根本仏教講義

25.自ら試し、確かめる 4

悟りを開いた人たち②

アルボムッレ・スマナサーラ長老

お釈迦さまは悟りを開かれた日から涅槃に入られる日まで、無数の人々に出会い、法を説かれ、人々の苦しみを解決し、悟りに導かれました。その代表的な方々を何人かご紹介しましょう。
(前号から続きます)

国の王様

ビンビサーラ王とアジャータサットゥ王

当時のインドの大国の一つ、マガダ国の王様、ビンビサーラ王(Bimbisâra)は、平和を好む落ち着きのある素晴らしい王様でした。古くからお釈迦さまの友人であり、仏教に帰依していました。竹林精舎というお寺を建立して、お釈迦さまとサンガ(僧団)にお布施したのをはじめ、常に仏教を保護していました。ところが王の息子であるアジャータサットゥ(Ajâtasatthu)は、デーヴァダッタに唆されて、この素晴らしい父親を牢獄に監禁し、殺してしまったのです。しかしアジャータサットゥは王に即位したのち「自分はなんということをしたのか。欲のない父を殺してしまった。私のことをあれほど慈しみ、心配してくれていたのに、私はその父を殺してしまった」と自分が犯した罪を悔い、激しく悩みました。いてもたってもいられなくなったアジャータサットゥ王は、お釈迦さまのところに行くと、お釈迦さまに会った瞬間、お釈迦さまがまるで亡き父のような存在に見え、それまでの途轍もない苦しみがすーっと消えていったのです。以来、アジャータサットゥ王はお釈迦さまを実の父親のように大切に敬い、ビンビサーラ王以上に仏教を保護し、貢献したのでした。

コーサラ王とマッリカー妃

コーサラ国も、当時の大国の一つです。その国王、コーサラ王(Kosala)は国土を広げるために他国を攻めたりするどうしようもない王でした。でも、お釈迦さまのことが大好きで、よく話を聞きに行っていたようです。コーサラ王にはマッリカー(Mallikâ)という美しいお妃がいました。彼女は敬虔な仏教徒であり、お釈迦さまの説法をよく聞いて謙虚に生きていました。性格が大変良いものですから、王はマッリカー妃のことが大好きでした。一つ有名なエピソードをご紹介いたしましょう。

ある日、コーサラ王とマッリカー妃が座って話しをしていました。王様はお妃に「お前にとってこの世の中でいちばん愛しい人は誰か?」と尋ねました。当然、王様は甘い答えを期待していたのです。しかしお妃は「この世の中でいちばん愛しい人は自分です」と答えました。お妃は頭の良い方でしたから、お世辞や嘘は言わず、正直に答えたのです。がっかりした王様を見たマッリカー妃は、逆に王様に尋ねました。「王様にとって、この世の中でいちばん愛しい人は誰でしょうか?」。そうすると王様も「よく考えると自分のことがいちばん愛しい」と正直に答えたのです。後日、二人はお釈迦さまのところに行き、この話をしたところ、お釈迦さまは次のように説かれました。「人は誰でも自分のことがいちばん愛しい。同様に、どんな生命も自分のことがいちばん愛しい。自分のことを愛しいと知るものは、わが身に引き比べて、他の者を害してはならない」。

共和国のリーダーたち

当時のインドの政体は王政が多く、マガダ国もコーサラ国も王政でした。しかし中にはヴァッジ国(Vajji)やマッラ国(Malla)などの民主的共和制の国もありました。お釈迦さまはそのような国々でも、指導者たちに法を説かれていました。

自ら確かめなさい(カーラーマ族)

あっちの教えを聞き、こっちの教えを聞き、また別の教えを聞き、いろんな教義や修行方法、哲学を聞いて、やがてどうにもならなくなり、迷ってしまうという人々が、今も昔もいるものです。そういう人々に対してお釈迦さまはどのように話され、彼らの迷いを解決なされたのでしょうか。これは在家の方々に対する説法です。

ある村に、カーラーマ族という人々が住んでいました。ある日、お釈迦さまがこの村を訪れたとき、村の人々は「またどこかから宗教グループが来た」ということで、うるさく騒いでいました。なぜうるさいかというと、この村には宗教家や沙門、バラモンたちが次々に訪ねて来て、神のことや魂のこと、来世のことなど、いろんなことを話し、「自分の教えこそが正しい」と言って村を出て行くのです。あるグループが説法して帰ったら、別のグループが来て、前のグループが話したことを「あの教えは間違っている」と非難し、「正しいのは私の教えだ。私の教えこそが正しい」と主張して帰るのです。しばらくすると別のグループが来て「あの教えは全部間違いだ。正しいのは我々の教えである」と主張するのです。そういうふうに次から次へと宗教家や沙門、バラモンたちが訪ねてきて、自分の教えを正当化し、他人の教えを徹底的に非難していました。そこで、村の人々はお釈迦さまにこのように言いました。「我々はもううんざりです。人が話すことは信じられません。真実を語っているのか、偽りを語っているのかという疑いが起こり、混乱するのです」と。

そこで、お釈迦さまは次のように説かれました。「カーラーマたち、あなたがたの態度は見事です。疑うのは当たり前です。不確かな話を疑うのは当然のことです。人の話を受け入れるとき、

  • 耳で聞いたこと(神の声など)に頼ってはならない。
  • 世代から世代へと言い伝えられたものに頼ってはならない。
  • 伝統や伝説、風説に頼ってはならない。
  • 聖典や古典に頼ってはならない。
  • 論理(思弁)に頼ってはならない。
  • 理屈や理論に頼ってはならない。
  • 人間がもともと持っている見解に頼ってはならない。(たとえば日本人なら日本独自の考え方や論理の組み立て方など)
  • 自分の意見や見解と同じということに頼ってはならない。
  • 説く人の立派な姿かたちに頼ってはならない。
  • 説く人の肩書きに頼ってはならない。

続けてお釈迦さまは説かれました。「何が善いのか、何が悪いのかを自分で考えてください。ある人の話が不善であり、賢者に非難されるものであり、苦しみをもたらす教えなら、その教えから離れてください。善であり、賢者から非難されるものではなく、幸福に導く教えであるなら、その教えを受け入れてください」。
このお釈迦さまの理性的な説法が終わると、村人たちはお釈迦さまに帰依し、仏教徒になりました。

「芸は天国への道」と信じていた芸人

「芸は天国への道」と信じていた芸人がいました。彼は芸が上手で、大勢の人が彼の芸を見て楽しんでいました。彼はいつも真剣で「私の芸を見て大勢の人が笑い、楽しみ、喜びを感じている。だから私は頑張らなくてはいけない」と考えていました。そして「芸で人々を笑わせ、楽しませる人は、死後、天国に行く」と信じていたのです。

ある日、この芸人がお釈迦さまにお会いしました。そしてこのように尋ねました。「お釈迦さま、私は毎日正直な気持ちで芸をやっています。芸の師から口伝として、献身的に芸をやり、人々を楽しませ、笑わせれば、死後、天国に生まれ変われると聞いております。お釈迦さまはこれについてどう思われますか」と。お釈迦さまは「その話はよしましょう」と言いました。しかし、芸人は同じことを再び聞いたのです。お釈迦さまは同じように「その話はよしましょう」と言いました。しかし芸人はまた同じことを聞いたのです。そこでお釈迦さまは「私はその話はよしましょうと言っているのに、あなたは三度も聞きました。では答えますから、お聞きなさい。あなたが皆の前で欲の場面を演じたことによって、多くの人はますます欲を増大させました。あなたが怒りの場面を演じたことによって、多くの人々はますます怒りを増大させました。あなたが愚かな場面を演じたことによって、多くの人々はますます愚かになりました。自分だけでなく、他人の欲と怒りと無知を増大させたのだから、あなたは死後、地獄に落ちるでしょう」。

お釈迦さまの話を聞いた芸人は、泣き崩れました。「今までの自分の人生は何だったのか。芸の師は私に何を教えたのか。これこそが天国に行く道だと聞かされ、私は命賭けで芸をやってきたのに、これからどうすればよいのか」。その人は立ち上がれないほどのショックを受けました。

その様子を見たお釈迦さまはこのように諭されました。「人の道はそちらにあるのではありません。身体で善いことをし、言葉で善いことを語り、頭で善いことを考え、心の汚れをなくすことが人の道です」と。その芸人はその場で出家し、修行に励み、やがて悟りを開いたのです。

(次号に続きます)