施本文庫

善に達するチカラ

忍耐・堪忍の本当の意味 

アルボムッレ・スマナサーラ長老

第四章 忍耐と解脱

忍耐の活用法

・良い条件、善い仲間の獲得。

つねに落ち着いて冷静にいようと思っても、自分一人では気が弱くなって負ける場合もあります。心とは揺らぐものです。いつも強気ではいられません。しかし、忍耐がなくなって不適切な行動をすると、自分の負けなのです。人格は向上しません。
だから、良い条件、善い仲間、自分の目的を助けてくれる人を獲得することも忍耐です。そうすれば、気が弱くなった時も間違いを起こさず、忍耐を保つことができるようになります。

・自分の目的の進み具合をチェックする。

「どうですか? 上手くいっていますか?」と自分の目的の進み具合もチェックする。これは大事なポイントです。自分は忍耐をもって人格向上に励む。
そこで、進み具合もチェックしてみるのです。進み具合が良くないと分かったら、自分の実践の仕方を調整しなくてはいけません。
「やればいい」と思っている人々もいます。たまにそういうケースも起こり得ますが、「やればいい」というスローガンは使わないほうが無難です。「やればいい」には、理解と納得の伴わない行動をしている、というニュアンスも入っているからです。仏教は理性を大事にする教えです。

・状況に応じて、厳しく励んだり、緩やかに励んだり、場合に応じて休んだりもする。

ただがむしゃらに頑張るべきではありません。結果が出ているか、成長しているか、と調べて、状況が分かったら、「今はがむしゃらにやらなくては」とか、「今は緩やかにやった方がよさそうだ」とか、「今はやはり休んだ方がよいだろう」とか、いろいろな対応のしかたが見えてきます。
冥想実践を例に出して説明しましょう。体が疲れているけれど、忍耐の実践にもなるからと冥想実践に入る。しかし体の疲労が激しい。眠気には勝てそうもない、妄想の攻撃にも太刀打ちできない状態になる。それならば、冥想実践は無駄に終わってしまいます。このような場合は休んだほうがよいと思います。
体が疲れていないにも関わらず、睡眠が襲ってくることもあります。それには立ち向かって、眠気を壊さなくてはいけません。
このように、励みの仕方も調整しなくてはいけないのです。それも忍耐の実践です。

・善いことだと勘違いして、欲や怒りの誘惑に負けることもあるので、良い条件に注意を払う。

これはとても大事なポイントです。また冥想実践の例で説明します。
自然の美しい処で、冷暖房の備わった、高価な絨毯が敷かれた静かな部屋であれば、気持ちよく冥想できるだろうと推測する。しかし、冥想実践をおこなってみると、頭が妄想にやられて、なかなか進めません。何が起きたかというと、この修行者はぜいたくな場所を探していたのです。それは欲の感情です。冥想実践を始めたら、欲の感情が攻撃しはじめます。修行者は知らず知らずのうちに、欲を抑える場所ではなく、欲を惹き起こす場所を良い条件として選んでいたのです。

それとは逆に、人々が行かない、生活に必要なものが殆ど揃っていない厳しい処を選ぶ人もいます。実践してみると、うまく進まない。そうすると、さらに厳しい処を探して移動する。でも、結果は同じです。どういうことかと言うと、この修行者は、一般人が普通に生きている環境に対して怒りを持っていたのです。そこで、自分はあえて厳しい処を選んだ。結果として、冥想に相応しい場所と勘違いして、怒りが刺激されやすい環境を選んでしまったのです。

自分が怠け者で、真剣に精進しない。我が強くて、指導者の話を真剣に聴かない。指導者の過ちばかりを探している。そのような人々は、善い指導者と善い修行道場を探し求めて、世界中歩き回ります。「善い指導者と善い修行場所に出会ったならば、冥想は成功する」と勘違いしています。しかし、その人が探す場所は、自分の悪い性格を刺激する環境になるのです。このように、良い条件を探そうとしても、自分の心が自分を騙す場合もあります。

俗世間の例でさらに説明します。受験勉強中の子供がいるとしましょう。徹夜して勉強する。母親は一時間ごとに何か食べ物を作ってあげる、母親は応援しているつもりです。しかし、どんな子供にしても、世界一美味しいのは母の料理です。この受験生の集中力は「次はどんな料理をもってきてくれるかな」ということに向けられます。食べ過ぎて、勉強しても内容が頭に入らなります。体がだるくなって、眠気に襲われるのです。
もしこの受験生が夜何も食べず空腹感をかんじながら勉強するならば、眠気に誘われることは無くなるかもしれません。食欲は生命の基本的な要求なので、脳が醒めて、落ち着いて寝る気にならないからです。もしかすると、楽に徹夜できて、勉強したことも十分憶えられる可能性があります。
だから、「母親の全面的な協力」が受験勉強の成功に欠かせないとは言いづらいのです。このように、良い条件に対しても、注意しなくてはいけません。

勘違いの続き

khantī・忍耐にかかわる他の勘違いもあります。心を成長させたいと思う人には、柔軟であるという条件が必要です。延いて言えば、柔軟であることも忍耐です。
しかし、あの人のやり方もやってもる、この人のやり方もやってみる、あの人の話も聴いてみる、この人の話にも乗ってみる、というような性格だったら、勘違いに陥ってしまいます。何も学べず、何処にも達することなく、人生は終わります。

仏道だけではなく普通の生きかたであっても、成功させるためにはものごとに対する確信が必要なのです。仏教は無批判的な信仰を禁止しています。証拠を探して、理性を働かせて、「これは正しいのではないか。実践してみる価値がある」と決めることが必要です。この、理性に基づいた信(確信、ākāravatī-saddhā)がなければ、何ひとつとして実行できなくなります。
このポイントでも、勘違いしてしまう人がいます。仏教もキリスト教も、イスラム教・ヒンドゥー教も、その他の宗教も、人間に必要なことを教えているのだと信じる。しかし、一人の人間がすべての宗教を実践して、真偽を確かめることは不可能です。正反対のことを主張する宗教もあります。イスラム教の場合は、ムハンマドが最後の預言者だと信じなくてはいけない。キリスト教の場合は、イエスが神の子であり、また神であると信じなくてはいけない。ひとつの宗教を完全に否定して捨てない限り、もう一つの宗教を信じることは不可能です。
「誰だって善いことを教えているのだ」という態度は、表面的には心が広い人間に見えても、勘違いなのです。そのような性格ならば、何も学べず、何も得られず、人生は失敗で終わってしまいます。ものごとは、理性に基づいて自分で調べて判断しなくてはいけない。この条件も勘違いしてはいけないポイントです。

そういうことで、私たちは仲間・味方だと思っても、完全に気を緩めることなく、ある程度まで自分の理性を働かせなくてはいけないのです。
理性・自ら判断すること・柔軟性・信仰に飛びつかず調べることなども必要な条件ですが、勘違いしてしまったら損します。なにごともバランスが重要です。

1 2 3 4 5 6 7 8 9

この施本のデータ

善に達するチカラ
忍耐・堪忍の本当の意味 
著者:アルボムッレ・スマナサーラ長老
初版発行日:2015年5月3日