No.18(『ヴィパッサナー通信』2001年6号)
名馬の話
Bhojājānīya jātaka(No.23)
この物語は、釈尊がジェータ林におられたとき、精進することをやめてしまった一人の比丘について語られたものです。
そのとき、お釈迦さまはその比丘に語りかけられ「比丘よ、過去において賢者たちは、絶望的状況にあっても精進を失わず、傷を負っても決して断念することはなかった」と言って過去のことを話されました。
その昔バーラーナシーにおいてブラフマダッタ王が国を統治していたとき、菩薩はシンドゥ産の名馬の血統に生まれ、身にあらゆる装飾を施されて、王様の吉祥馬となっていました。かれは十万金の価値を持つ黄金の器で、さまざまな最高の美味を添えた三年越しの米飯を食べ、四種の香料が塗られた地面に立っていました。その住みかには紅色のウールの幕が巡らされ、上部には黄金の星飾りが散りばめられた天幕があり、香草の環や、花の環が束ねられ、香油の灯火がたえることなくともされていました。
ところで、そのころの国々の王たちで、バーラーナシーの国土を欲しがらない者はいませんでした。あるとき七人の王たちがバーラーナシーを包囲して、「われわれに王国を引き渡せ、さもなくば戦争だ」という書状を王様に送りつけました。王様は大臣たちを召集して事態を説明し、「我々は今どうするべきだろうか?」と相談しました。「王様、最初からご自身で戦いに出るには及びません。まずは騎馬隊を遣わして戦いをさせるのがよろしいでしょう。もしそれが成功しなければ、また私達が次の策を考えましょう」と大臣たちは答えました。
王様は騎馬隊の司令官を呼び寄せて、「そなたは七人の王と戦うことができるか」とたずねました。「王様、あのシンドゥ産の名馬を頂ければ、七人の王はもちろんのこと、ジャンブ洲(インド)全土の王と戦うことができます。」「よろしい、シンドゥ産の名馬であろうと、他のものであろうと、必要ならば何でも投入して戦ってくれ。」「かしこまりました王様。」と、騎士は王様に敬礼して宮殿から退出しました。そして、あのシンドゥ産の名馬を連れてきてきてもらい、充分に武装させてから自分もあらゆる武具を身につけて剣を持ち、馬の背に跨ると堂々した姿で都を出ました。
彼らは電光のように駆け回り、一番目の要塞を打ち破って一人目の王を生け捕りにすると、都に戻って味方の軍勢に引渡し、再び出ていって第二の要塞を打ち破り、次には第三の…という具合にして五人目までの王を捕らえました。ところが六番目の要塞を打ち破って六人目の王を捕らえたときに、馬は負傷してしまいました。血が流れ、きびしい痛みが彼を襲いました。それに気付いた騎士は、馬を王宮の門のところに横たえさせ、武装をゆるめて別の馬に武装をさせ始めました。
菩薩である名馬は脇腹を下にして横たわったまま、両眼を見開いて騎士を見つめ、「彼は他の馬を武装させているが、あの馬では七番目の要塞を打ち破って七番目の王を捕らえることはできないだろう。私がここまでなしとげた仕事は無に帰するし、比類のない騎士も失われ、王様も敵の手中に落ちるだろう。七番目の要塞を打ち破って七番目の王を捕らえることを可能にするのは、私をおいて他にはあるまい」と考え、横たわったままで騎士を呼び寄せて、「わが友である騎士よ、七番目の要塞を打ち破って七番目の王を捕らえることのできる馬は、私をおいては他にいません。私は自分のなしとげた仕事を無にしたくはありません。どうぞこの私を立たせて武装して下さい」と言って、次の詩句を唱えました。
たとえ矢に射抜かれて
脇を下にして横たわっていても
名馬は駄馬より優れている
御者よ、この私にこそ馬具をつけなさい
騎士は菩薩である馬を立たせ、傷口を縛って充分に武装をさせてその背に跨り、七番目の要塞を打ち破って七番目の王を捕えて王様の軍勢に引き渡しました。大臣たちが馬を王宮の門のところへ連れて来ると、王様は彼を見ようとして出て来られました。大士(偉大な人)である名馬は王様に言いました。「大王様、七人の王たちを殺してはなりません。誓いを立てさせて釈放して下さい。私と騎士とに与えられる栄誉は、この騎士だけに授けて下さい。七人の王を捕らえて引き渡した勇者をないがしろにしてはよくありません。またあなたは施しをおこない、道徳を守り、公正で平等に王国を治めて下さい」このように、菩薩である名馬が王様に訓戒を与えていると、大臣たちは彼の武装を解きはじめました。
彼は、武装がつぎつぎに解かれていくうちに、その場で息絶えました。王様は彼の葬儀を行わせ、騎士には多くの栄誉を与え、七人の王たちには今後ふたたび謀反を起こさないことを誓わせて、それぞれの国に送り返しました。そして、正義によって公正で平等に王国を治め、命が終わるときにはその業に従って生まれかわっていきました。
お釈迦さまは、「比丘よ、このように過去において賢者たちは、絶望的状況にあっても精進を失わず、傷を負っても決して断念することはありませんでした。ところがそなたは、このように生死を繰り返す迷いの境涯から世俗離脱する教えのもとに出家しておりながら、どうして精進することを断念するのか」とおっしゃって、四聖諦を説かれました。真理の説法が終わると、精進を失っていた比丘は阿羅漢の悟りを得ました。
師であるお釈迦様はこの説法を取り上げ、連結をとって過去を現在にあてはめられました。「そのときの王様はアーナンダであり、騎士はサーリプッタであり、シンドゥ産の名馬はじつに私であった」と。
スマナサーラ長老のコメント
仏道を実践し束縛を捨てて解脱する道は、「棚からぼた餅」を得るようなものではありません。七人の王と一人で戦うだけの、勇気と工夫が必要です。お釈迦さまが悟りを開かれた過程も、マーラ(魔)の十軍隊と激戦のすえに勝利を得たこととして表現されています。
ですから、「実践するぞ!」と力んでみても、大体は途中で煩悩に負けて、挫折してしまうこと請け合いです。自分自身の力で心を育てる道ですので、自分では認めたくない心の弱みや汚れを正直に認めながら、修行を進めなくてはいけないのです。
仏道は、精神力と理解能力を必要とする勇者の道です。真理を目指す道を、途中で苦しみの壁に出会ったからといって諦めてはならないと、この物語の吉祥馬が諭しています。何かと言い訳をつけて、善いことを後回しにするのは人間の常識ですが、仏教はそれを認めません。善いことは、どのような邪魔が入っても、何とか通り抜けて達成するべきものです。