盂蘭盆の裏話
質問が二つあります。
1.日本で一般に言われてる盂蘭盆と、その故事は、上座部にもあるのでしょうか? 大乗仏教の物でしょうか?
上座部にもあるのでしたら日本仏教との違いはどんなものでしょうか?
2.「出家の四依」というのを詳しく教えて下さい。
> 1.日本で一般に言われてる盂蘭盆と、その故事は、上座部にもあるのでしょうか?大乗仏教の物でしょうか?
上座部にもあるのでしたら日本仏教との違いはどんなものでしょうか?
盂蘭盆(うらぼん)が上座仏教にはありません。といってもスリランカにはありません。
ミャンマーでもないと思います。タイでもないはずですが、中国の影響もあるから、もしかすると、似ているような祭りがあっても不思議ではないのです。しかし、詳しいことはわかりません。
盂蘭盆は大乗仏教のものですかと聞かれても答えられないのです。中国で、もともとあった「死者儀礼」が仏教的な装いで復活したのではないかと私が思います。
土着習慣、儀礼儀式などは仏教に移植して生き延びることはよくある現象です。
> 2.「出家の四依」というのを詳しく教えて下さい。
「四依」だけでは何を意味するか私にはっきりしないのです。パーリ語の単語でもあればよかったと思います。しかし、推測で「出家の四依」を説明します。
人が出家する時、サンガ具足戒の儀式を行います。「これから、比丘であることを認証します」と言う意味の文句が終わってすぐ、8種類の項目をその新米の比丘の前で読み上げます。4つは絶対的に守らなくてはならない基本戒律四つです。
次に、生活の基準四つ読み上げます。それは以下の通りです。
出家は生涯糞掃依だけで十分満足するべきです。在家から布施される衣などは特別に恵まれたことにするのです。
出家は生涯乞食で生活を満足するのです。在家の家々で頂く食事は特別に恵まれたことにするのです。
出家は薬として、陳棄薬(ちんきやく:牛の尿です)で満足するべきです。その他の調合した薬などは特別に恵まれたことにするのです。
出家は生涯、住として樹下で満足するべきです。庵などは特別に恵まれたことにするのです。
生活の必需品の最低限を一生忘れてはならないのです。
これだけで、満足する人に出家生活で不満は出てくるはずがありません。しかし、釈尊の時代からも、在家信者が気持ちよくお布施をしていたので最低限のレベルで生活することはなかったのです。
ですから、出家は楽な生活だと勘違いする恐れがあります。だからこそ、この四つの項目を最初に覚えさせる必要が起きたのです。
この注意があったから、比丘が例えお布施に恵まれていても基準を忘れられないので、堕落することは、贅沢に溺れることはほとんどなかったのです。たまに、勘違いして還俗したケースもあります。
もしかすると、「出家の四依」はこれかもしれません。
三宝のご加護がありますように。
比丘スマナサーラ