バカと言われると腹が立つ/実況中継を失敗してしまう/実況中継の言葉が出てこない/正しく冥想できているか不安
パティパダー2015年4月(210)
バカと言われると腹が立つ
「あなたはバカだ」と言われるとバカになったような気がして腹が立つのですが、観察することで怒らないようになるのでしょうか?
「確認」で怒りを克服
理にかなった観察をしてみましょう。例えば、人があなたに何か文句を言ったとします。それを聞いてあなたは怒るでしょう。もう怒ったのですから仕方ありません。それで、怒った瞬間で、怒りに合わせて好き勝手に妄想することを止めましょう。「怒りが起きた」と確認するのです。そして、なぜ怒ったのかと観ると、相手の言葉が原因だと発見する。では、相手の言葉に怒りを起こす力があるのかと観てみる。観察してみると、ただの言葉だということを理解するはずです。相手の言葉を自分の主観で解釈したから、怒りがこみ上げてきたのだ、という事実を発見する。そこまで分かってくると、起きた怒りが直ちに消えてしまいます。
では「あなたはバカだ」と言われたとする。その人が「あなたはバカだ」と言ったからといって、あなたが本当にバカになるのでしょうか? そこがおかしいのです。
ひとが誰かに「あなたはバカだ」と言ったとしても、だからってバカになるわけではないでしょう。誰かが男性に向かって「あなたは女だ」と言ったとしても、その人は女にはならないでしょう。ですから、相手の言葉に乗って感情が起こったとすれば、それはあなたが妄想した結果なのです。
間違えながらでも観察を続けましょう
とは言ってみても、よく失敗しますよ。しかし、たとえ失敗して感情が起こったとしても、それも観察してみるのです。そのように間違えながらでも観察を続けてみると、どんどんと腕があがっていって、心は明るくなって自由になっていくのです。
観察の訓練を重ねれば、もし「あなたはバカだ」と言われても、怒りの感情を起こさずに「悪かったね、申し訳ない」「生まれつきですよ」と冗談を返せるようにもなります。怒るとそれはできないのです。
ですから、言葉を聞いて感情が現れて、瞬間に妄想してしまうのです。それについて、お釈迦さまは「禁止、やってはいけない、それではあなたはずっと束縛されたままだ」と教えているのです。ということで、そこで観察を入れてみるのです。観察を淡々とやってみる必要があります。
智慧を開発していない人々は、思考・知識・感情に頼って生きていなくてはいけないのです。その三つは、他人の言葉にすぐ反応するのです。我々の知識は、他人から教えられてきたものです。思考パターンも、他人の影響で変わります。私たちは、自分の感情を他人の感情に合わせようともします。要するに、人は精神的に弱い存在です。自立していないのです。ですから、簡単に人の言葉に乗せられてしまうのです。これは徹底的に注意しなくてはいけないポイントです。仏教から言えば、人は理性のある人・道徳的に優れた人・智慧がある人の話に耳を傾けるべきです。誰の話でも聴いて、乗る必要はないのです。
「あなたはバカだ」と言われたら、なぜ瞬時に怒ってしまうのでしょうか? 言葉を変えてみると、分かりやすいのです。「あなたは日本の総理大臣だ」と言われたら、その話に乗りますか? 笑ってしまうことはあっても、その話には乗りません。言った人の前で、総理大臣のような真似をしても、ただふざけて遊んでいるだけです。話には乗ってないのです。理由は、自分は決して日本国の総理大臣ではないからです。では、「あなたはバカだ」と言われたら? 怒ってしまいます。ということは、自分自身にも痛いところがあったのではないでしょうか? 理性のある人々が客観的なデータに基づいて言う話は、真剣に考慮しなくてはいけないのです。他の人々の話は、ほとんど無駄話です。聞き流しちゃえばよいのです。ひとの勝手な判断によって、自分の性格は変わりません。「あなたは天才だ」と言われても、自分は天才になりません。そういうことで、人の言葉が耳に入るときは、注意しましょう。
実況中継を失敗してしまう
日常生活や仕事中の実況中継ができるときと、実況中継しようとしても失敗するときがあります。どうしたらいいでしょうか?
実況中継のやり方が問題
それは、その通りでしょう。実況中継を実践しても、何の効果もなく失敗で終わるはずはないのです。これは正覚者であるブッダの指導です。しかし、私たちの場合は、やってみたところで、上手くいくときも、大失敗するときも当然あります。問題は、何故そうなっているか、なのです。
そこで実況中継のやり方の問題が出てくるのです。冥想指導では「実況中継は、感覚を言葉で確認することである」と、ものすごく強調して言っています。それは、気づきの訓練がまったくない人に教えるやり方なのです。子供が自転車に乗れるようになるためには、補助輪が必要です。言葉というのは、補助輪みたいな役割のもので、それで自転車が倒れないようになっているのです。でも、それだけでは自転車に乗っている、上手に運転できているということにはなりません。
やがて補助輪を外すことができて、それから自転車であらゆる工夫をしながら乗れるようにもなっていくのです。そうなると、一輪車にも乗れるようになったりします。一輪車に乗っても、きちんと運転できます。カーブで左右に曲がったりすることもできるし、その気になればバックすることもできます。自転車ではバックはできません。ですから、補助輪を付けて自転車に乗っている子供が、「一輪車に乗れることはあり得ない」と言うのは、おかしな話です。それは訓連と経験の問題です。実況中継の実践の場合も同じことで、訓連と経験次第で、失敗することが無くなるのです。
そういうことで、冥想では実況中継が基礎です。特に歩く・立つ・座る冥想の場合は気を付けてほしいのです。決して言葉での実況中継を捨ててはいけません。実況中継を捨てた途端、冥想は脱線してしまって、どこかで引っかかって止まる恐れがあります。
「実況中継」と「気づき」
無執着の心をつくるために、物事が瞬間瞬間変化して無常だということを理解するために、補助輪となる実況中継が必要なのです。それはずっとやってほしいのですけど、言葉で実況中継できないときもあります。
例えば、私は今喋っています。その時、どうやって喋りながら実況中継ができますか? この場合、私は何に集中するのかというと、喋っている内容・意味なのです。この場合は実況中継ではなく、気づきなのです。「気づき」という単語を分解して、私は「実況中継」と「気づき」の二つにして説明しています。
そういうことで、私が喋っている場合は実況中継していない。その代わり、気づきがあるのです。何を喋るのかということです。気づきがある瞬間で次に気づくのは、人に喋っているのですから、人の理解にも順番があるということ。次に気づくのは、この内容をどのような順番で喋ればいいのかということ。次に気づくのは、どんな単語を選べばいいのかということ。それから、実際に声に出して喋るのです。その時、瞬間に気づきをたくさんやっているのです。
ですから、何か質問をされたら瞬間で、きちんと丁寧に答えられると思っています。それは結構な早業です。だいたい質問しようと来た瞬間に答えも作って待っています。その場合は言葉で実況中継はしていないのです。
繰り返し実践して上手になりましょう
とにかく、言葉での実況中継・気づきが上手になるしかありません。上手になる方法は、繰り返し実践してみることです。トライ&エラー(試行錯誤)でやってみて、それで気づきが上手になるのです。
例えば、メールなどを打ったりするときは実況中継できません。その時は何に気づくのかというと、メールを打つということは、自分のアイデアを文字にすることでしょう。ですから、そこに集中しなくてはいけないのです。頭の中にあるアイデアに気づくのです。ですから、気づく場所を間違えないようにしてください。キーボードを無作為に打っただけではメールになりません。
アイデアに気づいたら、順番としては次に言葉に気づくのです。そういう流れは瞬間に起こります。そして言葉が出来上がって、それからキーボードを打つことになるのです。ですから、アイデアも何もないのに実況中継してキーボードを打とうと思っても、それでは引っかかって失敗します。
気づく対象はその都度変わります
その都度その都度、何に集中して気づくのかというテーマが変わります。トイレに行くときは、肉体的な働きですから身体の動きで十分です。念処経で説明してあるように、気づきは「①身・②受・③心・④法」という四種類でしょう。知らず知らずに四種類の気づきをしなくてはいけないのです。
歩く冥想は、身体の冥想ですから至って簡単です。誰でも身体の動きから始まる。それから感覚を感じる。それから心にも気づく。それから物事(現象・法則)に気づくという順番なのです。ですから、日常生活でもその都度、身体の動きに気づくのか、感覚に気づくのか、心に気づくのか、物事に気づくのか、ということを決めなくてはいけません。そこを間違えると失敗なのです。失敗といっても、大したことではありません。これは上手くいかないと分かるだけです。ヴィパッサナー冥想には副作用はありません。
気づく対象は4つあります。その時に応じて、①か②か③か④かと変わるのです。例えば、4つのボタンがあるとしましょう。そこで4つのボタンのうち、光ったところを押さなくてはいけないとする。いつでもボタンは一つだけが光ります。そこで、③が光っているのに、①を押してもポイントにはなりません。そのような譬えで憶えておいてください。
デスクワークや仕事中に、実況中継しようとして上手くいかず失敗したのは、気づく対象・押したボタンが間違っていたのです。ですから、ポイント(経験)になっていないのです。そういうことは、繰り返し訓練して習うしか方法はありません。別に裏技などはありません。
実況中継の言葉が出てこない
日常の冥想実践について、日常の動きに対して慣れていないせいか、実況中継の言葉が上手く出てこなかったりするのですが、これは実践を重ねて慣れるしかないのでしょうか?
実況中継は動詞で
いいえ、言葉が出てこないということはあり得ません。日常生活では、動詞で実況中継するのです。動詞だと「上げる・下げる・押す・引く・回す・取る・放す」という程度でしょう。人間は他に何もやっていないのです。
例えば、部屋の掃除をするといっても、押す・引く・取る・放すというぐらいの動詞ですよ。ですから、動作を動詞で実況中継するのです。俗世間にある余計な概念は必要ありません。「掃除機を取ります」という実況はいりません。「取ります、取ります」だけで十分です。身体の動作のみを実況しましょう。そのときは。「取る」「置く」「放す」「回す」「押す」「引く」程度の言葉になります。ですから、実況中継の言葉が出てこないという問題は起きないのです。
正しく冥想できているか不安
冥想を教えていただいた通りにしているつもりなのですが、やり方が合っているのか間違っているのか不安になることがあります。やり方が間違わないようにするためにポイントを教えてください。
「成長の実感」はむしろ危ない
指導した通りにやってみてください。そうすると間違いません。冥想中には、自分が成長しているという実感はありません。「私は結構進んでいる」というような実感はないのです。はっきり言えば、そういう実感が出てきたら問題です。
冥想というのは、人を成長させる道ですから、いつだって自分では「上手くいっていない」という感じで、悪いところが観えるのです。ですから、その悪いところを「なおさなくては」と思う。そこがなおったら、また別な悪いところが観えてくるのです。そのように進んでいくものです。ですから、普通は修行が進んでいるという感じはしないと思います。
そうすると問題は、「私の修行は上手くいっているのか?」という疑問が生まれてくることです。それは、ただの「疑【ぎ】」だと確認してください。それだけで十分です。
チェックポイントは雑念・妄想
一応、冥想が間違っていないかを調べるチェックポイントとして、「いかに雑念・妄想を抑えられますか?」ということがあります。これがガイドラインです。ですから、雑念・妄想がどれぐらい減ったのかというのは、自分でガイドラインとしてチェックしてみてください。
それだけです。他に何か経験とか、どこまで進んだのかということは、修行者には関係ないことなのです。それは気にしないでください。自分の悪いところがどこまでなくなったのか、そのところは個人でチェックできます。
そういうことでヴィパッサナー冥想の場合、邪魔ものとして出しているテーマは雑念・妄想です。「雑念・妄想を止めなさい」と言っているのです。止めなさいと言っても、これは無理です。人間ですから頭が動いてしまいます。でも止めなさいと言っているのです。ですから、雑念・妄想が邪魔をしなかったというところがチェックポイントで、冥想が上手くいっていることなのです。
それでも波があります。ある日は雑念・妄想に邪魔されず上手くいったのですが、次はまったくダメだったということもあります。雑念・妄想ばっかり出てきて、上手くいかなかったと。しかし、それは冥想が間違っていたわけでもなんでもないのです。ずっと雑念・妄想を敵にまわして戦うというやり方なら大丈夫です。その程度で気をつければ十分です。