2022年6月号(188)
他人の評価を通じて成長する
私たちは自分自身について、他人の評価(意見・判断)を参考に自己評価します。誰でもやっていることで、これがスタート・ポイントです。なぜなら、生まれてきた私たちは、この世界のことを何も知らないからです。特に幼い時は何もできないので、ほとんど他人の判断で生きています。そうして親をはじめ他人から学びます。自分が良い子なのか悪い子なのか、他人や社会環境に決められるのです。
たとえば他人から「良い子だね」と言われたら、「私は良い子なのか」と理解するしかないのです。珍しいことではありません。ですから、他人の評価というのは避けられないものです。学ぶために学校に行けば、宿題やテストがあり点数によって評価されます。そこではテストの点が高い子が良い子です。その点で自己評価とは、他人に認められることが大事な要因となります。たとえば初めて書いた字が正しいかどうか、自分自身では判断ができないのですから仕方ありません。他人の評価は生きている限り続きます。
しかし、ここでも大きな問題があります。他人の評価は決して完璧ではないということです。個人は生きている限り他人の評価を気にすることになるが、他人は決して個人を完全に理解してくれません。母親でさえも子どもを完全に理解することはできません。他人もそのひと固有の価値観があるので、どうしても評価に偏りが出てきます。他人が知る個人とは、ほんの一部に過ぎません。知っている一部も、好みや感情によって評価してしまう。ですから、親の評価だけを気にしても人生は上手くいきません。親はどうしても我が子が可愛いという偏りがあるからです。
試験などを通じて、知識や能力を他人が評価します。その範囲なら問題ありません。生きるために他人の評価は欠かせないのですが、その評価を完全に信頼し、依存することはできないのです。他人もいい加減です。だから完全に信頼してしまうと問題が起こります。生きることが苦しくなります。大事なのは、生きる上で他人の評価は無視できない、参考にする必要があるということを、しっかり憶えておいてください。
他人の評価を無視することはエゴです。他人の評価に依存し自分では何もできない、言われた通りにしか生きられない、これは心の病気です。他人の評価がなければ、人間として成長できません。他人の評価といっても、誰でも彼でも鵜呑みにしなさいということではありません。区別が必要です。特に自分を心配してくれる人、慈しみのある人、人格者の評価は、素直に受け取ったほうが身のためになります。