施本文庫

充実感こそ最高の財産

今、この瞬間を生き切ればいい 

アルボムッレ・スマナサーラ長老

3 幸福を壊すあなたの見方 

好きなものを追いつづける生きかた 

ここからは少々むずかしくなるかもしれません。仏教は智慧の教えですから、世の中を正しく「知る」必要があります。けれども「知ったかぶり」をしても意味がありませんよ。知ったかぶりは大変危険なことなのです。「現代は情報化社会で知識の時代だ。昔と違ってどんな知識でもたやすく入手できる。我々は知識人だ」などと、現代人は威張って舞い上がっているところがあるようです。 

そこで仏教からの質問です。あなたは本当に世の中のことを知っていますか? 知ったかぶりをしていませんか? 本当に世界を知っているのですか? 

現代人も昔の人も、本当は何も知らないのです。世界をありのままに見たり聞いたりしていないのです。私たちはただ自分の好きなものを選んでいるだけなんですね。好きなものを見、好きなものを聞き、好きなものを味わい、好きなことを行い、好きなことを考え、好きなことを勉強する。
とすると、それは世界を正しく知っていることですか? 自分の主観で判断しているだけではないでしょうか。好きなことだけを選び取ることは、結局、何も知らないで済むということなのです。 

外界の種々様々な情報は、何のコントロールもなくごく自然に身体に触れてきます。そしてその触れた情報を、自分の好きなように判断しているのです。ですから私たちが「知っている」という情報は、入った情報そのものではなく、自分の好み、固定観念にすぎないのです。 

たとえば桜の花を見て「桜の花はきれいだ」と決め付けるとします。そうすると桜の花を見るたびに「きれいだなあ」という欲が出てきて、桜の花を見るためにわざわざ遠くまで出かけたりもする。このようにして私たちは自分の好きなものをどんどん追いかけてゆくようになるのです。 

でも、もし自分の好きなものから楽しみが出てこなかったらどうしますか? 
たとえば「このごはんはおいしい」と思って一口食べてみます。が、おいしくない。そうすると、そのごはんに塩をかけたりゴマをふったり、それから梅干や納豆や海苔といっしょに食べたりして、強引にもとの情報を、自分の好みに合うように変えてしまうのです。これは独裁主義、厳密な共産主義の国々の新聞情報と同じです。事実ではなく、政府が勝手にニュースをつくって、それを国民に伝えるのです。 

このように、私たちは自分の好みに合うように、目に見えるものをわざと変えて見る。耳に聞こえるものもわざと変えて聞いているのです。
ですから「知識人だ」と自称している現代人も、結局は何も知っていないということになるのです。 

なんでも破壊する「嫌い」という見方 

「好き」なものがあると、必ず「嫌い」なものが出てきます。そして今度は「嫌い」という判断基準をもって世の中を見てしまうのです。 

そうするとどうなるでしょうか? あらゆるものを拒絶し、反対し、攻撃し、壊そうとするんですね。自分で勝手に相手のことを「嫌い」と判断して、その人がどんな人かもちゃんと調べないまま、拒絶したり、無視したり、戦おうとするのです。これでは世の中を正しく見ることなどできないでしょう。 

たとえば世の中には「仏教が嫌い」という固定観念を持っている人がいます。彼らは仏教の話を聴こうともしないで、ただ非難だけするのです。何か言いたいことがあれば、仏教を知っている人に面と向かって言えばいいのですが、逃げたり隠れたりして、仏教に反対する仲間の中でコソコソと非難するのです。そのような態度では真理を知るどころか、世界を知ることさえもできません。 

とにかく心に「嫌い」という幕を覆ってしまうと、見るもの聞くものすべてが嫌いになってしまうのです。それで、身も心も石のようにコチコチに固くなってしまいます。頑固になります。そして自然な生き方を壊してしまうのです。 

私たちは自然の中でスムーズに流れて生きてゆくべきなのに、人間は自分たちだけの都合で、好き勝手にあらゆるものを壊しています。オゾン層を破壊したり、森林を伐採したり、動物を殺したり、また自分と同じ種の人間までも平気で殺したりするのです。 

ストレスの正体は貪瞋痴 

このように私たちは自分の好き嫌いでものごとを判断しているんですね。そのため、世界をありのまま知ることができないのです。好きと嫌い、これが仏教でいう貪りと怒りです。 

欲をつくってみてください。人に恋でもしてみてください。世の中では「恋することは美しい」などと歌っていますが、本当にそうでしょうかね? 精神的に大変なストレスがかかることではないですか? もしそれが美しいことであるならば、一度に、5、6人の異性と付き合ってみてはいかがでしょう。それで本当に楽しくなりますか? 

では怒りの場合はどうでしょうか。落ちついていられますか? わがままで、自己本位で「あれはイヤ、これもイヤ」と嫌いなものをいっぱいつくってみてください。もう生きていられなくなりますよ。心に大変なストレスがかかります。 

それから私たちはもっとひどいことをしているのです。無視するということ。周りから絶えず情報が触れ続けているのですが、それを無視してしまうのです。好きでもないし嫌いでもない。だから無視しようと。この無視することを仏教では「無知」といいます。 

結局、私たちは「世界を知ろう」とせずに、貪瞋痴で「世界を変えよう」としているのです。好きなものを追いかけ、嫌いなものを破壊する。
そしてそれ以外のものは、自分に関係ない、そんなことは知らない、と言って平気で無視してしまうのです。 

この貪瞋痴の三つのエネルギーがあると、身も心も固くなり、頑固な性格になってしまいます。好き嫌いが激しい人と付き合うのはちょっと面倒でしょう。自分の意見をなにがなんでも通したがるし、まったく柔軟性がない。そういう人は自分自身だけでなく、世界と戦っているのです。でも、世界を相手に、たったひとりで戦くことができますか? 戦っても勝てるんですかね? 勝ち目のない戦いをするとストレスだけが溜まるのです。 

このようにストレスの根本的な原因は、欲と怒りと無知なんですね。心に貪瞋痴が入ると、人間にとっての財産である智慧を失ってしまいます。 
ありのままの世界を観る目を失うのです。そして苦のみが生まれて幸福が失われるのです。 

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充実感こそ最高の財産
今、この瞬間を生き切ればいい 
著者:アルボムッレ・スマナサーラ長老
初版発行日:2002年9月