No.136(2006年6月)
臨終の時の説法
死をごまかして不幸になる Victory at the last moment.
舍衛城に肉屋さんがいました。牛を屠殺して肉を売って生計を立てることは、彼の一生の職業でした。
この人も肉を食べるのが好きで、毎日の食事に肉料理は欠かせませんでした。
ある日、肉はほとんど売り切れの状態になっていました。彼は自分の食べる分を置いておいて、完売になってから沐浴に行きました。その間客がきて、どうしても肉を売ってくれと奥さんを強引に責めたのです。
肉を売ってくれないので、その客は家の中に入って肉屋の主人が自分のために置いてあった肉を持ち帰ってしまったのです。奥さんは仕方がなく、肉抜きの料理をしました。帰って来た旦那は激怒しました。「俺は肉がないと絶対食べない。お前は知っていることだろうに」と言って、包丁を持って裏庭に行きました。次の日の肉になる牛が、そこにいました。その牛の口を開けて、舌を強引に引いて、切り取ったのです。牛の舌を料理してもらって食べようとしたのです。落ち着きなく怒りに狂って、その上激しい空腹感で悩んでいた彼が肉を食べようとした瞬間、大事件が起きたのです。
彼が噛み付いたのは、生きたまま切り取った牛舌ではなく、自分の舌だったのです。舌がちぎれて落ちたのです。この苦痛は、並大抵のものではありませんでした。頭が狂ったような感じで泣き叫んで、地面に転がったのです。何の躊躇もなく牛に与えた苦しみは、どれほどのものかと身を以て知るはめになったのです。
この出来事を彼の息子も見ていました。奥さんはとても怖くなったのです。自分の息子に言いました。「あなた、この恐ろしい状態をみなさい。あなたも父の仕事を継ぐでしょう。あなたはこのような不幸にはなってほしくないのよ。すぐ逃げなさい。私のことは心配しないで」彼も、家があまりにも怖くなって逃げたのです。屠殺家は苦しんで亡くなり、阿鼻地獄に落ちたのです。
息子は学校に入り、金細工人の仕事を学んだのです。やがて結婚して、子供も生まれたので、幸せに生活をしていました。子供たちは、おじいさんのことは何も知りませんでした。
子供たちも大人になって、結婚したが商売はうまく行かなかった。豊かな舍衛城に行きたがったが、父親が賛成しないのです。結局子供たちは舍衛城に移り住んで商売繁盛して豊かになったのです。
老いた父親も仕方がなく子供たちのところに来たのです。この父親にとって舍衛城は自分の生まれ育った町でした。しかし、家のことはバラす訳には行きません。ヒンドゥ文化では、息子が親の仕事を継がなくてはならないのです。でも、彼は父の惨めな死に方を目撃したので、精神的なショックを受けているのです。
この人は、脅えて、屠殺はしたくないが、善行為をする習慣もなかったのです。金細工の仕事だけで老いてしまったのです。しかし、彼の息子たちは敬虔な仏教徒たちでした。よく仏陀の説法を聞いていました。仏教では、両親というのは子供に対して尊い存在なのです。仏陀に対する尊敬の気持ちと同じ気持ちで親を尊敬し、また親孝行もしなくてはならないのです。子供たちは親孝行をすることに決めたのです。
親の老後の面倒を見るだけでは、親孝行になりません。死後の幸福まで面倒をみなくてはならないのです。親が亡くなる前に法事を行うことに決めたのです。親の死後、七日目、四十九日など法事をするのは普通ですが、仏教の理解ある敬虔な人々は、親が亡くなる前に生前供養するのです。その方が、親に確実に徳を与えることができるのです。
お釈迦さまと比丘たちを自分の家に招待して、食事のお布施をしたのです。食事が終わってから、お釈迦さまに報告したのです。「尊師、このお布施は老いた父親のために行ったものです。この功徳によって、父親が死後、幸福でありますように」
そういわれると、功徳を回向して老いた父親を祝福するのは、仏教の常識です。
しかし、釈尊は違うことをなさったのです。お布施をした子供たちは、性格も良く、信心深く、道徳を重んじる立派な人々でしたが、父親の性格は正反対。道徳に、善悪に対して、興味はゼロ。善行為なんかはしたこともない。やりたくもない。これは、自分の父親の躾のせいでしょう。自分の父親が牛を殺すことと、解体して高値で肉を売ることしか教えてくれなかったのです。殺生を職業にする人々の性格は、決して穏やかなものではありません。乱暴で、残酷です。息子は精神的なショックのおかげで殺生をやめたが、道徳にはなじめなかったのです。
彼が、息子たちがお釈迦さまにお布施して説法を聞いて、善行為をすることを、無関心で「俺は関係ない」という態度で見ていたのです。このような精神状態では本人の目の前で回向しても、功徳は伝わらないのです。もし、嫌だと反発したならば、功徳どころではなく、仏陀を侮辱するという最大級の罪を犯すことにもなるのです。この心の状況を知り尽くした釈尊が、息子たちの折角の善行為の功徳を父親に回向することをやめて、父親を叱ったのです。
「あなたの人生は、すぐ落ちてしまう枯れた葉のようなものだ。死の使者たちはあなたを囲んでいる。あなたは輪廻という終わりのない旅に出ようとしている。なのに、何の旅支度もしていない。旅費は全然持っていない。」
人の家でごはんを食べて、家の主人にこのような言葉をかけるのは、失礼ではないかと我々は思ってしまうかもしれません。身体がぼろぼろになって老いぼれて、死を迎えようとしている人に向かって、「あんたは長くない。すぐ死ぬでしょう」と言うのは、残酷だと思うでしょう。
みなさまなら、死の床にいる人にどんな言葉をかけますか。恐らく、「元気でがんばってください」でしょうね。それが親切な言葉でしょうか。元気でいることができれば、頼まなくても本人がやっていることでしょうし、死にかけていることに気づいている人に「がんばって下さい」と言うと、「早く死ね」という意味でしょうかね? 見舞いにくる人々がまた、一般的にすることがあります。「何か欲しいものはある? 何か食べたいものはある?」などを訊く。そんなのはあっても、今何の意味もない。わざと思い出させて欲をあおると、本人は悔しい気持ちと悲しい気持ち、遣りきれない気持ちになるでしょう。
本当に残酷な言葉は、お釈迦さまがあの老人を叱った言葉ではありません。我々が、親切なつもりでかける言葉なのです。人は死にかけていることを知っているのに、それをごまかす。治らないことを知っているのに、早く直して下さいと言葉をかけることで、嘘を言う。また、欲しいものまで思い浮かばせて欲を煽る。「治らないのだ。死ぬのだ」と、本人は知っているのに、親戚や親しい人々は自分を囲んで、死ぬことをごまかしてヘタな芝居をやると、苦しんでいる本人には有り難うというひと言葉もかけられなくなるのです。それで、死ぬ苦しみに、親しい人々が新しい苦しみも加えてあげたことになるのです。これって親切な行為とは言いがたいのです。
お釈迦さまは本人に事実そのものを真っ向から説いたのです。嘘をついて事実を捻って、情報を隠して、誤解を招いて幸福になるとは仏教は思わないのです。それは、俗世間の考えです。事実、真理を知ることで幸福になるのだというのは、仏教の考え方です。科学知識が発展する以前、あらゆる迷信で、人種差別で人々はとても苦しんでいたのです。しかし、科学者たちが自然界の真理を発見すると同時に、人々は幸福な社会を築いて来たのです。なのに、今も生きることに対して本当のことを言わないで、嘘でごまかすことが美徳だと思っているようです。
聞いて喜んで舞い上がる事実も、まれにこの世であるが、ほとんどの真理は、聞いて驚く、恐怖感を感じる、危機感が生じるものが多いのです。だからといって、人々を騙して暗黒の世界に陥れるべきでしょうか。本当の危機感を感じ、その危機から脱出することがよいのではないでしょうか。
ここで、また話を戻します。釈尊があの老人を事実に目覚めさせたのです。
食べて、老いて、死ぬことは、立派な人生ではありません。しかし、ほとんどの人々はそれだけで満足しているのです。いい仕事をしているのだ、収入が安定しているのだ、子供たちが社会人になったのだと、自慢して、満足する。これは、食べて、老いて、死ぬ道、そのものなのです。あの老人の「我が輩は満足だ」という幻覚を釈尊が破ったのです。これから死にゆくあなたは、何の準備もしていないのだと言われると、確実に恐怖感を感じたことでしょう。
釈尊は事実を説いて人々に強烈な恐怖感を、不安感を与えるのです。我々が日常茶飯事に感じている恐怖感、不安感は何の意味も持たない、無知な感情なのです。病気になるのが怖い、収入がなくなるのが怖い、フラれるのが不安などの恐怖感と不安感でしょう。「死ぬことなんかは絶対あり得ない」という前提で生きるから起こる、無知な感情なのです。釈尊は、人が必ず感じるべき理性に基づいた恐怖感を与えるのです。それは、事実を発見することで起こるものです。しかし、人に事実に基づいた具体的な恐怖感を与えて、無関心でいることは、釈尊はいたしません。本当の恐怖から脱出して、確実な幸福を実現する方法も教えてあげるのです。強いて言えば、幸福にさせたいからこそ、今まで隠してごまかしていた怖い事実を、明らかにしてあげるのです。
「今すぐ努力しなさい。自己の安全な境地である、自分の島を作りなさい。理性的な人間になりなさい。心の汚れを全て捨てなさい。聖者たちの安全な境地に入りなさい」と、説いたのです。「自分の島」というのは、自分の将来の安全な境地を、自分自身の心で作るのだという意味です。自分の頼りになるのは、自分なのです。人は、自分の心のせいで不幸になるのです。汚れた心で、汚れた思考で、汚れた感情で生きていて、汚れた境地に、不幸な境地に落ちるのです。自業自得というのは、この意味です。自分の幸不幸は、自分自身の行為の結果であると理解すること、また我々は必ず死んでいく短い命であること、この世は仮の宿であること、を念頭に置いて生きることは、理性的な生き方なのです。釈尊は脅しの後で、あの老人に幸福になる方法を教えてあげたのです。恐怖感に打ち勝つ方法を教えたのです。
要するに、「あなたは死にかけている。後戻りできない。しっかりがんばりなさい」という意味ですが、仏教の「がんばりなさい」は、只の無意味な表現ではありません。とても具体的な表現なのです。このようにがんばりなさい、とその方法を説くのです。
老いぼれるまで頑固で生きて来たこの老人は、仏陀の一回だけのアドバイスをまじめに聞き入れたかどうか、定かではありません。子供たちも頑固親父は、一回言っただけでは素直に受け入れると思っていなかったようです。またある日、釈尊を家に招待して、お布施をして生前供養を行ったのです。そのときも、この布施の功徳は父親の死後の幸福のためであると報告したのです。
そのときも、お釈迦さまが同じ言葉で説法したのです。「あなたの寿命は尽きている。今、死が迎えに来ている。もう(死を)止めることはできません。しかし、旅支度はあなたにありません。」
「今すぐ努力しなさい。自己の安全な境地である、自分の島を作りなさい。理性的な人間になりなさい。心の汚れを全て捨てなさい。二度と生老病死の世界に還ってはならない。(解脱しなさい)」と説いたのです。
おそらくお釈迦さまが、心清らかにして物事に対する執着を断つ方法を続けて教えたでしょう。彼が、預流果の境地に達したのです。子供たちの努力も見事に実ったのです。親孝行できたのです。老人は、輪廻の苦しみから脱出したのです。
このエピソードは、仏教は臨終の時、何を語ってあげるのかと理解するための例です。一般常識とは全く違うでしょう。世間は悟っていないし、智慧もありません。世間は無知に陥っているのです。ですから、世間の常識に従う必要はないのです。世間の常識が正しければ話は別ですが、正しくない場合は真理を語る勇気を持たないと、この世の中はよくならないのです。勇気を持って、真理を語った人々がいたおかげで、我々は今、それなりの幸福を味わって生きているのではないでしょうか。嘘で救われた人は一人もいません。臨終の時、慈悲の瞑想やら身体の脆さ、苦しさを観察させて、無執着の気持ちにさせれば、亡くなる方にとってはそれ以上の幸福はありません。それが、見守っている人々が最高なお土産を与えたことになるのです。
今回のポイント
- ただ生きただけでは、天国にはいけません。
- 嘘で人を慰めてはならぬ。
- 嫌でも、事実を知ることで幸福になる。
- 理性さえあれば、臨終の時でも道が開ける。
経典の言葉
- Pandupalāso’ va’ dāni’ si, Yama purisā’ pi ca taṃ upatthitā;
Uyyoga mukhe ca titthasi, Pātheyyaṃ pi ca te na vijjati. (Dh.235)So karohi dipaṃ attano, Khippaṃ vāyama pandito bhava;
Niddhanta malo anangano, Dibbaṃ ariya bhūmim ehisi. (Dh.236)Upanīta vayo va’dāni’ si, Sampayāto’si yamassa santike;
Vāso’ pi ca te natthi antarā, Pātheyyaṃ pi ca te na vijjati. (Dh.237)So karohi dīpaṃ attano, Khippaṃ vāyama pandito bhava;
Niddhanta malo anangano, Na puna jātijaraṃ upehisi. (Dh.238) 汝 は黄ばめる葉の如し 死王の使門 に立つ
別れの旅の朝戸出に まだととのわぬ旅の資糧 さればこそ とくいそしみて
帰依処 得よ
賢くあれな 垢を去り 心のけがれなきものは
天の聖所に至らなん汝の
齢 はかたぶきて 面前死王に近づくに
中途に憩う宿もなく 旅の資糧 さえととのわぬさればこそ とくいそしみて帰依処得よ
賢くあれな垢を去り 心のけがれなきものは
二度と生死に逢わざらん- 訳:江原通子
- (Dhammapada 235-238)