No.180(2010年2月)
お釈迦様と効率主義
ブッダに気付かれることほど名誉はない The distance between oneself and the Buddha.
経典の言葉
Dhammapada Capter XXI PAKINNAKA VAGGA
第21章 種々なるものの章
- Dūre santo pakāsenti
Himavantova pabbato
Asantettha na dissanti
Rattim khittā yathā sarā
- 徳ある人はヒマラヤの 雪を戴く峯のごと
遠くありても尚知らる 徳なきものは傍近く
在りても見えずぬばたまの 夜に放たれし箭の如し - 訳:江原通子
- (Dhammapada 304)
こころ清らかな人は、たとえヒマラヤ山脈の奥地のような遠いところに居ても(そばにいる人のように)簡単に分かります。しかし欲に眩んでいる人は、夜に放たれた矢のごとく、そばに居てもその存在は感じない。これは今日のダンマパダ三〇四偈の意味なのです。
お釈迦様が住んでいるところに自分も住んでいたからと言って、説法なさる時はお釈迦様の目の前に座っていたからと言って、お釈迦様の気を引くことは簡単ではないのです。お釈迦様は説法を無駄にしたくなかったのです。人々を感動させることも、喜ばせることも、お釈迦様の伝道の目的ではありません。智慧に優れた人だと賛嘆されることも、財産をお布施としていただくことも、みじんも期待していなかったのです。お釈迦様の唯一の目的は、真理を聴いてそれを理解して、一人ひとりが自分のこころの煩悩を無くす修行をして、解脱を経験することでした。一切の苦しみを乗り越えて、完全なる安穏に達してもらうことでした。説法を聞く人に役立てば、それで充分だったのです。
当時の王家の人々、資産家・富豪、知識人、バラモン人、他宗教の行者たちの間で、お釈迦様はたいへん尊敬された、認められた存在でした。しかしインドじゅう旅をなさっているお釈迦様に、長く付き合うことは誰でもできませんでした。ほとんどの人々は、お釈迦様と一言葉でも交わしたいと思っていたのです。しかしこのチャンスは、簡単に実現できるものではなかったのです。お釈迦様が誰に話すか、誰に質問するか、説法の相槌役に誰を選ぶのかは、お釈迦様以外、誰にも推測できないのです。たとえサーリプッタ尊者がそばに座っていても、お釈迦様が遠くに座っているお百姓さんと対話しながら説法することはあり得るのです。
お釈迦様に声をかけられることは、たいへんな意味をもつ出来事なのです。その人は、みなに羨ましがられる存在なのです。そればかりではありません。智慧のある人として、人格者として、心清らかな人として、認められてしまうのです。一般庶民であっても、お釈迦様がたびたび声をかけられる人ならば、その人にはコーサラ国王さえ敬意を払い、何の躊躇もなく信頼するのです。ある在家信者がお釈迦様と話しているところに、コーサラ国王がやってきました。しかしこの人は国王に対する礼にのっとって起立することはせず、坐ったままでいたのです。その無礼には、王も腹をたてました。しかしお釈迦様が王に向かって、その在家信者さんのことを賞賛を込めた言葉で紹介すると、コーサラ王の怒りが消えてしまったのです。また後に彼は再会した王から、「自分と自分のお妃たちのアドバイス役になって下さい」と頼まれることにもなったのです。欲のない彼は、煩わしい人々と関わりを持ちたくなかったので丁寧に断り、代わりにアーナンダ尊者に頼むのが相応しいと、王に尊者を推薦しました。このように、お釈迦様に声をかけられただけで、その人は世間で高く評価されたのです。
出家する比丘たちには、お釈迦様と一緒に生活することが簡単です。一緒に旅をすると、同じ場所で雨安居に入ると、毎日お釈迦様の顔を伺うことができるのです。出家の中で、解脱に達する目的ではなく、楽に出家生活したいと思って入る人々もたまに居たのです。その人々は、お釈迦様と一言葉交わした人であっても、世間でどれほど羨ましがられる存在になるのかと知っていました。汚れた目的で出家した人々は、それが大人気者になるためのチャンスだと思ったことでしょう。彼らは、お釈迦様が大衆に説法するとき、人を押しのけて最前列に座りました。お釈迦様の気を引くために、様々なしぐさまでしたのです。しかし何をしても、徒労に終わりましたが。人々の顔を見て、こころに直接やさしく説法なさるお釈迦様にとっては、ご自分の前で壁を作って座っている人々は迷惑だったろうと思います。その気持ちを「解脱に達する目的のない、こころ汚れた人が目の前で座っていても、その人の存在すら感じないのだ」という言葉で表したのでしょう。
お釈迦様は、スーパースターのような存在では無かったのです。気楽に言葉をかけやすい、悩みごとを言いやすい、質問しやすい、教えてくださいと頼みやすい存在だったのです。微笑みが絶えない存在だったのです。お釈迦様に叱られても、叱られた方は「自分に七宝が降り注いだ」と有り難く思ったのです。招待されると大富豪の家も訪ねましたが、そのついでに、召使の人々とも親しく対話することもあったのです。アナータピンディカ居士の家に召使の女の子がいました。彼女はお釈迦様が自分の友達だと思っていたのです。お釈迦様をこの上なく尊敬するアナータピンディカ居士も、この気持ちには驚愕しました。しかし、彼女はそれを証明してみせました。一生、召使で終わる運命だった彼女は、居士の養女になってしまったのです。
お釈迦様の説法は、街頭演説する形では無かったのです。説法を聴きたいと、千人単位で人々がお釈迦様のおられるところに集まります。またお釈迦様が比丘たちにも知らせないで、独りで出かける場合もあります。その時、召使の人々とも会話をする。畑田んぼで仕事をする人々とも会話をする。職人たちとも会話をする。インド社会では不可触民だと激しく差別されていた人々とも、友人同士のように会話をする。お釈迦様という方は、人の社会的な立場を気にしないで、誰とでも簡単に会話をする人だったと思えます。
しかし、それは違います。お釈迦様は人を選ぶのです。人は誰であっても見境なく会話するのではありません。ただ、お釈迦様が人を選ぶ基準は決して社会的基準ではなかっただけのことです。お釈迦様に声をかけられる基準は、何だったのでしょうか?
それはブッダの語られる真理を理解できる能力があることです。お釈迦様に直々説法されて、教えを理解した人々が、その場で預流果に達することは確実です。お釈迦様の弟子たちの説法を聴いて真理を理解しても、必ず覚りに達するとは言えません。その人々は実践しなくてはいけないのです。お釈迦様は最上の師匠なので、説法するときの説得力は最大です。しかし真理・道徳などにぜんぜん興味のない、財産・名誉の獲得を生きる目標にしている人々に強引に説法しても、猫に小判なのです。逆にお釈迦様に対して嫌な気持ちを抱いたならば、その人のこころに余計な罪が生じることにもなる。お釈迦様の時間も無駄になります。お釈迦さまの哲学の中では、「有意義(atthasamhita)」が一つのキーワードです。この場合は、言葉に意味があっただけで充分ではありません。聴いた人にほんとうに役立ってこそ、有意義なのです。現代社会では、効率という言葉があります。パーリ語では、saphala になります。仏教の有意義には、効率の意味も入っています。私たちには、失礼ながら、「お釈迦様は効率主義者でもあった」と言えるのです。お釈迦様が会話をするために人を選ぶ場合は、その人に、真理を理解して、こころを清らかにして、解脱に達する能力があるか否か、という基準で選択されたのです。
人を選択することは悪いことではありません。悪いのは差別することです。自我意識がある人は、人を差別するのです。お釈迦様には自我意識がないのです。人を選択しないで説法する場合は、理解できる人にも、周りが邪魔になって理解できなくなる可能性があるのです。能力差がありすぎる生徒がいるクラスでは、授業なんかはできないのです。正覚者の時間は、あまりにも貴重なものです。それが無駄になってはならないのです。理解できる人々を選んで真理を語っておけば、のち、他の人々にもその教えをマイペースで学んだり、理解したり、実践してみたりできます。真理を理解して解脱に達している先輩の方々が、後輩を導くのです。ですから、お釈迦様は効率100%を目指して伝道に励まれました。覚りをひらいてから四十五年間、一日も無駄にしないで真理を語りながら旅をされたのです。お釈迦様には人の潜在能力を発見できる智慧があったので、説法は無駄になりませんでした。だからこそ、その教えは現在まで生き続けているのです。それはお釈迦様が正覚者の智慧で人を選択したからこその結果なのです。
サンユッタニカーヤの六処篇ガーマニ相応七 Khettūpama_sutta という経典を紹介します。
お釈迦様がナーランダ町におられた時の話です。刀鍛冶屋さんがお釈迦様に質問します。「釈尊は一切の生命を哀れんでいるのではないでしょうか?」
お釈迦様「はい。如来は一切の生命を哀れんでいます。」
刀鍛冶「では、なぜお釈迦様はある人には丁寧に詳細に説法をなさって、ある人には丁寧に説法なさらないのでしょうか?」それでお釈迦様が、喩えを用いて説明するのです。
あるお百姓さんに、畑が三つあります。ひとつはとても肥沃な土地、ふたつは中くらいの土地、三番目は森のそばにある石ころだらけの荒れた土地です。「居士よ、その百姓が先にどんな畑を耕すと思いますか?」居士が答える。「尊師よ、まず肥沃な土地を耕します。次に中くらいの土地を耕します。もし時間があるならば、牛の餌にでもなるのではないかと思って荒れた土地も耕します。」
お釈迦様が語る。「私にとっては、比丘たち比丘尼たちは肥沃な土地のようなものです。彼らにとても丁寧に詳細に真理を語る。間もないうちに、一切の苦しみを乗り越えて解脱に達するだろうと期待する。彼らは私に頼って、私を指導者にして、私を灯火(ともしび)にして出家しているのです。 次に、在家の男性信者・女性信者は、私にとってまずまずの土地と同じなのです。彼らにも丁寧に説法する。なぜならば、彼らも自分の人生の導きとして、私に頼っているのです。私を灯火にしているのです。 最後に、他宗教の人々にも説法するのです。もし彼らが一言葉でも理解することができたならば、それは彼らにとって長くに渡る幸福をもたらすからです。」
お釈迦様がもう一つ喩えを使います。「居士よ、水瓶が三つあります。ひとつはヒビ割れがなく水を漏らさない水瓶。二つ目はヒビ割れはないが水が滲みだす水瓶。三つ目はヒビ割れて水が漏れてしまう水瓶。
人が水瓶に水を貯めておく場合は、どんな順番で貯めるでしょうか?」 居士が答える。「尊師よ、最初にはヒビ割れのない水漏れしない水瓶です。次は水が滲み出す水瓶です。最後に洗い物にでも使えるだろうと思って、ヒビ割れた水漏れする水瓶になります。」(水瓶とは家庭用に水を貯めて置くタンクのことです。)
お釈迦様は優先的に出家比丘・比丘尼たちに説法する。次に在家の信者たちに説法なさる。最後に異教の人々にも真理を語るのです。
刀鍛冶屋さんは、お釈迦様の説法には濃度の差があることに気付いていたのです。「一切生命をことごとく憐れむブッダなのに、なぜそのようになさるのか?」ということが疑問で、お釈迦様からその理由を明確に知りたかったのです。
濃度の差を理解しておきましょう。出家に語る場合は、何としてでも理解してもらうように詳細に語られるのです。比丘たちから質問があってもなくても、様々なテーマで説法なさるのです。内容も難しいのです。在家に語る場合は、相手の理解能力に合わせて丁寧に親切に語るのです。テーマは日常生活の中で起こる問題になる場合が多いのです。また、説法は相手の質問に合わせるのです。異教の人々には、論理的に語るのです。論争する場合も多いのです。論争的な説法などは、親切で優しい説法にはならないのです。理解の点から考えると、出家の場合は何としてでも理解していただかなくてはいけない。在家の方々には、理解できる範囲で語って、さらに上もありますよと指示して終わるのです。異教の場合は、邪見を残りなく壊すのです。仏教の真理を理解するかしないかは、それほど気にしないのです。
このような差があっても、真理を語る場合は三つのグループそれぞれに完璧に語ります。
隠すものは何もないのです。ブッダには、「真理の一部を言わないでおく」ということは全く無かったのです。
ですから、仏滅後五世紀くらい経ったところで、ある一部の人々が「ブッダが言葉で語らないでおいた真理もあった」と言い出した思想は勘違いです。ブッダが言葉で表さなかった真理があるとするならば、当時の人々だけではなく、五百年経ってからの人々にも知りうる方法はないのです。今回紹介した経典では、お釈迦様はこの三つのグループの人々に完全に真理を語るのだと、しかし、それぞれ順番だけが違うのだと説かれています。ですから、仏教の真理を理解したいと思う方々は、出家に語られたお経でも、在家に語られたお経でも、異教徒との対話でも、理解できるならどれを読んでもよいのです。お釈迦様は、「完全に語る」のです。
今回のポイント
- 理解能力のない人に語ることは無駄な行為です
- 人を選択して教える場合は効率が高いのです
- 憐れみがあったからこそブッダが人を選択したのです
- 対機説法は欠陥説法ではありません
- 一行の偈であっても仏説は完全なのです