子供の叱り方/勝負ごとに挑む心構え
パティパダー2016年1月号(199)
(子供の)叱りかたは、どうしたらいいでしょうか?
「叱る」という単語を忘れること
「叱る」という単語が間違っています。その単語は忘れてください。やってはいけないことをやってしまって、それを正当化するために「叱る」という単語を使っているようです。
これは昔からやっていることですが、人間は悪いことをやって、それを誤魔化すためにカッコいい言葉を作るのです。例えば、人を殺しておいて、それは「自己防衛」であるという。なんであれ、それも人殺しになります。
オーワーダとアヌサーサナー
パーリ語では、「オーワーダ(ovāda)」「アヌサーサナー(anusāsanā)」という二つの単語があります。私たち坊主はこの二つを、いつでもやっています。葬式でもやっています。みんなすごく喜んでくれますが、言った通りにはやってくれません。そんなものです。
オーワーダというのは、英語で言えばアドバイスのことです。アドバイスする場合、私たちはやってはいけないことを先に教えてあげるのです。本人はまだ失敗していません。しかし、失敗したら困りますから、先に、「こういうことをしたらどうなるか」「気をつけなさい」と教えてあげる。危険から守ってあげるためにアドバイスをするのです。
アヌサーサナーの場合は、もっとポジティブです。本人がよく頑張っている時、より良くなってもらうために、「こうするべきですよ」と教えてあげるのです
オーワーダの方は、「こうしてはいけません」「ここに気をつけなさい」ということです。アヌサーサナーは、「ここはこうやった方がもっと上手くいきますよ」「この場合はこうやった方が良い」とやり方を教えてあげるのです。
やってはいけないこと、あるいは、生きる途中でどこに危険があるのか、ということを教えてあげるやりかたと、生きる上でより良い道案内をするというやりかたの二つがあるのです。その場合、しゃべりかた・言いかたも変わります。ですから、「叱る」のような一個の単語には収まらないのです。
「叱る」とは感情的な怒り
では日本語の「叱る」という単語の意味はなんでしょうか? もしかしたら皆さんも知らないかもしれません。質問した方も、自分が叱っていると思って怒っていたのでしょう。怒りたくないでしょう。ですから、怒らないでいい叱り方を聞いているのです。結局、叱るといって怒っただけなのです。
ということで、世の中にある「叱る」(感情的に怒っている)ということは、あってはならないことなのです。私たちは小さな子供であろうが、一緒の仲間です。そこで先輩・後輩という差がありますし、経験済み・未経験という差もあります。
その中でお互い仲間ですから、必要なのは「これはやってはいけないよ」「これはこうですよ」と先輩として教えてあげることなのです。子供が失敗したら、「コラッ、なにをやっているのか!」ではないのです。そうすると感情で叱ったことになります。
例えば、子供がそこら辺にある植物を蹴って傷つけているとする。親が「なにをやっているの!」と叱ると、子供は「見えないの? この花を蹴ってるんだよ」と答える。そんな言いかたでは、それで話が終わってしまいます。また親がカンカンに怒ってしまって、子供の態度に逆上するはめになってしまいます。この「なにをやっているの」という言い方は、あまり意味のない言葉なのです。
「ダメ」「止めなさい」もケースバイケース
ですから、人間というのは本当に面白いのです。喋っているのですが、ほとんど意味を分かっていません。意味が分からないことを喋ったとしても、相手に通じないのは当然です。何もコミュニケーションしていないことと同じですからね。「なにをやっているのか」という叱る言葉は、なんの意味もないのです。それよりは「止めなさい」と言った方がいいのです。簡単でしょう。
しかし「止めなさい」ということは指令ですから、それもあまり良くないのです。仲間ですからね。仲間同士で指令・命令するというのは良くありません。ですが、ときどき時間がないときは「ダメ」「止めなさい」と言わなくてはいけない。それはケースバイケースで、時と場合によります。
例えば、子供が楽しくて何かを蹴っている。その上に重い荷物が載っている。もしその荷物が落っこちてきたら大変です。その時に、子供に「これを蹴ると上にある重い荷物が揺れて、あなたの頭の上に落ちてくるから、そうするとあなたは大ケガするか、死ぬかもれません。だから、よく理解して行動してください」と言っている間に、子供が死ぬかケガをしてしまうかもしれません。その場合は時間がないのですから、「すぐ止めなさい!」とびっくりするような大声で言わなくてはいけません。相手がびっくりするような声を出したからと言って、怒る必要はありません。イントネーションを変えるだけです。演技をするのです。
叱りかたではなく、コミュニケーションを学ぶ
生命というのは、言葉のトーン(調子)に反応するのです。このトーンの中に伝えたい本当の意味が入っているのです。例えばカラスはカァーカァーと鳴くでしょう。その鳴き声にいろいろなトーンのバリエーションがあるのです。上げて下げたり、下げて上げたりとか。それぞれコミュニケーションをするために何かあるのです。
ですから、叱りかたではなくトーンにも気をつけることです。叱るといって感情的に怒ってしまうのでは、はじめから間違っています。あるべきなのは「オーワーダ」と「アヌサーサナー」です。アドバイスという言葉には、その両方の意味が含まれます。「注意」と「やり方」の両方を教えてあげるのです。
例えば、子供が包丁を手に取ろうとしたら親が怒鳴りつけたりする。それで叱ったと思っていますが、それは間違いです。親は「しっかりこんなふうに握れる?」と見せ、「まだできないでしょう。手を切ったり危ないから、もう少し大きくなって包丁が握れるまで待ってね」と教えてあげる。この時は「止めなさい」ではないのです。親が教えてあげることで脳も成長します。親の言葉によって子供の脳が成長し、判断力が上がるようになります。
叱ることで、そうなりますか? 叱られると嫌な気持ちになって、委縮するだけです。これは子供にとってすごく苦しいことです。子供は親のことが好きですから、母親から離れません。その母親にいじめられると、どうすることもできなくなってしまうのです。それで判断能力が、すごく低下するのです。
ということで、「正しい叱り方」ではなくて、「子供との正しいコミュニケーションはどうすればいいのか」と言葉を替えてみてください。そうすれば、あなたにも道が分かってきます。叱るというのは間違いで、正しくはコミュニケーションです。データ通信なのです。
「子供たちが間違ったことをやる」というのは偏見
私たちは基本的に「子供たちが間違ったことをやっている」という錯覚・偏見を捨てた方がいいのです。子供たちは一度だって間違っていることをやっているわけではないのです。それは、親の偏見です。子供がやっていることをいろいろな角度から見れば、ちょっとそれはどうかな? ということはあります。しかし、それは間違っているわけではありません。
例えば、この場所で子供がギャーと言って走り回ったとしても、その子供が間違ったことをしているわけではありません。いい場所だから、ちょっとふざけて楽しもうと、「正しいこと」をしているのです。しかし、そうなると他のことをしている周りの人とトラブルが起こる。といっても「なにをしている! 静かにしろ!」という言葉は子供に通じません。
そこで言うべきなのは、「ちょっとうるさくて、私たちは勉強できないんだけど」とそれだけです。あるいは「私たちに勉強させてくれませんかね?」と言うと、子供たちも一人前に「やらしてあげましょう」ということで、自分たちが判断して走り回る代わりにどんな遊びをしようかと考えるのです。「コラッ、なにをするの!」と叱ってしまうと、これは子供の成長の上に大きな石を落すようなことになるのです。
正しいアドバイスは一生の糧になる
私たちはいつでも理性を持って、「生命は誰であろうとも皆同じ」という気持ちで、「誰でも叱られるのは嫌だ、指令・命令されるのは嫌だ」ということを理解して、別な世界を作らなくてはいけないのです。
私の簡単なやり方は、どんな出来事も漫才のようにすることです。ちょっとした冗談のように。その瞬間に作るのです。ある程度で面白い話にした方が効率いいのです。そのように教えられる言葉というのは、人間の一生の糧になります。感情的に叱られても、すぐ忘れます。
母親に言われたある一言を、一生その言葉を憶えて守ることになる場合もあります。それは、母親が怒ることもなく、「こういうことだよ」「こうしなさい」と教えた一言なのです。その一言が人の一生を決めるのです。感情的に怒って、うかつに叱ったり、怒鳴ったりするということは、恐ろしい結果になります。
ですから、何でもちょっとした冗談やユーモアを交えて言おうとすれば、叱る言葉もすごく優しく緩和されていくのです。そうするとアドバイスしたことも、冗談やネタとして言うこともできるようになります。
冗談など何か少し工夫して喋るということは、ひとつ学ばなくてはいけない人間のコミュニケーション能力なのです。言葉はすごく気をつけて、上手に、巧みに使わないといけません。誰でも喋っているのだから、「私には上手に話す能力がない」と言いわけすることはできないのです。
イヤイヤではなくて、こちらが言うことを相手が楽しく理解するようにする工夫が肝心です。なぜ冗談など笑いが必要なのかというと、脳が新たにデータを受け取るのは楽しい時だからです。脳がオープンになって、「じゃあ聞こう」という気持ちになるのです。楽しいと感じると脳内にも化学物質が現れて、それで脳は成長できます。その新しいデータは整理整頓されて、次の行動に使えるようになります。大人の場合も同じことです。
まとめ
結論を言いますが、「叱る」ことは間違いなのです。危険なことを教えてあげること、それから、やり方を教えてあげること、という二種類のやりかたが必要なのです。それも面白おかしく相手にプレゼンテーションできれば、なんのことなく理解してくれます。そんな程度です。
まずは「子供が悪いことをやる、間違ったことをやる」という偏見を捨ててください。子供は親の前ではわがままなので、親はすぐ誤解してしまいます。親と一緒にいるときはわがままでも、親と離れるとしっかりと言われた通りにやりますよ。ですから、心配する必要はありません。
私は長く勝負する競技の世界で生きているのですが、強気になれなかったり、心の甘さを時々感じることがあります。勝負ごとなので貪欲に強気で攻めるためにはどうしたらいいでしょうか?
「自分」という気持ちを消して挑むこと
あなたの「貪欲」という言葉の捉え方・使い方が間違っています。「なにをやっても負ける原因を使って、どのようにして勝つのか?」というアベコベな質問なのです。
極端に言えば、「青酸カリを飲んでどうやって元気になれますか?」というような意味になります。そんな方法があるものでしょうか? ですから、使うべき言葉を間違えているのです。
勝負・競争の世界で決して使ってはいけない言葉が、「貪欲」なのです。貪欲こそが負ける原因を作るのです。仲間や周りが貪欲であることは別にいいのです。それは自分にとって関係ありません。
例えば禅宗で言っているような感じで、「無我・無心」という心構えで、「自分」という気持ちを消して挑んでみてください。自分というものが消えたところで、そこですべて物事は上手くいくのです。



