智慧の扉

2019年9月号

ブッダの教えは生きている

アルボムッレ・スマナサーラ長老

 お釈迦さまが涅槃に入られる前に「私が涅槃に入ったら、師が居なくなったと思うでしょう。しかし、そうではありません。私によって示され、制定されたDhamma(ダンマ)とVinaya(ヴィナヤ)とが、私の死後、あなた方の師となるのです」と説かれました。

 ダンマは「法」と訳されます。さまざまな意味を持つ言葉ですが、この文脈では「真理の教え」です。漢文で「律」と訳されるヴィナヤには、ぴったり合った日本語訳はありません。英語ではdisciplineという単語の意味に近いです。あえて日本語訳するならば、「しつけ」になるでしょう。日本では「しつけ」という言葉は、こどもに対して使うイメージです。しかし、こどもに限らず、大人になっても死ぬまで、ヴィナヤは人生に欠かせないものなのです。

 ヴィナヤというものの中には、「〇〇するなかれ」という形式的な規則も含まれます。しかし、人間の人生というのは、決まったある規則を守っただけで立派とは言えません。規則を守るという形式に凝り固まってしまう危険性があります。規則を守るだけがしつけではありません。さらに理解するべきことがあります。例えば、子どもに「朝6時半に起きること」という規則を設定する。それは簡単ですが、その規則を守ったとしても、その子が良い子になるという保証はありません。その規則を破ったからといって、悪い子になるわけでもありません。その子が時間の無駄遣いをしない性格に変わったならば合格なのです。たまに規則を破ったとしても、たいしたことではありません。このように、ヴィナヤによって理性を育てなければいけないのです。
 
 お釈迦さまは「ダンマ(真理の教え)」と「ヴィナヤ(しつけ)」を説きました。それが、いまブッダの代わりであり、私たちの師なのです。ですから、仏教徒はお釈迦さまが涅槃に入られたことを残念とは思いません。いま現在も、その二つが私たちを育て、涅槃へと導いているのです。私もブッダのしつけを受けた人間の一人です。いまでも経典を勉強すると、お釈迦さまが直々に教えを説いているような気持ちがします。誰にとってもブッダの教えは生きています。よく知られている「慈経」なども、お釈迦さまの直々の言葉です。

 ですから、お釈迦さまが説いた「真理の教え」と「しつけ」によって、心が変わり、性格が変わり、善い人間に変わるのです。これは決して神秘的なことではなく、まさにブッダの教えの偉大なる力なのです。道に迷うことなく、いつでも、ダンマとヴィナヤからブッダの鼓動を感じてみてください。