ブッダが幸せを説く
人の道は祈ることより知ることにある
アルボムッレ・スマナサーラ長老
毎日生きることもまた苦の連続
これまで何度も述べてきたように、宗教は「恐怖」という状況を背景に存在しています。この二つはつかず離れずの因果関係にあるようです。
もちろん、人間はいつも恐怖にさいなまれているわけではなく、ときには喜悦感、幸福感に満たされることもありますが、その喜悦、幸福な思いも、底辺に「恐怖」が常によこたわっているからこそ味わえるのです。束の間の安寧が、とてつもない貴重な幸福感となって満たされるということなのです。光は闇の存在があってこそ有難いのと同様に、恐怖は幸福感を増して大きくさせる原因をつくっているのです。
言い換えれば、恐怖や不安がなければ、幸せという感情も味わえないのです。
人生というものは、その殆どが、「恐れ」によって成り立っており、「たいへんだ」という場面が圧倒的に多いことはいうまでもありません。毎日毎日、「あれもしなくちゃ、これもしなくちゃ」と追い立てられたり、「あれが旨くいかなかったらどうしよう。これが失敗したらどうしたらいいだろう」という心配が後を絶ちません。
奥さん方の毎日を見てごらんなさい。スーパーへ行って果物をひとつ買うにしても、十個二十個と手にとってみて、慎重に見定めてから買うのです。牛乳でも肉でも、並べてある棚のいちばん奥にある品物を出してきて、消費期限のいちばん新しいものを選びます。お店の人も奥さんの買い方を心得ていて、最近ではいちばん前のほうに新しい食品を置くのだそうです。そこでまた奥さんはそのお店のやり口に気がついて、今度はいちばん前にあるものを選んで買っていく。こうなるともうイタチごっこです。
でもちょっと考えればそれが愚かな行為だとすぐわかるでしょうに。お店にしてみれば、古くなった悪いものを売ればお店の評判が落ち、お店の存亡に関わる重大事になりますから、消費期限の過ぎたものなど置くはずがありません。ちょっとでも色や形が良いものを選ぶことや、日付が一日でも新しいものを選ぶことが、目の色を変えてやる仕事でしょうか。そういうことを気にして毎日を生きているなんて、奥さん方も生きるのは楽ではないなと同情してしまいます。
買い物ひとつにしても、良いものを選ばなければならない、家族に合ったものを見つけなければならない、財布の中身に見合う範囲で買わなければならない……。心配事だらけです。しかもお金にまったく執着もなく、値段など気にしないで買い物ができます、と余裕で言えるような人はほとんどいません。ごく稀には、家族の誰かが病気になって死にかけているから、この薬をいくら高くてもいいから売って下さい、というようなことはあるでしょう。しかし、その場合は幸せでそう言っているわけではありません。
このように私たちの人生のなかで、幸福という状態は非常に少ないのです。人生に何も問題を抱えていない人はほとんどいないのです。だからみんなが、「無事であるようお守りください」と神さまにお祈りするし、何事もなかった場合は、感謝の気持ちを表わすのです。
この施本のデータ
- ブッダが幸せを説く
- 人の道は祈ることより知ることにある
- 著者:アルボムッレ・スマナサーラ長老
- 初版発行日:2001年5月13日