性について
パティパダー誌上において不邪淫戒が掲載されていましたので疑問点を質問させていただきます。
*人間社会において、性欲というものは愛欲(恋愛欲)と金銭欲と密接に結びついて存在します。 →(1)
*不邪淫戒という形式的な面からの考察を一切やめ(形式的に語られてきたとするなら)、 →(2)
*純精神的に考察→ (3)
*するなら性欲は愛欲もしくは金銭欲のどちらと結びつくのが人間としてレベルが高いのでしょうか(もしくは単独にて)。 →(4)
*愛欲は人間世界では偽善を背景に美化されてきましたが仏教観では煩悩でしょう。 →(5)
*長老は煩悩のレベルの高低を基本的にお認めになりますか。 →(6)
*また修行者としては上記の問題をどのようにとらえればよろしいのでしょうか。 →(7)
→(1).★ :これはあなたの個人的な意見です。普遍的な真理にはならないのです。
→(2).★ :形式的に語られていると言う事はあまりにも失礼な表現だと思います。仏教とは皆、何もものごとを考えられない「アホの集い」と言うことになります。統一した精神、束縛されないこころ、明晰な理性、を目指して努める仏教徒たちは「性とは何か、欲とは何か」と理解していると思います。
→(3).★ :???この言葉の意味は何ですか? 汚れのない覚者の清らかな精神ですか、動物と同じく本能の感情で振り回されている人間のことですか?
→(4).★ :他人に質問するときは言葉の意味をはっきりさせてから質問した方が良いと思います。でないと困ります。それそれ違う意味で同じ言葉を使うとダイアローグにならないのです。
「欲」と言う字を付けた言葉が幾つかあります。性欲、愛欲、金銭欲、権力欲、名誉欲、知識欲などです。また支配者欲、支配されたいという欲、独善欲、依存欲などもあります。結局は劣等感などのあらゆるコンプレックスの源も欲です。智慧のない、感情の奴隷として生きている人々はこれらの欲を好き勝手に織って複雑にしてわけもわからない生き方をしているのです。ひどく悩んで、苦しんでいるのにもかかわらず、それにさえも気づかないのです。
欲のリストはバラバラなもので必ずしも関係があると言えないのです。個が自分に好きな繋がりを作るのです。性欲と支配欲も繋がるのです。性欲と名誉欲も繋がります。野生のサルに毛糸玉をあげたような感じですね。
仏教とは欲を絶つ前に整理するのです。性欲の機能は相手を探す、生殖器官を刺激するなどだと理解する。金銭欲は金や物を得ることだと知る。それぞれ欲の機能が違うと理解する。似ているのは「私は○○を欲しい」と言うところだけです。無知な人はこれらの欲を好き勝手に結びつけるのです。好き勝手に編み込むのです。仏教とはこれらを区別して別々に観察するのです。レベルの問題は成り立ちません。結びつける人がレベル的には最低です。
→(5).★ :はい、そうです。愛欲は畜性のレベルだと釈迦尊が説かれます。
→(6).★ :認めます。
→(7).★ :以上(4)で述べたところをみて下さい。
スマナサーラ