パティパダー巻頭法話

No.331(2022年10月号)

最凶の敵と最強の味方

敵も味方も自分が作る Worst enemy and the best friend

アルボムッレ・スマナサーラ長老

今月の巻頭偈

3. Cittavaggo
第三章 心[チッタ]の章

  1. Diso disaṃ yaṃ taṃ kayirā
    Verī vā pana verinaṃ
    Micchāpaṇihitaṃ cittaṃ
    Pāpiyo naṃ tato kare
  • 憎む人が憎む人にたいし、
    怨む人が怨む人にたいして、
    どのようなことをしようとも、
    邪なことをめざしている心は
    それよりもひどいことをする。
  1. Na taṃ mātā pitā kayirā
    Aññe vāpi ca ñātakā
    Sammāpaṇihitaṃ cittaṃ
    Seyyaso naṃ tato kare
  • 母も父もそのほか
    親族がしてくれるよりも
    さらに優れたことを、
    正しく向けられた心がしてくれる。
  • 日本語訳:中村元『ブッダの真理のことば 咸興のことば』岩波文庫より

敵を見分ける

私たちは、自分に敵がいるかいないかを確かめたほうがよいのです。一部の人々は、「自分に敵はいない」と言います。「たちの悪い敵がいて困っているのだ」と、悩みを訴える人もいます。敵がいないと言う人々は、わがまま好き勝手に生きようと頑張るのです。自分の生き方で周りがどれほど困っているのか、ということには鈍感になります。敵がいると悩んでいる人々は、周りの人々の考えを必要以上に気にするから、明るく生きることができなくなります。敵がいないと思う人にも、敵がいると思う人にも、明るく自由に、柔軟に生きることはできないのです。ですから、私たちは自分に敵がいるかいないかを確かめてみる必要があるのです。

敵の定義

これは定義できない単語です。自分の考え、生き方、自分の成長、自分の成功などに邪魔をする人が、敵だと思っているのです。しかし、人の生き方、考えなどは、定まったものではありません。それらは簡単に変わるのです。そういうことで、かつての敵が後で味方になってしまうこともあります。人の幸福は何なのかと明確に分かってはいないが、どんな人も幸福になりたいと願っているのです。自分自身が考えた幸福を壊す人、また、幸福を実現する努力に邪魔をする人が敵だと、とりあえず定義しておきましょう。

自我と敵の関係

人間は表向き、社会人として生きているのだと言っていますが、 社会とは個人の集まりです。個人には個性があります。個人は自分の個性を正当化して守ろうと努力するのです。人の生き方のすべてが、「私」という気持ちを中心にして成り立っています。「私」という気持ちがハイライトされると、自我になります。人はいとも簡単に、自我を主張します。自己主張することで、決まって社会から嫌われる性格になります。良い人間だと社会が認めている人でも、自己主張すると嫌われるのです。

自己主張する人にとって、他の生命は敵になってしまいます。我が強い子供は、自分の両親であっても敵だと思ってしまうのです。自我の気持ちは、自分自身で育てて固定する錯覚概念です。人が自我の錯覚を作ったり、強化したり、維持したりしている時、その人は敵を作ったり、強化したり、維持したりもしているのです。ここでは、自我が敵を作るのだと、簡単に理解しておきましょう。ひとりの人間にどれぐらい敵が存在するのかは、その人の自我の錯覚の程度によります。自我を張るまで進まなくても、人は「私」という概念を中心にして生きている個人なのです。個人と他人は、決して同一の存在になりません。過言にはなりますけれど、人が個人でいる限り、他の生命は敵対する存在になってしまうのです

俗世間にいる敵

個人には個人の敵がいます。コミュニティを作ったら、コミュニティに敵がいます。国には敵国があります。知識人には、同じ分野の知識人が敵になります。商人には、他の商人が敵になります。敵という単語の意味が強烈だと思っているから、みな敵に対して「ライバル」という言葉を使っているのです。ある暴力団の組にとって、他の組織はライバルになりますが、この場合はライバルというより敵なのです。一般社会人も、ライバルがいることを認めるでしょう。その場合も、ライバルであると同時に敵にもなるのです。

社会では面白いことが起きます。共通問題が起きたら、ライバル同士で会議を行なったり、話し合ったりするのです。例えば、車の売上が全体的に下がったとしましょう。赤字を減らして利益を上げなくてはいけない、という問題が起きます。その場合、自動車メーカーが医療の専門家を呼んで会議を開く、なんてことはしません。ライバル企業各社の専門家たちが集まって、会議を行なうのです。国会での議論をはじめ、どんな会議もトラブルだらけになります。みなが幸福になる結論には達しません。たとえ家族会議であっても、誰も納得しないままに終わることは度々あります。ライバル同士で生きることは大変なのです。

人々に感動を与える目的で作られる芸術作品も、敵と味方の概念で成り立っているのです。芸術家同士でライバル意識を持っているのは普通ですが、作品の中を見ても、何らかの形で主人公とその敵が存在しているのです。

典型的な敵

部族社会では他の部族が敵なので、互いに戦って、殺し合いをするのです。現代社会でも、敵同士で喧嘩をしています。国家間の戦争はその顕著な例です。戦争まで行かなくても、敵国同士がスパイなどを使って破壊活動をすることは普通にあります。敵は、相手に最大限の不幸を与えたいと企むのです。ふつうに生活している個人にとっても、敵がいることは危険です。敵である相手が自分に対してどんな攻撃をを仕掛けて破壊活動をするのか分からないので、不安に怯えて生活しなくてはいけなくなります。そういう状況に耐えきれなくなって、自分から先制攻撃を仕掛ける場合もあります。しかし、敵同士で互いに破壊活動をしたからといって、最終的な結果は決して平和でも、幸福でもないのです。敵を倒して平和を取り戻すなんてことは、あり得ない話です。

現代社会において、人々は孤立した生活をしています。そこで社会のことを恨んだり、敵視したりすることもあり得ます。そうして自分の精神状態がおかしくなったところで、無差別殺人事件や乱射事件を起こすケースも見られます。人が自我の錯覚を取り除かない限り、世界は危険にさらされたままなのです。

ブッダの言葉

互いに憎み合う二人がいるとしましょう。その片方が、相手にどんな被害・どんな不幸を与えてやろうかと考えているのです。当然、もう片方も同じことを考えています。もし実行されたならば、恐ろしい結果になります。人々は簡単に他人を恨むものです。恨みを抱くもの同士が、お互いに相手に不幸を与えることを考えているのです。しかし、この手の危険は何とか避けることも可能です。憎む人から離れるのです。その人に何の影響も与えられない別な場所、別な環境で生活することです。俗っぽく言えば、逃げれば良いのです。

しかし、逃げることのできない最大の敵が存在します。それは、乱れた思考・妄想に慣れた自分自身のこころです。悪思考・妄想に慣れたら、こころが限りなく悪思考・妄想で回転するのです。思考・妄想するたびに、その人は悪行為をするのです。悪行為・妄想のエネルギーが、自分のこころに染み込んで潜在するのです。敵から逃げることはできても、自分のこころをどこかに逃がすことはできません。人が「自分」と言っている場合は、こころの思考の流れを指しているのです。思考の場合、主語は決まって「私」なのです。自分自身の悪思考が、世界に存在するどんな敵も及びのつかない、想像を絶する不幸を自分に与えるのです。育てていないこころを持つことほどに不幸を司るものは、他に存在しないのです。最凶最悪の敵とは、成長させることを怠った、悪思考・妄想に慣れた己のこころなのです。

味方

自我の錯覚を持っている限り、人に敵はいても味方は存在しない状況のままでしょう。しかし、相手が悪人であろうとも、その人のことを心配することは可能です。慈しみの人がいるとしましょう。その人は性格の悪い人も慈しむのです。すべての生命をことごとく慈しむ性格を持つ人々は、自然には現れません。自我の気持ちをもって生まれる人が、自分自身で努力して、慈しみを育てて、自我の錯覚を破るのです。そのような人格者は、人類の味方なのです。

俗世間的に言うと、自分の両親は無条件で自分のことを心配して慈しんでくれます。親というものは、無条件に我が子の成長と幸福を願うものなのです。そういうわけで、常識的な人間であるならば、自分の最大の味方は両親であると言うのです。両親は、我が子の幸福のためなら、できることは何でもやります。しかし、両親に何でもできるわけではないのです。両親もふつうの人間なので、できることは限られています。無知な人は、両親にできないことまで期待するのです。勉強できなかったことも、一人前の社会人になれなかったことも、良い仕事に就けなかったことも、両親のせいにする愚か者がいます。両親に対して、素直に感謝の気持ちを抱かない人は成功しません。両親に素直に感謝の気持ちを抱いて、そのうえ親孝行するならば、なおさら幸福になるのです。

最大の味方

最大の味方とは、正しく育てられた自分のこころです。こころを育てることが、自分の仕事なのです。具体的には、貪瞋痴の悪思考・妄想を止める訓練をすることです。その代わりに、慈悲喜捨の思考をするのです。さらに、現象をありのままに観る訓練をして、智慧を開発するのです。悪思考を制御して、そのうえ停止することができるならば、その人は真の幸福に達します。智慧を開発することができれば、輪廻の苦しみを乗り越えることもできます。人は幸福になりたいと願っているのです。幸福に達したいと思って、あれこれと努力もしています。実は、幸福になるための方法は思うほど難しくないのです。それは、こころを育てることです。悪思考・妄想を制御して、やがて止めることです。実践を始めた瞬間から、人は幸福と安穏を感じるのです。ですから、人間にとって両親にも勝る最大最強の味方とは、正しく育てた己のこころなのです。

今回のポイント

  • 敵を見極めるべきです
  • 自分の幸福を破壊する人々は敵です
  • 我を張ると他の生命が敵に変わります
  • 未熟なこころが最凶の敵です
  • 両親は信頼できる味方です
  • 正しく育てた己のこころが最強の味方です