神の役割
仏教の世界における神の役割を教えて下さい。
皆、一般的に使用する言葉で特定の意味を指す場合は定義してほしいのです。
科学もそうでしょうし。日常の言葉も使う場合がありますが、明確に定義しますね。
「神」-絶対的存在・森羅万物の創造主ーであるならば、仏教では彼は失業中です。
因縁により全てが成り立つ。自然法則(物理的な法則)・こころの法則により一切の現象が一時的に現れる。
もし、この普遍的な法則に神というならば、仏教では異論なし。
しかしですね、誤解されやすい、また人格化されている言葉を何であえて使う必要はあるのでしょうか。
「神1」-インド、日本で考える、死なない神霊であるならー仏教は認めない。
死なない存在・不死なる存在はありえない。すべては動であって、止ではありません。
「神2」-山も森も川も雷も雨も太陽も天皇もまたその他も神だとする場合ー敬意を表す言葉なら、問題なし。信仰の対象なら、ただの迷信。
「神々」-複数形で、人間と違った次元の生き物(生命)を意味する言葉であるならば、多次元で分かれている霊的な存在を仏教は認める。
人間だけ「命」ではありません。生命として人間より下も上もあります。これも、受苦と受楽の割り当て見たいなものです。
人間より楽の割合が上なら「神」、下なら餓鬼、畜生、阿修羅、地獄でしょうね。
役割? 何かやっているでしょう。端的に言えば、だれでも生きているということかなぁ。
ミミズも生きているし、私も、そちらの方々も生きている。面白くも不思議もなんのもありません。
神さんもミミズと同じ生きている。何で生きているのかも知らずただ単に生きている。未だ死んでないから生きているだけ。
だれにも、「役割なんかはない」。
勝手に生きている。しかし、調和がなければ、社会の秩序が保たないと生きていられない生命体にはそれぞれ役割がある。
Godー差別感情を正当化する、搾取を好んでいる人間はこの概念が好きみたいですが、
残念なことに、仏教は「生命は輪廻転生している。生命は平等」だとする。
A.Sumanasara