仏教の実践
仏典を覚えることは、仏教の実践の一部として考えることができますか? それとも覚えるだけでは実践とはいえないのでしょうか?
また、生活の中で仏典の内容と関連することがあったとき、その仏典を思い出すことは、仏教の実践の一部になっているといえるのでしょうか?
> 仏典を覚えることは、仏教の実践の一部として考えることができますか? それとも覚えるだけでは実践とはいえないのでしょうか?
*断言的にyesではありません。一概にはいえないということです。
仏典を覚えても、理解しない、理解できない、納得がいかない、認めない、欠点を探すために学ぶ(他宗教の方々のように)、「物知り屋だ」と他人に褒めてもらいたくて学ぶ、ただの知識欲に刺激を与えるために学ぶなら、決して実践の一部にはなりません。
仏教を学ぶものは先ず覚える。次に意味を理解する。自分の人生と世界の人々の生き方と対照しながらこの教えに疑が無く納得できるか無いか調べる。次に、納得する。納得したところで実践に挑戦する。実践に成功したところで、真理を自分自身の経験、発見になる。このような順番です。
> また、生活の中で仏典の内容と関連することがあったとき、その仏典を思い出すことは、仏教の実践の一部になっているといえるのでしょうか?
理解する上で、これがとても必要です。学ぶことも実践の一部にしたいと思う方々は必ずやらなくてはならないことです。