No.35(1998年1月)
実る生き方②
明日では遅すぎる
ある商人達のグループが、船で商売に出かける途中に遭難しました。そのなかの商人のひとりバーヒヤは板切れにつかまってスッパーラカという島に漂着しました。漂流中に衣類をなくし島に辿り着いたときには裸でしたので木の皮を剥いで腰にまきました。誰かが助けてくれるだろうと待っていると道行く人々が彼を見て、仙人が現れたと勘違いしました。
何か普通と違った特殊な行動や生き方をする人を、行者だ、仙人だ、神秘的な能力を持つ人だと思うのは、当時のインド文化ではごく当たり前のことでした。現代でも、普通の人がやらないようなことをする人を素晴らしい人だと見上げることがあるようなものです。そして、お供えものを持ってくるわ、お布施をするわ、拝みにくるわ、突然聖者が現れたということで、村は大騒ぎになってしまいました。
バーヒヤはどうすることもできませんでした。周りから勝手にイメージを作られてしまった彼は、みんなの気持ちを裏切らないよう、せいいっぱい聖者の役を演じざるを得ませんでした。しかし彼は人をだますことが好きではなかったので、自分なりに正直に聖者にふさわしい清らかな生き方を続けていました。やがて彼は自分が本当に阿羅漢、聖者の1人だと思いこむようになっていました。(人は誰であろうと、自分について間違った思いこみを抱くことこそ破滅の道につながります)
彼の古い友達が、正直なバーヒヤを心配して彼を捜したところ、阿羅漢になりきっていることを知りました。こんなことで彼の人生が破滅してしまうことを心配した友達は彼に会いました。(原典によるとその友達と彼は、過去世で一緒に修行して梵天に生まれ変わったそうです。その後バーヒヤは梵天の寿命を終わって人間に生まれ変わりました。友人の梵天がバーヒヤを救うため、ある夜現れたと書かれています)
「バーヒヤ、君は聖者でもなく、聖者たる者はどのような人かということの一かけらさえ知りません」と友人は言いました。
正直者のバーヒヤはその言葉に全く怒りませんでした。逆に非常にショックを受け、我に返ったのです。そこで彼は「どうか私に聖者になる道(悟りへの道)を教えてください」と友達に懇願しました。すると友達は言いました。「私はその道は知りません。人間の間に今、仏陀が現れています。彼が伝道して多くの人々を悟りへ導いています。その釈迦牟尼仏陀に会って指導を受けてください」バーヒヤは、その話を聞いてすぐすべてを捨てて立ち上がったのです。何カ月もの日々をかけて仏陀のおられる北の方へ向かいました。
舎衛城の祇園精舎に着いたとき、釈迦尊はちょうど托鉢に出かけていました。釈迦尊が帰るまで待つように言われても彼は一刻も早く仏陀に会いたかったので、また町へ出ました。ついに托鉢中の釈迦尊に路上で出会いました。「尊師、私に悟りの道を教えてください」仏陀は「今は、説法する時間ではありません。食事の後、教えます」と言われましたが、バーヒヤは「私は遠くから解脱を得るために参りました。一瞬も待つわけにはいけません。今、教えてください」と訴えました。
仏陀は「食事の後教えますから、待ちなさい」ともうー度おっしゃいましたが、バーヒヤは引き下がりませんでした。「人は生きていれば、いつでも食べられます。ですが人間はいつ死ぬかわかりません。その前に清らかな心を作ることこそが最優先の目的ではないでしょうか」
この言葉には、釈迦尊も何も言うことがありませんでした。
釈迦尊は立ったまま説法を始めました。
「バーヒヤ、見るものは見ただけで、聞くものは聞いただけで、感じたものは感じただけ、考えたことは考えただけでとどまりなさい。そのときあなたは、外にはいない(対象に捕らわれないという意味)。内にもいない(心の中にも執着・煩悩が生まれないという意味)。外にも、内にもいないあなたはどちらにもいない(解脱の状態)。それは一切の苦しみの終わりである」
我々には理解しにくいかもしれませんが、この言葉を聞いただけでバーヒヤは完全に悟りを開いて、阿羅漢になりました。瞬間のできごとでした。
そして出家をするために糞掃衣(人が捨てた布)を探している途中で、あばれ牛に激突され、亡くなったのです。身寄りのない彼の遺体は、路上に捨てられたままでした。
食事の後、お釈迦様は比丘たちと一緒に行って、バーヒヤ尊者の遺体を寺に持ち帰り、聖者にふさわしい葬式を行わせました。塔を作って舎利(遺骨)を安置しました。
バーヒヤ尊者のことを、誰も知りませんでした。仏陀に会われたことも、法を聞いたことも、ましてや悟りに至ったことなども。
「彼こそが仏教史上最短の時間で悟りを開いた方です」と釈迦尊はおっしゃいました。出家は出来ませんでしたが、後で釈迦尊は彼を、80人の大弟子のひとりとして認めました。
比丘たちはバーヒヤのエピソードにびっくりしました。今まで外道の道を歩んできて、木の皮を体にまとったまま亡くなった彼は、瞬間しか釈迦尊と言葉を交わしたことがなかったのに、釈迦尊に弟子として、大阿羅漢として認められました。驚く比丘たちに釈迦尊は「文学的に美しい詩を千以上聞くよりも、心を清らかにする偈をひとつ聞く方が優れているのです」とおっしゃいました。
人間は、美しい言葉や俳句、詩などには弱いものです。言葉さえ綺麗に響けば、すぐ感情的に心惹かれてしまいます。言葉がもつ実質的な意味にはあまり関心がないのかもしれません。たとえ心を動かされる言葉であっても、それが本当に自分の役に立つ言葉かそうでない言葉かは区別して考える必要があります。
我々が、読んだり聞いたりする言葉の中で、私たちの人生について何かを教えてくれる言葉、また自分の弱さを治してくれる、苦しみを乗り越え幸福の道へ導いてくれる言葉があるならそれはとても大事な言葉です。しかし、我々が必死になって読む作品のほとんどは、ただ読む楽しみだけで終ってしまいます。読書の楽しみも仏教の視点から見るとひとつの娯楽に過ぎません。にも関わらず我々の人生の大半は、読書やおしゃべりにとられています。
日常の、ゴミの山からダイヤを探すつもりで、悟りへ導いてくれる真理の言葉だけを探せばよいのではないでしょうか。
意味のない、つまらないことに我々の1日は覆われているのです。それでいて、忙しい、時間がないと愚痴ばかり言っていますが、我々が日々忙しく行っている数々のことは、本当に必要なことなのでしょうか。本当に人生の役に立つのか、心を清らかにすることにつながるのか、社会の役に立っているのかと自分自身に問うてみたことがありますか?
人間にとって、偉大な、本当に努力すべき目的は、苦しみを乗り越え、解脱への道を歩むことだとこの物語は教えています。
今回のポイント
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心を清らかにすることに、「後回し」はありません。
経典の言葉
- Sahassaṃ api ce gāthā – anattha pada samhitā
Ekaṃ gāthāpadaṃ seyyo – yaṃ sutvā upasammati. - 無益な語句の並ぶ詩をたびたび語るより、
聞いて心の静まる有益な語句をひとつ聞く方が優れている。 - (Dhammapada 101)