解脱者?
現在もHPを読み続けているのですが、その間腑とした疑問があります。
そもそも、日本テーラワーダ仏教協会の幹部・会員の皆様の中で、解脱した人は存在するのでしょうか?
いるとしたら何人くらいでしょうか?
いろいろ読んでみますと、解脱した方は明らかに普通人とは違うようです。しかも、解脱した方は「いやいや、まだまだ修行中です」などと謙遜もせず、自信を持って「解脱した」と言っておられるようです。
理論的に正しい質問だと思います。最終目標が「解脱」だとしているので、では成功者いるのでしょうかと聞きたくも知りたくもなるのです。
解脱者はいっぱいいるならば、「では私もやってみようかなぁ」という気持ちにもなれる。
しかしですね、解脱者は「私は解脱した」と言わないのです。
私という錯覚、「自我」という錯覚はなくなっているので、「自分」を表現しない。発表しない。他人に認めて欲しいという気持ちは完全に、全くもありません。
だから、自分で「解脱した」と言わない、言えないのです。この状態は仏陀の弟子第一号から今まで、これからも続く習慣です。法則です。決まりではありません。
しかし、第三者に「この方が解脱者です」と言える。これを言うために言う人は解脱していないとできません。
AさんはBさんが悟っているという。そのことばはその通りで事実であるならば、Aさんも悟っていることになる。ということは結局自分も悟っていると発表したことになるのです。
お釈迦様だけが自分は解脱を得たと公言しました。皆、捜し求めていたことだから、発見した人にそれを発表する義務があります。
また、悟る方法も教えたので、「今にある仏教」という世界ができあがったのです。
それで、お釈迦様には弟子たちが悟ったならば、どうどうとそれを発表することができたのです。
お釈迦様に発表されるとその方にも、もし聞かれたならば「解脱した」ことを認めることが出来ます。
「解脱しているのかね?」と仏道の人に尋ねても解答を得られないと思います。
代わりに、「人間の理解能力の問題」、「概念、観念の問題」などのepistemologyの範疇に入るべき話は洪水のように聞かされる運命になるのです。
ですから、質問は自分に理解できる範囲の中で立てたほうが安全です。
例えば:仏教を実践して何が変わったのか? なぜ仏教をやる気になったのか? それで、よかったのですか?
協会の幹部、会員:
テーラワーダ仏教は悟って人々が運営管理する組合でも、組織でもありません。
仏教徒は悟りを目指して、解脱を目指して励む仲間たちの組織です。というよりグループです。
悩み苦しみを乗り越えよう、真理を理解しよう、無明・無知をなくそう、智慧を開発しようという目的に挑戦するのは仏教徒であり、テーラワーダ仏教協会会員も同じです。
宗教組織では「神に一番近い人や、神に選ばれた人や、開祖さまの息子・娘やという理由で、理事・幹部になれるようです。その場合は会員は無言でそちらの言われる通りに活動・修行しなくてはいけない。
この特色はテーラワーダ協会ではありません。会長も、幹部も、会員もボランティアで自分の能力を仏道のために、皆に真理の教えを紹介するために貢献しているのです。
修行の目的で集った仲間の中で一部は献身的にボランティアやっているだけの組織です。
個人個人に、「あなたはなぜ仏教にそれまで凝っているのか」とか、「なんであなたは仏教オタクなのですか」と聞くならばそのその方の修行の進み具合の推測できると思います。
A.Sumanasara