怒りの処置
ある人に怒りが湧いた時、その人に対して慈悲の瞑想をしようとすると反発して余計に怒りが湧いてしまいます。そこで、歩いたり立つ瞑想をして心を落ち着かせようとしますが、それは心を直視しない、「逃げ」になってしまうでしょうか。
> 逃げ
ているか、いないかではなく、「怒りが収めてくれるかないか」は問題です。
目的があって行う行為に期待する結果が現れなかったら、無駄なことしたことに、悪いことをしたことになるのです。
「絵に描いた猫でもネズミを脅かしてくれるなら、なぜそれが悪いのか」ということでしょう。怒りが沸いてくるなら、「慈悲の実践を一時停止して別な実践を行うことは理工的ではないでしょうか。
また、自分が嫌いな人にも慈しみを念じられるほど向上して無いならば、怒りが沸いてくる前に慈悲の瞑想実践のそのセクションを飛ばして続くことも出来ます。
逃げて助かっても危険が消えたわけではないと理解したほうが良いのです。徐々に怒りの感情が減っていって消えるとことを目指として修行を続けなくてはならないと思います。