瞑想に取り組んでぶつかる璧
先月は、瞑想中の眠気と妄想についてお聞きしていました。ただからだが疲れているから出る眠気は、2~3度瞑想を続ければなくなるということでした。眠気には、もう一種類あるとおっしゃっていましたが、それはどういう眠気でしょうか。
2つ目の眠気は、からだが疲れて睡眠不足であるせいでなく生まれる眠気です。人には、行動したくない、励みたくない、という心の弱みがあります。いわゆる怠け現象です。これは修行によって直さなければならない煩悩の一種です。この眠気とは戦わなければなりません。この煩悩の眠気に負けて寝てしまうようになったら、ずっと性格が変わることはありません。眠気に負けずにヴィパッサナーを続けること、ヴィパッサナーの効果を理解することから、2番目の眠気は消えていきます。加えて言うと、からだが疲れて出てくる眠気は自然なもので、その場合は寝てもかまいません。
では、次に妄想について聞かせてください。妄想というのは、いくら確認してもラベリングしても、次から次へと出てくるものだと、先月おっしゃっていました。
そうです。それは、心の問題で、心の中にどれくらい余計な概念、余計な考え方がたまっているかということが問題なのです。たとえば、大変よく勉強している、仏教のプロ中のプロが瞑想を始めたら、みなさまより一億倍もきついんですよ。それくらい概念がつまっているのです。それを全部外へ出して、心が清らかになるまでは、全部妄想として出てくるのです。
また、瞑想に入る前に、突然知らない人に「あなたどこへ行くのですか」と話しかけられたら、あるいは何かとんでもないことを言われたとしたら、それは頭に残ってしまうのです。残ったまま瞑想を始めると、それが妄想となって出てくるのです。あとに残ったということは、やっぱりエネルギーとして、たまったということなのです。たまったエネルギーは、どんどん出て、出て、出て、確認するとそのエネルギーは消えてしまうのです。言葉できちんと確認すると、悪いエネルギーは良い方向へ変わっていくのです。ですから確認が上手になってくると、夢の中であってもだまされません。しっかりと生きていることができるのです。
妄想は、瞑想を始めると出てきて、気がつきますが、今のお話ですと、エネルギーとしてからだにたまったものだということですので、瞑想をしない場合はどこへ行くのでしょう。
仕事中や、いろいろなときに疲れが出てきますね。この疲れが出たということは、いろいろな妄想が働いていたということなのです。仕事をしていていろいろなことを考えたり、悩んだりすると、その時間には疲れがたまるのです。からだそのものが疲れるということはそれほどないのです。
からだが疲れたというのもまた、ひとつの誤解なのです。歩いて疲れた、がんばって疲れたというようなことはね。からだは疲れたら死んでしまいますからね。死ぬまでからだは活動しているのです。
「疲れた」ということは、意外に思われるかもしれませんが、悩んでいらっしゃることなのです。自然の流れを、自我意識が、バラバラにしてしまっているということなんです。いろいろなことを考えて、自然の流れを何とかいじろう、いじろう、とした結果なのです。それで疲れてしまう。
わかりやすく言えば、たとえば走る場合、走る前に、2キロ走る、3キロ走ると、決めてしまうでしょ。それは大変な妄想概念なのです。2キロというのは、自分のからだには関係のないことです。「自分」という存在にはまったく関係のない、「世の中のこと」なのです。それは頭の中の妄想概念です。それを何とかして達成しようと努力する、それは不自然なことですから疲れてしまう。
ですから走る場合、たとえば健康のために走ろうと思うなら、まあ、走れる距離くらい走ろうと走ればいいのであって、たとえば筋肉がもうこれ以上ダメですよというところまで走ればいいし、そこで終わったら疲れていないのです。それから休めばいいのです。
休むと、疲れがどっと出るのではと思うと、そうでなく、とても元気になるのです。でも毎日3キロ走りましょうと決めたら、それは妄想概念で決めたことだから、からだに合わず、ものすごく疲れるのです。その場合、キロという目印が気になっているだけで、体のことが気になっているわけではありません。キロを気にしても、修行にもならなければ健康にもならない。気にしてほしいのは、からだの方です。走るときも、歩くときも、からだを見て進む。距離ではなくてね。
そういうことで、からだを基準にして行動していると、からだは疲れません。疲れるのは心の方なのです。
話は変わりますが、健康のために、たとえばいろいろと病気があるという人も、ヴィパッサナーに取り組めば治るでしょうか。
ヴィパッサナーには、変えていく力があるのですが、何かを目的にしてしまうと、逆にものすごく時間がかかります。
それは人間の自我のせいなのです。
何かこういうものを得たいと思ったら、それはものすごく遠い目的になってしまうのです。それは心の法則なのです。
今おっしゃったように、たとえばいろいろ健康にトラブルがあって、薬が効かないような病気を持っている人がいて、健康のためにヴィパッサナーでもやってみようかと思ったら、これはものすごく時間がかかるのです。なかなか治らないのです。治らない理由は、目的を作ったということです。
たとえば、私はこの境地に行きます、と思うとそれはその人の一生の仕事になるんですよ。心の悩みがあったとしても、ヴイパッサナーは瞬時に治すことができるのですが、それを目的にすると残念ながら、2年、3年、ときには5年も6年もかかってしまうのです。だから、私から見ると本当にもったいないことなのです。そんなこと置いておけば、たった一日でその段階に進んでしまうのです。ですからこの、「すべての放棄」「責任の放棄」ということは、とことん覚えておいてください。我々は何もする必要はないのだと。
ですから、瞑想は自由に気軽に、遊びにでもやってみてください。どんな結果があるのかなあ、とかね。
ゲーム感覚で遊んでみてください。遊んだら仏教に失礼じゃないかとか、そういうことはないのです。
自分の気持次第です。いい結果が出てくるとどんどんできるようになってくるのです。すると自分にすごくいいことだとわかるようになると思います。そうなれば、いつでも常に気づきながら仕事したり、生きていったりできるようになると思います。