8.苦集滅道 2
仏陀の苦行から悟りまで
先月から「苦集滅道」のお話を始めました。
その中でお釈迦さまが真理に出会うまでの道のりをお話ししていたところでしたね。当時のインドで有名な二人の仙人を先生として学び、修行し、先生から「私の教えることはもうない」と言われたというお話をしていました。
苦行すればそれで偉いと思う間違い
さてお釈迦さまは、インドのトップともいえる修行者に教えを乞うた後、まだ何かあるのではないかと思ったのです。「私は、この体験で最終的な心の問題を解決したとは思わない」そう言って、お釈迦さまは先生たちから離れました。中途半端に勉強して追い出されたのではなくてまったく逆です。すべてを知って、それでは足りないと言って出ていったのです。
お釈迦さまが、そのようにいろいろな先生に会って、さまぎまな修行方法を試した期間を延べ苦行六年間といいますが、私は六年間も徹底的に苦行したとは思っていません。ですが、お釈迦さまも六年経験なさったということもあって、苦行は何か人気があります。日本の方々に話を聞いても、宗教すなわち苦行であるというように話す人がいます。そして苦行、荒行をしている人をほめるんですね。日本だけではなくて、世界中どこでも人間というのは不思議なことに、苦行が好きなんですね。好きだけど、自分ではやらないで、誰かがやっていると、一生懸命ほめたり尊敬したりするんです。それなら応援するのではなくて自分でやってみればいいのに、自分ではやらずにほめるだけなのです。
ですから、みんなにほめられたい、認められたい、尊敬されたい、というような良くない考え方を持っている人々の一番の近道が苦行なのです。どんなにつまらない人間でも、苦行を始めてしまえば一週間で仙人になってしまいます。
最近読んだ雑誌にあった話なんですけど、浄土真宗の親鸞聖人は南無阿弥陀仏を唱えなさいという教えなんですね。そこに苦行は関係ないのです。念仏を唱えれば救済されます。それも自分の意思で唱えなくてもかまいません。阿弥陀さまが唱えさせているのです。…そこまで自分の哲学を発展させているいるわけですから。
それなら軽く南無阿弥陀仏と唱えればいいのです。それなのに、その教えを作った本人が、命をかけて修行するのです。自分が南無阿弥陀仏と唱えればいいと言っているのだから、自分もそのように楽にやればいいのに、それではやっぱり世間が認めてくれないのでしょうね。70才になっても21日間の念仏とか、また48日間の念仏、三ヵ月間の念仏など、ずっと寝ないで歩きながら、続けてやっているのです。あれじゃ死んでしまいます。そこまでやるというのは、やはり相当なことだと思いますよ。当時はいろいろ反論もありましたが、そこまでなさると、一般の人はもう何も言えなくなってしまうんですね。そういうケースをみてもわかるように、苦行をする人を見ていて、尊い、立派な人だと思うのはごく自然な当然のことなのです。もちろんそこまで頑張れるということは、それなりに人格者でしっかりした人であることに間違いはないし、皆が驚きすごいと思うのは当然ですが必要以上に持ち上げるのはおかしいのです。ですが、苦行すれば自分も皆も納得する。そんなわけで、念仏の宗教なのに苦行もやってしまうのです。皆様も他の人がなかなか尊敬してくれないなあと思ったら苦行してみてください。
お釈迦様の苦行
お釈迦様は、パーリ聖典では六年間の苦行だとは書いていません。「真理とは何であろうかと六年間探検していた」という風に書かれています。それが後の世に、六年間苦行しましたという風になっていくのです。そういう風になっていくのは、人間のそういう気持ちなのです。
とにかく、お釈迦さまは最後に本格的に苦行に入りました。他の人には絶対できないような苦行をなさったのです。そこまでやれば、誰でも死んでしまうであろうというような苦行でした。まず断食から始めました。一日一食から、徐々に二日間に一食、それから一週間に一食、それからこのように考えるのです。私は一週間に一食、食べているが、食べていることにかわりはないのだから、これをもっと控えなくてはならないと考える。それで食べる量は梅干しひとつ分くらいになる。そして最後にはこう考えてしまったのです。私は梅干しくらいでも食べているのだから、これは贅沢なのだ。この梅干しひとつ分くらいのごはんに自分は欲がある。だから、悟らないのだ。この梅干しひとつ分のごはんもやめよう…。
そうしてお釈迦さまは完全断食を決めてしまいました。完全断食をするということは自殺ですよね。すると神々がものすごく困ってしまった。この方は今世で確実に悟る人なのに、このような完全断食などくだらないことをやってしまったら死んでしまう。それは困るのだということで、神々が出てきて、完全断食だけはやめてくださいとお願いしたのです。でもお釈迦さまは断ります。私は梅干しひとつ分くらいの食べ物に執着しているから悟れないのだ。私は悟りたいのだから食べることはできない、というのです。いくら言っても聞いてくれない。お釈迦さまはものすごく頑固なんです。そうすると神々はこう言いました。それならどうぞご自由に。そんなにあなたが頑固であるなら、我々も我々のやり方でやります。あなたのからだには細胞の穴がいっぱいあいていますから我々はその穴から栄養を入れます…。
現代風に言えば点滴のようなものでしょうか。勝手にそうしてしまうというのです。そうするとお釈迦さまはどうしようもありません。お釈迦さまは、頑固でもありましたが、ものすごく正直でした。自分が完全な断食をしても、神々に栄養を入れられて、丸々と光り輝く美しいからだになったりしたら、自分はとんでもない嘘つきになってしまう。どうしても嘘つきにはなれない。やっぱり完全な断食だけはできないのだ…と、どうしようもなく梅干しひとつ分の量のごはんを食べ続けることにしたのです。それでもその量ですから、どんどんどんどんからだが痩せて、目も窪み、ちょっとおなかを触ろうと思ったら背骨を触ってしまうような、背中を触ろうと思うとおなかの皮膚に触れてしまうようなからだになってしまいました。筋肉も全くなくなって、一回座ったらもう立てなくなってしまってそのまま倒れてしまったのです。倒れたら息もしない。仮死状態になったことも二、三度ありました。それで神々は、この人はやっばり死んでしまったが、もしかしたら死ぬ寸前に悟ったかなあ、それとも悟る前に死んだかなあとも考えました。
そこでお釈迦様のお父さんに、やっぱり息子は死にましたと報告したんですね。するとお父さんは、息子は死ぬ前に悟ったのですか、自分の目的は達成したのですかと聞くのです。神々が、それはちょっとできなかったのだと答えると、王様は、それはありえない、あいつは死ぬ前に、自分が決めた目的だけは達成するのだ、だから死んだわけじゃない、あなた方がわからないだけだと追い返したそうです。いくら神が言っても信じないものは信じなかった。それはわかりやすくするための話ですけど、それくらい苦行されたということです。また食べ物自体でも苦行しました。人間は美味しいものは食べやすいですよね。それで欲が生まれるのです。
ですから「マハーピカタボージャナ」という食べ物を食べたそうです。「ピカタ」というのは「一番変になった食べ物」ということで人間の便なのです。とにかく心の問題を解決したい、その強い思いで、真冬は空き地に行きます。木の一本もないところにいて、雪が降っても風が吹いても空き地の真ん中にいます。そして日が出てくると空き地は温かい。すると今度は森に隠れます。森の中は真昼でもものすごく寒いのです。そんなことが人間にできるでしょうか。
死んでしまいますね。でもお釈迦さまはやっぱりすごく力がありましたから、とにかく頑張ってみたのです。そんな風に、ありとあらゆることをやってみて、とうとうお釈迦さまは「これは無意味だ」という結論を出されたのです。そこまでなさって無意味だとおっしゃったにもかかわらず、世の中の人々はやはり苦行が好きなのです。
とにかくそれほどの苦行をなさったので、からだが壊れましたし、それから後ずっと、からだに後遺症が残っていました。結構からだは弱かったのです。それでも80才くらいまで、一日一時間か一時間半だけ寝て、それ以外は、皆にずっと説法を続けました。智慧も能力も人間に想像できるようなものではなかったのですね。
お釈迦様が真理に出会うまで
苦行の未、お釈迦さまは、とにかくこんなにからだを痛めつけても仕方がないのだと思いました。また逆に、贅沢しても仕方がないとも思いました。からだをいかにきれいに着飾ってもからだというものは、死んで、そして腐っていく。死んだら焼いてしまいます。いくら母親でも息子が死んでその遺体をずっととっておくことはしません。死んでしまったら捨てるしかありません。死んで捨ててしまうものに、贅沢させる必要はない、また痛める必要もない…。
そして、問題は心なのだということを知り、お釈迦様は心を清らかにする「中道」という方法を発見されたのです。いわゆる何ものにもとらわれない、食べ物にもとらわれず適度に食べる、人の言うこともそのまま信じず、自分で考えて判断する。言葉をしゃべるときは、必要な言葉を選んで話す。なんでもかんでも、中道にもっていく。それで悟りを開かれたのです。中道を悟ったのは一日だったという話です。
一日と言っても厳密に一日なのではなくて、ごはんを召し上がって、からだが回復するまで食べて、それから最後にスジャータという大変お金持ちのご婦人が作った栄養たっぷりの乳がゆをいただいて、それでその日に悟られたのです。ですが、中道をどのくらい実践なさったかは書かれていない。私は疑い深いですから、ごはんを召し上がりながら、からだを回復しながら、今までやっていた瞑想はぜんぶやめて、違う瞑想方法を試したのではないかと思います。
そこで完全に悟りを開いたのだと思います。悟りを開いてから釈迦尊が一番最初に考えたことは、この真理は人間にはわからない、言ってもあまり意味がない、言う必要もない、言っても無駄だ…。せっかく真理を自分で発見したのに釈迦尊はそんな風に考えました。人間の心の状態を考えて、これはやっぱりやめようと思ったところで梵天が現れて、それはもったいないことです。わかる人もありますから、説法はしてくださいと頼まれて説法を始めました。なぜ、わざわぎ頼まれてという話をしたかというと、悟った人はすべての煩悩をなくして、自我というものをまったく持ちません。ですから、先生になりたくないのです。世の中をみると、何かちょっと知った人が本を書くわ、講演するわ、有名になろうと大変なのです。大きなお世話です。そのような性格は何か欠陥があります。日本一、世界一、といったアイデンティティを作らなければ気が済まないのです。お釈迦さまはそれは全くなくて、でも頼まれれば、助けてくれと言われれば手を差し伸べる。そういった心境だったのです。(以下次号)