本当に「聞く」ということ
また、同じページに「人は、賢者の話に耳を傾けるべきなのです」ともあります。お説教を聴いていると思っておりますが、本当に「聞く」とはどういうことかもよく分かっていないような気もします。
●なぜ聞かなくてはいけないのか?
自分が判断できないから、自分で善悪の判断ができないから、自分にとって何がよくて何が悪いのかと理解できないからこそ、賢者の話を聞くのです。人は生まれつき全知全能ではないのですから、「賢者の話を聞くべき」ということは全ての人間に必要な事柄です。出来が良い人、頭が良い人だったら聞かなくても構わないということにはなりません。そもそも、そのような人はこの世に存在しません。誰もが、先の分からない人間なのです。
●聞いてみたい話
人は自分を褒め称えてくれる話、おだててくれる話、笑い話、他人の批判、自分の自慢などは耳を澄まして聞くのです。こころに残るのです。忘れられないのです。また、儲かる話だったら、よく聞いてくれます。
●耳が痛い話
賢者の話はこれとまったく違うのです。自分を正してくれる話なので、耳が痛いと感じます。勇気を出さないと落ち着いて聞いていることもできないでしょう。しかし、相手のことを心配して、相手の真の幸福を願って、やさしく厳しく、明確に長く、また短く、また繰り返しを何度もしたりして話すのです。
●賢者と俗人の話は質的に違うと理解した方が良い
俗人の話は聞きたくてたまらないものです。しかし俗人の話には騙されやすいのです。損をすることはあっても、得をすることはない。また、聞く人の感情を引き起こします。世間話をいくらしても、人格者にはなれません。
賢者の話は、それとは正反対なのです。役に立たない話はしない。インチキ・嘘は言わない。相手の機嫌をとろうとして事実のねじ曲げはしない。人にモラルと生きるべき道を案内する。相手から何か得ようという目的はありません。純粋な憐れみで話すのです。事実を語ります。聞いた人は必ず得をする。必ず人格者になるのです。
●「聞く」とはどういうことか
この差異を理解してから聞くことです。世間話ではなく、人生に大事な話を聞いていると思って聞くこと。覚えておかなくてはならない、と思って聞くこと。自分を向上させよう、間違っているところを直そう、という気持ちで聞くことです。
●聞き方上手のススメ
自分の欠点に照らしながら聞くこと。真理を、本当のことを知りたいと思って聞くこと。分からないことは何度も聞くこと。仲間とディスカッションしてみること。自分で納得がいくまで理解しようと努力すること。聞く時は、分からないことを話す相手に質問すること。納得がいかないところも聞いてみること。繰り返し説明されても自分には分からなかった場合、「私に納得いくことができるよう、簡単に教えて下さい」と頼んでみることです。
●人格向上の順番
まずは聞くことです。次に、理解すること。納得がいくこと。それに従って喜びを感じること。実践したいという気持ちを引き起こすこと。精進すること。そして目的に達すること。このような順番で人格向上が進むのです。
●賢者とは誰ですか
正覚者であり、釈迦牟尼如来のことです。仏法は賢者の言葉です。仏教を学ぶ個人の勝手な解釈は賢者の言葉ではありません。間違ってしまう可能性は大いにあります。