるから、楽しいのです。自分も助けてもらう度に、相手に充実感と喜びを与えるように気をつける。いつでも人に助けられています。そのとき助けてくれた人に感謝の一言をかけてください。助けた人が「あぁ、助けて良かった」と思えるように。それは助けてもらった人がするべき義務です。それから、「恩返し」も、できる範囲で実行しなくてはいけません。
 
 よく理解してください。私たちは空気を吸って、空気に依存して生きていますが、だからといって空気に執着する必要はありません。でも、空気に感謝の気持ちぐらいは持ちましょう。空気を汚さないように、最低限の恩返しをしましょう。それでも、執着する必要はないのです。執着とは、相手を自分のものにしよう、自分の希望どおりにものごとを動かそうという、恐ろしい気持ちなのです。感謝ではなく、感謝の反対です。生きるために依存している現象に感謝の気持ちを抱いても、安らかに生きるためには「執着しない」ことが必要不可欠なのです。これがブッダのアドバイスです。