自分に適した経典を探す方法
『Paṭipadā』2004年六月号ジャータカ物語の終わりに、「あなたに適した経典の中に必ずあるのです。それを発見してみましょう」(P33)と書かれていますが、どうすれば発見できるでしょうか?
経典を勉強したり、読んだりすると発見できます。全く理解できない、実行できそうもないと感じる経典ならば合っていないかもしれません。言っていることは何となく分かるのだが…と思ってしまうものは、結局は自分が納得していないという意味になります。納得できないものが合うはずはありません。
●読み方、勉強の仕方を変えないといけません
皆がやるからやる、暇つぶしにやる、仲間から離れられないからやる、言われるからやる、などの目的で勉強したとしても、自分に適した経典は見つかりません。知識を肥やすために勉強する人も、何も発見できません。
自分を読むために、自分を発見するために、自分の生きるべき道を発見するために、自分の悩みを解消するために、真理を知るために、心を清らかにするために、解脱にチャレンジするために、というような目的で勉強するなら、適した経典が瞬時に見つかるのです。
●適する、適しないとは何?
ブッダの教えによって人が幸福になること、こころが向上すること、解脱へ進むことは確実です。失敗者はいません。これが決まりです。自分は仏教を勉強してみたが、役に立たなかった、問題を解決しなかったというならば、適した教えに出会っていないのです。
適するとは、自分の問題にずばりと解決方法を持っている教示なのです。「なんだ、私のことを言っているみたいだ」と感じてしまう教示なのです。それは四行の詩ひとつ分の教示かもしれません。経典一編まるごとかもしれません。あるいは、あの経典から一部分、この経典から一部分、あのジャータカ物語から一部分というように、幾つかの教示を合わせたものかもしれません。