2023年1月号(198)
痛みを観察し、夢から覚める
自分の身体(からだ)を観察してみると、当然「痛み」を感じます。感覚として「苦」を感じるのです。痛みは、どれだけ認識が鈍い人にも感じることができます。それが命を保つ基本的な機能だからです。肉体を持つことは、すなわち「痛みを感じなさい」ということなのです。生命は、肉体を通して入力される「痛み」という苦の感覚をもとに、生きる活動をしています。皆、痛みを心配し、痛みに恐れています。生きる活動というのは、痛みを避けるための行為です。勉強すること、仕事をして収入を得ること、結婚したり、家族を作ったり、すべての行為は「痛みを避ける」ためにやっているに過ぎません。
肉体は物質なので単純です。私たちは「痛み」が発生すると自動的に「嫌だ」という評価をしてしまいます。そこで肉体から入力された一次情報として、ただ「痛み」と観察して留まることで、ある程度で幻覚を破ることができます。観察に慣れていないと、たとえ「痛み、痛み、痛み」と観察してみても主観が割り込んでいるのです。わずかにでも「嫌だ」という感情が入っているのです。観察能力が徐々に上がってくると、あるとき「ただ痛みがある」ということを理解します。自分という幻覚と、感覚である痛みが関係ないことを発見するのです。そのことを発見すると、これまで「痛み」について評価し、評価に基づいて散々妄想の世界を築き上げてきたことがジワジワと観えてきます。妄想の世界の中に、好みや感情・期待や希望・主観や自我など、すべてが発生していたのだと突き止められるのです。
私たちが実際にあると思い込み悩み苦しんでいるこの世界は、自分が作り出した夢なのだと発見します。今も皆、夢の中にいます。そう言うと皆さんは「はぁ、この人なにを言っているのか?」と思うでしょう。しかし、それは自分がどこにいるのか理解していないだけです。この現実が本当に夢の中なのかどうか、「確かめてやる!」と決意して観察をしてみると、「本当に夢だった」と目覚めることができます。
目覚めれば、すでに喜怒哀楽は終息しています。私たちが実際に睡眠から目覚めたら、どんな気持ちでしょうか? 夢で恐竜に追いかけられて怖かったとします。目が覚めたら、その恐怖が終わるのです。かといって、「あぁ良かった。安心した」と感動して喜びに満ち溢れることもありません。自分が作り出した夢から目覚めたとき、喜ぶことも苦しむこともなく、ただ「安穏(あんのん)」という落ち着いた状態になるのです。仏道を歩む人へ、私から言えるアドバイスは、ただ「目覚めてください」という一言です。



