根本仏教講義

20.ブッダの育児論 6

偉大なる慈しみのメッセージ

アルボムッレ・スマナサーラ長老

先月は『吉祥経』の中から、成人した一人前の人間が為すべき仕事について、いくつかの項目をお話し致しました。
・ 親の恩を忘れずに親の面倒をみる。
・ 妻子を養う。
・ 罪を犯さず、酒を慎む。
・ 驕りを捨て、謙虚さを学ぶ。
・ 得たもので満足する。

(前号から続きます)

法を聞き、真理を発見する

それから定年で退職する頃には法を聞くこと、つまり仏教を勉強することが大切です。六十歳や七十歳になっても飲み屋を歩き回ったり、妻がいるのに他の女性を求めたりしていては、大変な不幸に陥ります。お釈迦さまは「年を取ったら異性に対する欲は捨てて修行しなさい」と諭されました。医学では、男性は八十歳や九十歳になっても異性との関係がもてると言われているようですが、それは屁理屈で、やはり高齢になったら自分の体力は守った方がよいのです。そしてお釈迦さまが説かれた存在の真理、苦集滅道の真理を発見できるように励むことです。

涅槃の体得

そして最後には、苦しみの滅、究極の幸福である「涅槃」を体得できるように修行することです。これは必ずしも出家しなければならないということではありません。経典には出家するようにとは書かれてありませんから、在家のままでも、怠らずに精進すれば涅槃に至れるということです。もし子供を正しく育ててきたなら、子供は自分の面倒を見てくれるでしょう。食事ぐらいは作ってくれると思います。それで自分には暇ができますから、その時間で真理を目指して精進すれば、涅槃さえも得られるということなのです。

人生のプログラムはこれですべて終了です。仏教の育児とは、幼少期のことだけでなく、生まれてから死ぬまでの一生涯の教育のことなのです。死ぬ時には究極の幸福である涅槃を体得しましょうという広大なスケールのプログラムなのです。

人生の成功者

お釈迦さまが説かれたこれらの項目を実践して成功を収めた人の心はどのようなものか、ということが次に示されています。世の中には損や得、賞賛や非難、名誉や不名誉、苦や楽などがありますが、これらのことに触れても心は混乱せず、平静である。憂いや悲しみ、未練がなく「これがやりたい、あれがやりたい」という欲もない。心が安定して平和がある。お釈迦さまは「このような人はいかなることにも負けず、あらゆる場面で勝利を得、幸福が得られる。これこそが人間の生きる道です」と仰られ、この経典を締めくくられました。

親の役目・子の役目

それから親と子が互いに幸福に生きるためには、親子の関係を正しく護る必要があります。『六法礼経』Singâlovâda suttaという経典には、親と子がそれぞれ果たすべき役目が具体的に述べられています。

親に対する子供の役目

  1. 両親を養う。
  2. 両親の仕事や義務、用事をバトンタッチする。
  3. 家のしきたりや習慣を守る。
  4. 両親から受け継いだ財産を無駄にせず、きちんと管理する。
  5. 両親が亡くなったら供養する。

子供に対する親の役目

  1. 悪い行為をしない人間に育てる。
  2. 善い行為をする人間に育てる。
  3. 教育を受けさせる。
  4. 相応しい結婚相手を見つける。
  5. 財産を譲り、自分は身を引く。

以上の項目を親と子がそれぞれ実践するなら、親子の関係でトラブルが起こることはない、とお釈迦さまは説かれました。ここでは『六法礼経』の中の一部、親子関係だけを紹介しましたが、その他の関係(師弟関係、夫婦関係、友人関係、上司・部下の関係、宗教家・在家者の関係)については、Patipadâ合冊版2002年「根本仏教講義」に掲載されていますのでそちらをご参照下さい。

慈しみのメッセージ ―父から息子へ―

最後に、お釈迦さまとラーフラ尊者との美しい対話をご紹介いたしましょう。
お釈迦さまには息子が一人いました。名前をラーフラと言います。息子は七歳の時に出家しましたが、もともと釈迦族の王子として出生し、宮殿で贅沢に暮らしていましたから、出家してかなり苦労したのではないかと思います。母親も、世話をしてくれる家来たちもいませんし、美味しいものも食べられません。父親であるお釈迦さまも、我が子だからといって息子を特別に可愛がることはなされませんでした。仏教の世界では皆平等ですから、お釈迦さまはラーフラ尊者をサンガの一員、出家者の一人として扱い、そして心配なされていたのです。ある日、お釈迦さまはラーフラ尊者に会われ、このように訊ねました。

「ラーフラよ、共に生活しているからといって君は賢者を軽蔑していませんか? 人類に灯火を掲げている人、智慧の光を与えている人を尊敬していますか?」と。
これは誰のことかといいますとサーリプッタ尊者のことです。お釈迦さまは息子には善き友、善い環境を与えなければならないと考えて、智慧第一と称せられたサーリプッタ尊者に息子の教育を任せました。やはり父親なのです。息子を育てるにあたって人を選ぶ場合は、智慧第一人者に任せたのです。サーリプッタ尊者という方は、明晰な頭脳、抜群に鋭い智慧を備えつつも大変謙虚な方でしたから、子供はサーリプッタ尊者を遊び相手にして、失礼なことでもする可能性があるのです。お釈迦さまはそこを心配なされて「君は人類に灯火を掲げている人を尊敬していますか?」とラーフラ尊者に訊かれるのです。

ラーフラ尊者は答えます。「共に生活しているからといって賢者を軽蔑するようなことを、私は致しません。人類に灯火を掲げている人を、私は常に尊敬しています」と。
ここをよく覚えておいてください。これは仏教の中でも大変立派な言葉の一つです。「人類に灯火を掲げている人を私は常に尊敬しています」という言葉。私たちは誰を尊敬すべきかといいますと「人類に智慧の光を与えている人」なのです。この幼い子が「私は常に賢者を尊敬しています」とはっきり言うのです。

さらに父親は息子に語り続けます。ラーフラ尊者は出家しましたから在家の時のようにふざけて遊ぶことはできません。そこでお釈迦さまは息子に立派な比丘になることを教えられるのです。

「世の中のさまざまな喜ばしい五欲の対象を捨て去りなさい。君は家を離れ、出家したのですから、輪廻の苦しみを終滅しなさい」
「善い人と付き合い、騒音の少ない静かな所で生活しなさい。飲食の量を知りなさい」
「衣、食べもの、薬、寝る所に対して “私のもの”と執着してはいけません。再びこの世に還り来ないように」
「比丘として、出家者として、常に戒律を守り、眼耳鼻舌身意に気を付け、行儀などの身体の行為を観察し、落ち着いていなさい」
「外界のさまざまなものを見ても“美しい、きれい” と愛着するのをやめ、不浄を観察し、心を統一しておきなさい」
「心に潜む慢心を捨て去りなさい。そうすれば君は慢心を滅ぼして、安穏な日を送るでしょう」
と、最後には涅槃を体験するところで話を終えられました。

これは父親の息子に対する「偉大なる慈しみのメッセージ」です。我が子が輪廻の中で彷徨って苦しみにあえいでいるさまを見るのは、親にとって耐え難いことです。お釈迦さまは「たとえ国王という地位や権威を握っても、有り余るほどの金銀財宝を手にしても、それで心の平安は得られない。だからそういうものに心を奪われず、存在の苦しみ、輪廻の苦しみを終滅しなさい」と、息子に慈しみのメッセージを送られたのです。

古今東西を問わず、どんな親でも自分の子供が問題を起こさず、苦しまず、幸福に生きることを望んでいるのではないでしょうか。もしそうなら「良い成績をとりなさい、○○ちゃんに負けるな」とか「一流企業に就職しなさい」などと子供に過大な期待をかけてストレスを与える替わりに、「欲張ってはいけないよ。あれも欲しいこれも欲しいと欲を出せば苦しむのは君だからね。苦しみを終えなさい。苦しみを解き放ちなさい」と慈しみの言葉を伝えてほしいものと思います。

(完)