No.17(『ヴィパッサナー通信』2001年5号)
白髪の話
Makhādeva jātaka(No.9)
この物語は、釈尊がジェータ林におられたとき、大いなる世俗離脱(俗世間の欲を離れ、修行によって到達する離欲・解脱の境地)について語られたものです。
そのとき比丘たちは、十種の力を備えた方であるお釈迦さまの世俗離脱を賞賛しながら、講堂に坐っていました。すると尊師お釈迦さまがその講堂に来られ、ご自分の席にお坐りになって、比丘たちに話しかけ、「比丘たちよ、ここに集ってどんな話をしていたのですか」とお尋ねになりました。
「尊師よ、ほかの話ではございません、あなたさまの世俗離脱を賞賛しながら、ここに集っていたのです。」
「比丘たちよ、如来が世俗離脱したのは、何も今だけに限ったことではなく、過去においてもやはりそうであった。」
比丘たちはその内容を説き明かしてくださるよう尊師に懇願したので、お釈迦さまは前世に隠された経緯を語られました。
その昔ヴィデーハ王国のミティラーの都に、マカーデーヴァという王様がいましたが、彼は理法にかなった正義の王でした。
彼は八万四千年の間、王子としてふるまい、次の八万四千年は副王として国を治め、また次には大王として統治して、長い年月を過ごしてきましたが、ある日理髪師に向かって、「なぁ理髪師よ、もしも私の頭に白髪を見つけたら、そのときは私に知らせてくれ」と言いました。
理髪師もまたともに長い年月を過ごしたある日、王様の黒々とした髪の中に一本の白髪を見つけて、「王様、一本の白髪が見えます」と告げました。「ではお前、その白髪を引き抜いて、私の手の上に置いてくれ」と命じられたので、理髪師は黄金の毛抜きでそれを引き抜いて、王様の手の上に置きました。
そのとき王様にはまだ八万四千年の寿命が残っていました。そうではあったけれども、王様は白髪を見ただけで、死王が近づいて来て側に立っているような、また自分が燃えさかる草庵に入り込んだような心地がして恐怖に陥り、「愚かなマカーデーヴァよ、白髪が生えるまで、この煩悩を断とうとすることをしなかったとは」と考えました。彼がこのように、白髪が生えたことについて考え抜いているうちに、その体内には熱が生じ、体からは汗が流れ、衣服はべったりと体にまとわりついて脱がずにはいられない状態になってしまいました。
王様は、「今こそ私は、世俗的なことから離れて、出家するべきだ」と考えて、理髪師に十万金の収益を得られる良い村を与え、長男である王子を呼び寄せ、「なぁお前、私の頭には白髪が生えた。私は年老いた。それに、人間的な快楽はすっかり享受してしまった。今となっては天上の楽しみを求めようと思う。今は私が世俗から離脱する絶好の機会なのだ。お前はこの王位を引き継ぎなさい。私は出家してマカーデーヴァ・マンゴー樹林の遊園に住んで修行者の道を実践しようと思う」と言いました。彼がこのように出家の決意を固めていると、大臣たちがやって来て、「王様、あなたさまが出家なさる理由は何なのですか」と尋ねました。
王様は白髪を手に取って、大臣たちに向かい、次の詩句を唱えました。
寿命を蝕むこの白髪が
私の頭に生じた
天使が現れた(※)――出家の時が到来した
王様はこのように唱えると、その日のうちに王位を退き、出家して仙人となり、例のマカーデーヴァ・マンゴー樹林の遊園に住んで、八万四千年の間、崇高な境地である「四梵住」(慈・悲・喜・捨の四無量心)を修習して、退くことのない禅定に入りました。死後は梵天界に生まれてから、さらにそこから転生して、同じミティラーの都でニミという王様となり、衰退していた自分の一族を再興した後、同じマンゴー樹林の遊園に出家して住み、「四梵住」を修習して再び梵天界に達しました。
お釈迦さまは、「比丘たちよ、如来が世俗離脱したのは、何も今だけに限ったことではなく、過去においてもやはりそうであった」と以上のように説示されてから、四聖諦を説き明かされました。そこで、ある者は「預流果」の悟りに達し、またある者は「一来果」の悟りに達し、またある者は「不還果」の悟りに達しました。
こうしてお釈迦さまは、これらの説法を終えられると、連結をとって過去を現在にあてはめられました。
「そのときの理髪師はアーナンダであり、長男である王子はラーフラであり、そしてマカーデーヴァ王はじつに私であった」と。
スマナサーラ長老のコメント
(※)天使の告知
天使の告知といえば、間違いなく朗報と喜ぶべきものです。キリスト教だけではなく、仏教でも人に何か大事なことを告知する者という意味で、天使(デーヴァ ドゥータ)という言葉を使っています。天使とは、朗報を告げる者で、間違っても人を脅したりすることはないものです。お釈迦さまが王位を捨てて出家した物語の中でも、四人の天使の告知を受けて出家することになりましたと伝えられています。さて、この四人の天使は誰だったでしょうか?
(1)老醜をさらす人 (2)病に倒れている人 (3)死人 (4)出家者
どう考えても人が付き合いたくない四人ですが、それでも天使扱いにされているのは何故かと考えてみるべきです。
人は、欲に溺れて生きている。「どうすれば快楽を味わえるか」ということしか考えないのです。善悪の判断力も、道徳も、倫理も、快楽の前では跡形もなく崩れていくのです。一生食べて遊んで、贅沢三昧の生活をしていても、心が満足を感じないのです。快楽を追えば追うほど、増えるのは苦しみです。もっと楽しみたいという渇愛があるので、老いること、病気になること、死ぬことを最悪の敵として目の仇にしているのです。この、快楽のみを求める生き方が、世の中に存在する一切の罪悪の原因です。どれほど世俗欲に浸って生きていても、「老・病・死」に出会わなくてはならないのです。善行為をして、心を育てて、肉体的な快楽以外には何の幸福も見出せない心の無知を正しなさいと、「老・病・死」が親切に警告します。その道が世俗離脱であると、「出家者」が告知します。人間に最高の幸福の道を案内するので、老人・病人・死人と出家者が、正真正銘の天使なのです。
マカーデーヴァ王は、自分の一本の白髪を天使だと思って、俗世間から離れて出家することを決めたのです。