智慧の扉

2018年9月号

預流果に達する法の聞き方

アルボムッレ・スマナサーラ長老

 今すぐに預流果に達してください。これは先延ばしにすることはできません。私たちが瞑想しているといっても、なんとかやっているだけで、真剣にはなっていません。それと日常の下らないことの成功のために瞑想をする愚か者たちもいます。会社で仕事が上手くいくという目的、人間関係を上手くやる目的、夫婦が仲良くなるための目的、そういうご利益目的は下らないのです。ブッダが教えたヴィパッサナー瞑想というのは、この上のない尊い価値のある道具なのです。決して、現世利益目的で汚してはならないのです。

 それから、いつでも説法を聞くときは真剣に聞いてください。身を入れて説法を聞くならば、説法が終わると同時に預流果に達することができます。特別に瞑想しなくても構いません。仏教の僧侶は、瞑想で発見するべき事実・真理を、そのまま皆様の心で発見できるようにしゃべるのです。しかし、皆様は説法を聞きながら瞑想しなくてはいけません。その場合の瞑想とは、自分の心、自分の気持ちを対象に、比較して理解することなのです。「この説法は、他ならぬ私に語られているのだ」と真剣に受け取ってください。「某というお坊さんが説法している」ではなく、ブッダの真理が、ダンマが皆様の心に語りかけているのです。「語られている真理は、自分の心とどう関係があるのか?」ということを学んでください。いま・ここで、その宿題をやるのです。
 
 宿題の内容は「あなたは誰ですか?」です。一人ひとり自己紹介してみてください。「あなたと特定できる自己とはなんなのか?」ということです。その結論はどうなるのでしょうか? 自分だと特定できる何かが、たったひとつでも見つかったでしょうか?

 説法を聞きながら自分の宿題をやると、それで預流果に達するか、達するギリギリのところまで心が成長するはずです。宿題をすること、それがすなわち瞑想になるのです。瞑想とは、観察することです。決してヨーガのことではありません。ブッダの瞑想とは、自分を調べることなのです。調べて、調べて、事実・真理を発見することです。真理を知る人の心が、煩悩から解放されるのです。智慧で悟るのであって、信仰では悟れません。智慧は、本や文章からは得られません。智慧は自分が宿題をやること、すなわち自己観察で得られるものなのです。真剣に頑張ってみてください。