根本仏教講義

28.希望と欲望 4

正しい希望の持ち方①

アルボムッレ・スマナサーラ長老

これまで「希望と欲望」のうち「欲望」について説明してきました。いわゆる「望み」のなかには善い望みと悪い望みがあり、このうち悪い望み「欲望」についてお話いたしました。今回から善い望み「希望」について仏教の観点からお話したいと思います。
(前号から続きます)

怠け者は牛のように老いる

仏教は希望を持つことを否定しているのかというと、そうではありません。それどころか「希望を持って頑張りなさい、励みなさい」と、大いに応援しているのです。

八正道のなかに「正精進」という言葉があります。パーリ語でSammâ vâyâma(サンマー ワーヤーマ) と言います。Sammâは「正しい」、vâyâmaは「精進する、努力する」という意味で、「正しく努力する」という意味になります。

そこで、私たちは希望がないとなかなか努力しません。私たちがなぜ努力するのかといいますと、何らかの希望や目的があり、それを実現させるために努力するのです。

希望のない人は何も努力しようとせず、ただ怠けているだけです。仏教はこの「怠(なま)け」や「怠ること」をものすごく嫌っています。お釈迦様は怠ける人のことをきつく批判しました。とくに出家者にたいしては厳しいですから、出家者が怠けたら、もう人間扱いしないのです。

Appassutâyam puriso,
Balibaddho’va jîrati;
Mamsâni tassa vaddhanti,
paññâ tassa na vaddhati.

学ぶことの少ない者は
牛のように老いる。
肉は増えるが、智慧は増えない。
(ダンマパダ 152)

怠け者は、食べて食べて楽をして牛みたいに太るだけです。智慧はまったく成長しません。お釈迦様は怠ける人のことを牛のように見て、人間扱いしなかったのです。

正しく頑張る

仏教は高度な道徳である「精進・努力」を高く評価しています。しかも、ただ努力すればいいという生易しいものではなく、「瞬間も怠けてはなりません」と厳しく教えています。

精進・努力というのは、分かりやすく言いますと「頑張る」という意味で、でも、なんでもかんでも頑張るというのではなく、正精進(Sammâ vâyâma)「道徳的で立派な人間になるために正しくコントロールして頑張る」という意味です。正精進には四つあります。

正精進(1) 今ある悪いところをなくす

一つ目は「自分の悪いところやダメなところ、いけないところを直すために努力する」ことです。
この「悪いところ」とはどういう意味かといいますと、お釈迦様が使われた言葉は、不善(akusala)で、「巧みではない、上手ではない、下手」という意味です。何か不善の性格があるなら、それを努力して直さなくてはなりません。不善にはいろいろありますが、とくにお釈迦様が厳しくおっしゃったのは「怠けてはならない」ということです。

■ 怠け者は朝遅くまで寝ている

朝早く起きられない人は、努力して、その怠けの性格を直さなくてはなりません。徹夜で仕事をした場合は例外ですが、一般的に私たちは夜寝て朝起きて活動します。朝早く起きれば、仕事がたくさんできるのです。とくにスリランカなどの南の国々では、朝四時ごろに起きるとかなり元気に能率よく仕事ができます。十時や十一時ごろになると気温が上がって暑くなり、そのため仕事のスピードが落ちてしまいます。暑いので身体が疲れて仕事ができなくなるのです。それで日中少し休んだ後、また仕事を始め、夜の七時か八時ごろまで仕事をします。

日本は気候や環境が違いますが、それでも朝早く起きれば時間を有効に使うことができますし、効率よく一日を過ごすことができるのです。

■ 浪費ぐせと贅沢ぐせ

お金の管理が下手な人は、頑張ってそれを直すように努力しなくてはなりません。お釈迦様は在家の方々にたいして、財産の管理は家庭の主である奥さんにまかせてくださいと教えました。旦那さんは外で仕事をしてお金を持ってくる。そして奥さんがそのお金を管理して家計のやりくりをするのです。

そこで、もし奥さんが欲深くて贅沢が好きで、旦那さんが稼いだお金をすべて自分の欲しいものに使っていたなら、当然その家庭は崩壊するでしょう。贅沢もお金の浪費も、不善行為で悪い生き方です。そういう性格のある人は、努力して戒めて、心を直さなくてはなりません。といっても、もし奥さんが精神的に弱い人で、浪費ぐせの性格を改めることができず、品物を見たら買い物せずにはいられない、いわゆる買物症候群とよばれるような病気を持っているなら、奥さんにお金の管理をまかせることはやめてください。そのほうが家族のためになるでしょう。

誰にでも弱点や欠点はあるものです。そこで、そうした自分の悪いところを見て、見て、見て、その悪いところを直す努力をすること、これが幸福への道です。私たちには悪いところやだらしないところがいっぱいあります。ですから日々努力精進しなければなりません。ひとつ悪いところを直すと、別のものが顔を出します。隠れていて、さっと顔を出すのです。それを直すと、また別のものが顔を出します。ですから私たちは常に努力して、自分の悪いところを直していかなければならないのです。

正精進(2) やったことのない悪いことをこれからもやらない

正精進の二番目は、今までやったことがない悪い行為を、これからもやらないように努力することです。世の中には悪行為や破壊行為がいっぱいあります。たとえば、一度も麻薬に手を出したことがないのに悪い友達に誘われて、じゃあ一回だけやってみようと興味本位で手を出す人もいるかもしれません。でも仏教は「麻薬には絶対手を出してはならない」と教えています。「あなたは今までやったことがないのだから、これからも頑張って、どんなに誘惑されても、やらないことを守り通してください」と。その点では徹底的に頑固になってもかまわないのです。

一度も酒を飲んだことがないとしましょう。会社の上司や同僚に誘われて居酒屋に連れて行かれ、みんなに「まあいいじゃないか、一杯だけ飲みなさい」と誘われても、きっぱり断ってください。「私は一度も酒を飲んだことがないのだから、これからも絶対に飲みません」という態度をしっかり守ったほうがよいのです。

このように、今までやったことのない悪い行為はこれからもやらないよう、自分を戒めなくてはなりません。世の中は誘惑だらけです。社会を見ると、何十年も真面目に生きてきた人が突然悪いことをする、ということがあります。五十歳まで真面目に仕事をしてきたのに、五十一歳でお金を取ったとか、浮気をしたとか。それで今までこつこつ積み上げてきた成果も信頼も全部消えてなくなってしまうのです。ですから「今までやったことのない悪行為は、これからもやらないように努力すること」が大切なのです。

ある、やり手の若い営業マンが自分の会社に入ってきたとしましょう。その人はうまい口調で人を騙し、何かちょっと不正をしたりして、顧客をたくさん獲得していきました。自分はこつこつ正直に営業をやってきたのに、その人に先を越されてしまう。それでどんどん悔しくなるのです。おまけにその人はブランドのネクタイを締め、ブランドのカバンを持ち、ブランドの腕時計をはめています。でも、自分は三千円の時計。なんで自分はこんなに苦労しなくちゃいけないのか、まじめに働いているのがばからしい、とみじめな気持ちになったりします。これも一種の誘惑です。

お釈迦様がおっしゃるのは、あなたはそれでいい。悪いことはやらないでください。あなたは今まで悪いことをやらなかったのだから、いくら誘惑されても頑張って、歯を食い縛って、自分のポリシーを貫いてください。勇気を持ってください。間違ってでも悪いことをしてはなりません、と教えています。

(次号に続きます)