ブッダが幸せを説く
人の道は祈ることより知ることにある
アルボムッレ・スマナサーラ長老
選ぶという悩み
雨が降る、だから傘をさしていく、そのくらい明確に人生を選んでいけるなら、「悩み」はありません。
雨が降っていても傘をささないわけを、どんなに偉い哲学者や説法師が解説したとしても、それはへりくつであってばかばかしいことです。人間は自然と一体にならなければならないとか、きれいな水に濡れることでからだが健康になりますよとか、何をいってもばかげていますよね。ふだん私たちは、そんなことはしないのです。ごくふつうに考えて、選ぶ道はひとつしかない。
仏教というのは、そのような人生をつくるための教えなのです。雨が降っているならば傘をさす、それしかない。そういうふうにしっかりした判断、明確に現実を見極める目を持って欲しいのです。
皆さんが持つ悩みは、すべて選ぶときの悩みです。どうしようか、あるいはどうにかしよう、という悩みなのですね。
病気になったといって悩む、どんな医者にかかればいいかと悩む、どんな治療法を選んだらいいのかと悩む。また、家族関係のこと、人間関係のこと、経済的なこと、だいたい悩みといえばそのくらいでしょう。
それらは「悩む」ようなことではないと思いますが、当人にとっては大変な悩みなのです。なぜならば、悩んでいる人は人生が何なのかということがわかっていないので、どれを選んだらいいのかわからないのです。機械が故障していても、どんな道具が必要なのかがわからないのと同じことです。わからないので片っ端からありとあらゆる道具を揃えるのです。でも道具がいくら揃っても、故障した機械はそのままでしょう。
一方、この機械はこういう機械でこの辺が故障しているから、こうすれば修理できるとわかっている人は、必要な道具ひとつだけ持ってきて、さっさとネジひとつはずして修理してそれでおしまい。悩む暇さえ与えません。
ですから、その機械をよく知っている人のように、人生そのものがよくわかるように勉強すれば、もう人間に悩みはなくなってしまうのです。この「選ぶ」という悩みがね。
人間は「生きる」ことを知らずに悩んでいる
ところで、お釈迦さまはこの「悩み」を特別に説明しています。仏教の真理の第一番目が「悩み」の真理なのです。第一番目だから何かとても難しいことを言っているのではないかと思ってお経を読んでみると、それがまったく反対なのです。非常に簡潔に、簡単に、やさしく説明されている。
得たいものを得られない悩み、愛する人から離れる悩み、歳をとったという悩み、病気になったという悩み、そういうことが人間の悩みだと指摘しているのです。人間は生きるということを知らないわけですから、そのようなことで悩んでいるのですね。死んだことが一度もないのに、死ぬことを凄く怖がったりするでしょう。そんな悩みの本質を解明することが真理の第一だとおっしゃるのです。人間というものは、生きることが何かも知らないのに、つまらないことで悩んでいる、選ぶことで悩んでいるのだと。
しかし実は、皆さんには選ぶ権利などないのです。これにはこれがぴったりといえる人、選ぶ人は専門家でなければなりません。
皆さんが病気になったとき、薬屋さんに行って、これこれこういう薬をこれだけの量私に下さいと言えますか?言えませんね。なぜならば、私たちはクスリやからだの専門家ではありませんから。
からだは自分のからだですが、お医者さんが「あなたはこれを飲みなさい。これだけの量を何日間飲みなさい」と勝手に決めるでしょう。「あなたの腸はガンだから、腸の二十センチは捨てなければなりません」とか、「生きていたいならあなたの胃を完全摘出するしかありません」と言われると、「先生にそれを選ぶ権利はない。私のからだなのだから、私が生きる方法を選ぶ」とは言えないのです。本人はからだの専門家でもなんでもなく、からだのことについては何もわからないわけですから、決めることはできない、不可能なのです。少しでも長く生きたいと思い、その方法はひとつしかないと専門家である医者が判断するなら、選択肢はひとつしかありません。
子どもが、非行の道に走りかけている。どうしよう、どうしようといろいろなことを試してみるのですね。子どもをしかってみる、門限を決めてみる、お小遣いをあげずに頑張ってみる、いろいろな人に頼んでみる、また子どもと外国旅行をしてみる……。いろいろなことをしてみるけれどぜんぜん効果がない、それでずっと悩みっぱなし、そんなことはいくらでもあるのです。
私たちの人生って何でしょうと訊いてみても、まったくわからないような状態で、何も選ぶことはできないのですが、それでも選んでしまいます。
選んでしまったら当然ひどい目に遭ってしまいます。飛行機の操縦を一度もしたことのない人が、いきなりジェット機の操縦席に座って、あっちこっち押したいものを押して、引きたいものを引いて飛行機を動かしたって、墜落して死ぬしかないように、まったくわからない専門外のことを決めることは、不可能なのです。素人が飛行機を正しく操縦して目的地に着けるということは絶対にありえない。
この施本のデータ
- ブッダが幸せを説く
- 人の道は祈ることより知ることにある
- 著者:アルボムッレ・スマナサーラ長老
- 初版発行日:2001年5月13日