2021年11月号(180)
無常は他人事ではない
人間の抱えるどんな問題も、無常に逆らうことから始まるのです。無常という真理は、悲観的でも楽観的でもない普遍法則です。人は「世の中に悲しい出来事が起きる」と思っています。しかし、無常という真理に照らせば、世の中に悲しい出来事は何ひとつ起きていないのです。自分が不幸に見舞われていると思うのは、主観的な価値判断に過ぎません。それは愚か者の見方であって、智者の見方ではないのです。
例えば、財布を落とした、あるいは盗まれたとします。「あぁ、どうしよう?困った」「うそ、なんで!」と思って慌てるでしょう。その瞬間から、あなたは不安に苛まれます。なぜでしょうか? それは「必ずあるはずの私の財布がない」という、無常を認めない感情から生まれた不安なのです。無常という真理を体得している人ならば、財布を落としたり盗まれたりしても、そこから精神的な悩み・不安を惹き起こすことはないのです。
少し極端な例を出してみましょう。大地震が起きて、あなたの家が倒壊したとします。悲しいと思うのは当然でしょうね? いいえ、当然ではありません。そのような不幸と悲しみは、「家はずっとあるはず」という無常に逆らった思い込みから起こっているのです。さらに、そこには「私の家」という自我意識も入り込んでいます。無常・無我という普遍的真理に反した期待は、当然裏切られます。真理に反した期待をしなければ、家が壊れたとしても不幸や悲しみは起こり得ないのです。
もっと辛い喩えをあえてしましょう。あなたにかわいい盛りの子供か孫がいるとします。その子がいきなり死んでしまったら、悲しくてたまらないでしょう。いくら時間が経っても悲しみが癒えないかも知れません。そんな極限の不幸と悲しみであっても、問題は悲しみに暮れる本人にあるのです。本人が無常を否定していることが原因なのです。
無常を否定すれば、必然的に大きな苦しみに陥ることになります。これは現実に苦しんでいる誰かをバカにする話ではありません。どんな生命も例外なく陥っている無明を破るために、あえて厳しい表現を使っているのです。ですから、他人ではなく、自分自身に降り掛かったこととしてシミュレーションしてください。
どんな存在も、生じたら滅するということが普遍的な法則です。無常という法則に逆らうことはできません。無常を暗い話だと理解するのは愚かなことです。「現象はたしかに無常である」と、自ら観察して発見できれば、真理に反した期待・希望は消え失せるのです。真理に反した期待・希望が無くなれば、不幸と悲しみの連鎖も消えて無くなります。人はそこで初めて、心の安穏を経験するのです。