19.お受験で知識をはかれるか 5
試験は地獄か、楽しみか
いろいろなお話をしてきましたが、最後に、試験とは何かということをお話しましょう。それは、以前にも申し上げたように、自分の能力をチェックすることです。それは相手にしかできません。数学の能力をチェックすることは、数学の能力がある人にしかできないんですね。あたりまえのことです。
試験が楽しくて楽しくてたまらない
試験をするということは、自分との戦いなのです。私にどこまでできるかな、どこまで進歩しているかなと、自分をチェックすることであって、他人にチェックしてもらうこと、他人のためにすることではありません。
たとえ先生が100点満点をつけても、「先生から100点をもらった!」というのはとんでもない勘違いです。先生は100点などくれてはいないのです。自分がとったものです。
試験というのは、自分でどこまで走れるか、というチェックです。『腕立て伏せ』を何回できるかというのは自分のことで、誰かに認めてもらう必要はないでしょう。たとえば腕立て伏せを100回やったとします。そばにいる人は「あなたが腕立て伏せを100回やったことを証明します」というのは、どうでもいいことでしょう。自分が100回できたのなら。
試験で80点をとるか、100点をとるか、それは自分がとるのであって、向こう側からもらうものではありません。ですから試験というのは、テレビゲームやコンピューターゲームと何の変わりもないのです。自分には何回腕立て伏せができるか、自分は何キロ走れるかと、自分のことをチェックすることなんです。
そこさえ覚えておけば、どんな試験も楽しくて楽しくてたまらない状態になるのです。試験が近づくとたまらないのです。
試験が地獄になる理由
しかし、我々は相手をつくってしまうのです。「あの組織に認めてもらう」「あの学校に認めてもらう」と『敵』をつくるのです。そうすると受験は地獄になるのです。
たとえば弁護士の免許をとる試験はすごく厳しいのです。それで向こう側を敵にまわしてしまう。悪口を言うんです。「この試験制度は何なのか」「これで人間の能力が量れるはずがない」と。そんなことは放っておけばいいでしょう。そんなことはどうでもいいことなのです。
試験というのは、自分がどのくらい走れるか、自分は何回腕立て伏せができるかという、自分だけのこと。だからテレビゲームにしても同じ。勝っても負けてもたいしたことはない。ゲームではうまく指が動かせれば、かなり高い点数がとれます。うまく動かなかったら、負けてゲームオーバーになるだけ。
試験というのは、そのぐらい単純なことなのです。人間は、試験をする側を敵として高く見てしまう。そうすると、できなくなるのです。それだけではなくて、一緒に試験を受ける人をも敵にまわすのです。ライバル意識を持つ。そうすると、能力もなくなって、何もできなくなる。
それで、いろいろな不幸なできごとが起こります。お受験に母親が苦しむとかね。そういう場合は病院に連れていったほうがいい。病気なのです。
たとえば、幼稚園には400人の子供がいて、そのうち名門に入れるのは50人というと、「すごい厳しいですね。競争が激しい」と言って、他の子供たちにライバル意識をもつ。それだけで失格でしょう。
私も、選ばれるのは1人か2人だけという、競争の激しい試験を受けたところがあります。300人ぐらい受けるうち、選ばれるのは1人か2人だけ。スリランカの競争率は並ではない。私は、みんな友達として話したり、冗談を言ったり、からかったりしていたんです。でもみんなライバル意識が強くて、変な気持ちをもっているのが見えるのです。だから私は自分勝手に「あなたは負けることがもう決まっている」「あなたも負けることがもう決まっている」と言っていました。冗談でゲーム化してしまっているのは私だけなのです。「私は勝ちます。大丈夫だ」と言って遊んでいた。それで300人もいる中で、自分が選ばれたのです。
決まっていますよ。ただの自分だけのゲームなのですから、自分が試験や面接を受ける人々とどんな対話をするかでしょう。そこで、自分のことを気に入ってもらったのです。試験というのはそういうものです。書く試験であろうが、口答試験であろうが、何であろうとも。
日本の大学で博士課程に入るときに、試験がありました。できなかったのは漢文なんです。漢文ができないのは当たり前だからね。この漢文を日本訳しなさいと。これは私にはできません。漢字はいくつかわかりました。一部は書いたのですが、うまくいかないことは知っていました。英語の試験は、私にとっては子供の遊びみたいな感じでした。
ある禅のお坊さんがからかうのです。「漢文はできていませんね」と。
しかし漢文がダメだからあなたはダメとは言えません。「先生、漢文ができないのは、決まっていますよ」と私が言う。結局は先生の方も試験されるのです。「あなたは何を研究しているのか?」と先生が聞く。「こういうものです」と説明するのですが分かってくれない。他の先生たちの中には分かっている人もいましたが、一番偉い人は、全然分からないのです。それで、「あー小乗仏教でしょう」と言うんです。私は、よくもこういう人が大学の口答質問でプレジデントの席に座っているものだと思いました。でもそんなことを思って腹を立てたら負けるんですからね。「そうなんです。小乗仏教ですよ」と言ったら、「あーそう」と言ってそれで終わりました。
試験というのはそんなものです。こちらで向こうを計ってしまえばいいんだからね。試験というのは単なる遊びで、ゲーム感覚でうまくいくのです。
子供たちはなぜ、こんな楽しいことがあるのに苦しむのか。私はうらやましいぐらいなのです。私も試験を受けたいぐらいなんですけれど。
相手に調べられる、相手に計られると思うと、恐くて立てません。その上、このぐらいのライバルがいると思ってしまうと、負けて終わっています。
誰もライバルがいない、敵がいない、これは自分に何回腕立て伏せができるかという、自分の試験なのだと思うこと。単純なのです。その試験がすべてということではないのですから。
私もいろいろな試験に合格してきましたが、結局、今は何の役にも立っていないのです。あんなに競争して仕事の立場もいろいろ得たのですが、全部やめちゃったしね。みんなは「なんてことをするのですか。みんなが羨ましがることをあなたに与えているのに、何で平気で捨てるのですか」と言う。私はただなんということなく「おもしろくないんだ」と答えます。
くだらない試験もあることを知る
試験とは、自分との戦いであって、自分のゲームです。他人を敵だと思うと試験はできない。試験の場合は、人が判断することだから、その人がどんな基準を持っているか、どのぐらいやれば機嫌がよくなるかということを自分で計算して、それをやってあげるというくらいのことで、どんな試験でも合格できると思います。
世の中には試験がいろいろあります。くだらない試験もあります。いじめの試験もあります。落第目的の試験もあります。受験者に見栄をはろうとしてつくる試験もあります。受験をしたら堕落させるぞという試験も世の中にあります。試験についての一番初めの話に戻ったような感じですけど、そこもちょっと覚えておいたほうがいいんです。
『くだらない試験』というと、たとえばリモコンで動く車のおもちゃがありますね。これにも資格があるんですよ。資格をとってもたいしたことはないんですけどね。そうやってくだらないことに合格して、免許もっているのだと言っても、そんなことはどうでもいいことですね。
何年か前、ヨーヨーが人気で、いろいろなヨーヨーの使い方があって、これまた何段階にも資格が分かれていて、くだらないといえば、くだらない。まあ遊びですからね。でも、楽しむのではなくて、あらゆる技を身につけて、くだらない競争をわざと自分でつくって苦しんでいる人もいるんですよ。遊びなのに。ヨーヨーも苦しみに持っていくことができるのです。
世の中には、いろいろゲームみたいなものもありますが、それにも試験を作る。それで苦しむ。習字でも、花でも、なんでも試験にする。頭が悪いのか、心が汚いのか、どちらか分からないのです。人のことを憎んでいるんですかね? 遊んで楽しんで何が悪いのでしょうね? 気楽に楽しく、人生を楽しんで、いろんな技を身につけるということは認めないのです。遊びで剣道をやるとうまくいかないのです。○○段と決まっているのです。そして地獄の剣に刺さってしまうんですよ。それは一般的には、よくない性格ですね。基本的な思考に、何か間違いがあると思います。
『いじめの試験』というのは、子供たちにもあります。自分が勉強していれば、答えはこれですと、すぐ出せるのならいいのですが、どうしても答えが選べないとか、何とか間違えるようにと、からくりを作るのです。受験者にはどうにもなりません。あの先生の質問はどうせいじめだとわかったら、いい加減にやればいいのです。ときどきありますよ。質問は出すけど答えはないという試験が。最近、大学入試で『質問が間違っていました』ということがよくあります。質問をつくった人々は、人格が悪いのです。単なるいじめです。「自分は知っている。できればお前ら答えてみろ」と。冗談じゃないですよ。人の能力を計ることだから、正しい試験というのは、「こういう答えです。あなたは知っていますか」という態度をとることでしょう。本気でやらなくてはいけない試験なのに、問題に間違いがあった。たとえば4選択や6選択の問題の場合は、全部答えでない。あるいは正しい答えが二つある。でも頭がいい人で、正しい答えを二つ見つけたらどうするか? その人は二ヵ所に印をつけるでしょう。そうすると、それは失格になるんです。とんでもないことなんです。そういう『いじめ試験』もあります。