智慧の扉

2018年4月号

「行為にゴールは存在しない」という発見

アルボムッレ・スマナサーラ長老

 仏教で強調する「過去を追ってはならない」という言葉の真意は、史実を忘れることではありません。感情で捏造した嘘の過去・幻覚の過去を捨てよ、ということです。「私は○○」と憶えているすべての幻覚の過去を捨てるべきなのです。「私」という主語で積み重ねたデータは幻覚です。しかし、人のすべての経験を私という器に入れているので、捨てることができなくなっています。これは重病なので、丁寧に治療しなくてはなりません。

 私たちは、「立ちましょう」と言った途端、立ち終わった結果(目的)をイメージして、未来の妄想をして、途中のプロセスを無視して、手抜きで、結果だけ良ければいいだろう、という感情で立ちます。仏道の人は目的を作りません。「立つ」とはいま存在しない単なるラベルです。今いる状況から、次の行為が現れる。そこから、また次の行為が現れる。「立つ」とは行為の連続の最後の一コマに過ぎないのです。立ってからも、また次の行為が現れます。行為に、つまり生きることに、目的・ゴールは存在しないのです。

 思考のほとんどは、自分が作った過去物語です。その幻覚に支配されると「立つ」流れが失敗するのです。瞬間瞬間の行為を実況することで、妄想の障害を乗り越えられます。過去だけでなく、未来の妄想も止めるのです。さらに、ものを動かす、手を上げる・下げるなどの行為を妄想停止してやってみます。手を下げるという過程に、瞬間瞬間、無数の行為が現れることを経験するのです。「すべての行為にゴールが存在しない」という事実を発見できて、心が変わるまで実践してみるのです。

 自分の意欲(意志)、外の状況の条件で、次に行うべき行為がおのずから現れます。この簡単な訓練で、「原因と条件によって結果が現れる」という因果法則を発見できるのです。自我を張らない人生が顕れてきます。自我は幻覚であると見えてきます。眼耳鼻舌身意の流れの只中でこの実践をすれば、「感覚を捏造した結果として、自我の錯覚が現れる」と発見します。過去の物語、将来の推測・期待感が消えて、無限の自由を感じられます。真理の発見レベルにあわせて、煩悩が現れなくなります。

 自分にやりやすい方法を選んで実践してください。不思議なことは何も起こらず、ただ川が流れます。色々変化はあっても、すべて因果法則で、因縁関係で、善も悪もなく、判断する必要もなく、嫌う必要も愛着を抱く必要もありません。生きることも川も流れで、因縁により生じる行為の流れです。判断も愛着も成り立たないと発見する賢者は、解脱に達するのです。