No.322(2022年1月号)
不放逸
見方を変えてみる Secular version of diligenc
今月の巻頭偈
2. Appamādavaggo
第二章 不放逸
- Appamādena maghavā
Devānaṃ seṭṭhataṃ gato
Appamādaṃ pasaṃsanti
Pamādo garahito sadā
-
マガヴァー(インドラ神)は、つとめはげんだので、
神々のなかでの最高の者となった。
つとめはげむことを人々はほめたたえる。
放逸なることはつねに非難される。
- 日本語訳:中村元『ブッダの真理のことば 咸興のことば』岩波文庫より
主神の奨励
仏教物語では、神々の王は帝釈天と言います。インドラ神、マガヴァーという名前でも知られています。帝釈天を指すパーリ語はSakka【サッカ】です。経典には、Sakko
devānamindoというフレーズで紹介されており、「神々の王であるサッカ」という意味になります。
サッカまたはインドラ神と呼ばれる神は、昔のインド人が信仰していた神なのです。何か大事なことを説く場合、その言葉の責任者が神であるとしたほうが一般人は信じるものです。パーリ経典にhも、サッカ神に関係のあるものが、相応部経典のサッカ相応を始めとして数多く残されています。「神の言葉だから大事にする」というのが一般的な人間の習慣になっていますが、仏教ではそれと逆方向に神の話を用いるのです。要するに、「尊い真理の教えなので、神も大いに興味を持っているのだ」というスタンスです。仏教では、「神は人間よりも偉い」という立場を取りたくないのです。
今回ご紹介するダンマパダ30偈では、「帝釈天もかつて不放逸を実践したのだ」と説くのです。「不放逸を実践したことによって、ある人間が死後、天界で神の王になった」というエピソードです。偈のなかでは、「不放逸は常に奨励されるものである。放逸は常に非難される生き方である」と強調しているのです。
帝釈天の不放逸
もしも帝釈天が過去に人間でいた時、不放逸を実践したというならば、解脱に達していたはずでしょう。仏教的に見れば、たとえ死後、神の王になったとしても、それは輪廻転生するひとつの生命の境涯に過ぎないのです。仏道修行の結果として称賛するほどのことではありません。
そういうわけで、帝釈天が実践した不放逸は、真理を発見する目的で取り組まれる、今の瞬間に起きる現象を観察するヴィパッサナー瞑想プログラムではなかったことがわかります。彼にとっての不放逸とは、ヴィパッサナー瞑想とは異なる行為であったことは明らかです。今回の法話では、「別バージョンの不放逸」である釈天の実践について学んで、理解してほしいと思います。結論を先に言いましょう。怠けないでやるべきことを直ちに行なうこと。これが帝釈天の不放逸です。
帝釈天の紹介
インド文化では、神々にいろいろな名前をつけるのです。時々、一人の神に千以上の別名が付けられるケースもあるのです。神の物語は人間が作るので、神の名前のリストは人間の勝手で長くなります。実際、そのような神が存在するか否かは、わかったものではありません。
相応部サッカ相応のMahālisuttaṃには、帝釈天の敬称リストが挙げられています。
①maghavā帝釈天が過去生に人間でいた時の名前はmaghaだったので、帝釈天にmaghavāという敬称を使うのです。
②purindado誰よりも先に人々に施しを行なうので、purinndadoと言われます。
③sakkoとても丁寧に、行儀作法にしたがってお布施をするので、sakkoと呼ばれます。
④vāsavo貧しい人々に家を作ってあげたので、vāsavoという敬称を使います。
⑤sahassakkho(sahassacakkhū)いっぺんに千の問題でも解決できる能力があったので、sahassakkho(sahassacakkhū)と称するのです。
⑥sujampatī帝釈天は神ですが、神々と敵対関係を取っていた阿修羅という神霊のsujā女神を妃として娶ったので、sujampatīとも呼ばれます。
⑦devānamindo三十三天に王として生まれて、主権者として支配しているので、devānamindoと敬称されるのです。
帝釈天の信条
帝釈天になる以前、magha【マガ】という名前の人間として生きていた時、彼は七つの信条を真剣真面目に実行していました。帝釈天がかつて実践した不放逸とは、この七つの信条のことです。解脱を目指す観察方法とは違うので、不放逸を実践したのに悟りに達していないことに問題はありません。七つの信条とは、次のとおりです。
①自分が、生きている限り、母と父を養うこと。
②生きている限り、目上の人を尊敬すること。
③生きている限り、柔和な言葉を語ること。
④生きている限り、他をそしる話をしないこと。
⑤生きている限り、物惜しみなく、他人に必要なものを分け与える精神でいること。
⑥生きている限り、真実のみを語ること。
⑦生きている限り、怒らないように努めること。もしも怒りが起きたら、速やかに取り除くこと。
マガさんはこれらの信条を真面目に実践したのです。この七か条で言わんとしているのは、理想的な在家生活の仕方です。解脱を目指すことは在家を離れる行為になるので、七か条に入らないのです。マガさんは壮大なスケールで社会福祉を行なったのです。彼に32人の仲間がいました。死後は、みな同じ天界に生まれ変わったのです。偉大なる社会福祉活動の結果として天界に生まれたので、その天界の名前も三十三天と呼ばれるようになったのです。
不放逸のポピュラーバージョン
本格的な不放逸を世間では実践することは難しいのです。過去と将来という妄想概念をストップして、今の瞬間に集中しなくてはいけないからです。今の瞬間に集中しようとすると、自分・他人という区別が成り立たなくなります。だから、実践者は俗世間から離れたほうがよろしいのです。俗世間は、「自分がいて、他人がいる」という前提で成り立っています。過去の経験を参照することも、将来のイメージを描くことも、俗世間では必要なことです。そのように生活している俗世間の人々を無視して仏教を語るならば、仏教は生存権を失うのです。出家には在家の支えが欠かせないので、在家の人々にも幸福になる方法を教える義務があるのです。そこで、不放逸のポピュラーバージョン(在家版)が現れたのです。
マガさんの七か条は不放逸の在家版にあたります。不放逸ではなく別の用語を使っても構わないのですが、「仏道とは不放逸の実践である」という包括的な定義があるので、在家の理想的な生き方もまた、「不放逸」という用語を使って説かれているのです。
怠けず義務を果たす
在家版の不放逸は、怠けないことだと言えます。「怠けない」と言うと、あまりにも抽象的な概念で実効性がないのです。不放逸とは、ただ頑張れば良い、ということではないのです。そこで、具体的な七か条が出来上がったのです。七か条は、実行することです。それも、命ある限り実行する項目なのです。休み、一時停止などはありません。怠けないで実践するのです。この七か条は、宗教・信仰などとは無縁です。理想的な在家生活そのものなのです。
七か条には、三つのステージがあります。①家族・人間関係、②社会との関係、③人格向上です。「生きている限り、母と父を養うこと」は家族関係の義務です。養う/養われる、という関係性は家族につきものです。「生きている限り、目上の人を尊敬すること」という項目は人間関係に入ります。在家が教育を受ける場合、師匠を敬わなくてはいけないのです。
社会との関係は「生きている限り、物惜しみなく、他人に必要なものを分け与える精神でいること」という施しの項目に集約されています。この項目に、もっとも長く説明が割かれているのです。自分の財産は、必要に応じて他人にケチることなくあげなくてはいけない。また、「施し」を提案する場合は、その人は先に財産を儲けなくてはいけないのです。自分の財産が一箇所に留まっていたら、誰も幸福にならないのです。ですから、財産は流れるべきです。財産を得る、流通させるというサイクルが大事です。在家世界では、皆金持ちで豊かになるわけではないのです。雇われる人、労働者、仕事をできない人、さまざまな理由で財産が無くなって貧困に陥っている人などもいます。「施し」の習慣があるならば、経済活動として投資も成り立つし、貧困の人々に対する福祉活動も成り立つのです。
それから、人格向上のステージがあります。在家として生活することが、人格向上にも繋がらなくてはいけない。だから、「生きている限り、柔和な言葉を語ること」などの言葉の道徳、「生きている限り、怒らないように努めること。もしも怒りが起きたら、速やかに取り除くこと」といった条件が入ったのです。この七か条で、理想的な在家生活を目指す生き方が説かれています。宗教・信仰・迷信などは、意図的にカットされているのです。以上が、在家による不放逸の実践の仕方です。
出家は不放逸で解脱に達するのです。在家は不放逸で幸福にあふれる危険のない在家生活を営み、死後は必ず天界に生まれ変わります。さらに、神々のあいだでも格の高い神になるのです。
今回のポイント
- 不放逸には在家版もある
- 在家は不放逸を怠けないことだと理解する
- 自分の義務をまっとうする生き方が在家不放逸です
- 幸福を目指す在家が不放逸を実践する
- 不放逸の人は人間のあいだで優れている