No.24(『ヴィパッサナー通信』2001年12号)
善い評判のお陰で悟った資産家の話
Kalyāṇadhamma jātaka(No.171)
この物語は、釈尊がジェータ林におられたとき、一人の耳の遠い姑について語られたものです。
サーヴァッティーのある資産家は、信心深く、心清らかで、三宝に帰依し、五戒を守って暮らしていました。
彼はある日、沢山のバターや薬品類、それに花、香、衣服などを携えて、「ジェータ林のお釈迦さまのもとに行って、説法を聞こう」と出掛けて行きました。彼がそこに出掛けて行ったとき、資産家の姑(妻の母親)が食べ物を持って娘に会いに家にやって来ました。彼女は、少し耳が遠い人でした。彼女は、娘とともに食事をしましたが、少し眠くなったので、眠気を吹き飛ばそうとして、娘にこう問いかけました。「どうだいお前、旦那とは仲睦まじく幸福に暮らしているかね。」娘は、「お母さん、何をおっしゃるのですか。あなたの婿殿のように戒と行を備えた、そんな人は出家者の中でも見つかりませんよ」と答えました。
ところが母は、娘の言葉をはっきりと聞きとれず、「出家者」ということばだけを捕らえて、「なんだって! おまえの主人は、どうして出家したんだい」と大声を出しました。
その声を聞いた家の使用人たちは、「私たちの家の御主人様が出家したそうですよ」と号泣して大騒ぎになりました。その声を聞いた通り掛りの人々は、「一体これはどういうことなのですか」と尋ねました。家の者は「この家の主人が出家したというのです」と答えてしまいました。
張本人である資産家はまた、お釈迦さまの説法を聞き終わると、僧院から出て来て町に入りました。すると、途中で一人の男が彼を見て、「旦那、あなたは、出家されたそうですね。あなたの家では、お子さんや奥さん、それに使用人たちが泣いておりますよ」と言いました。
そこで彼はこう思いました。「彼は、出家してもいない私を、出家したと言っている。私のもとにやって来た善い評判の邪魔をしてはいけない。今日こそ私は出家しなければならない」と、そこから戻って再びお釈迦さまのもとに行きました。
お釈迦さまが、「ウパーサカ(在家信者)よ、たった今私の説法を聞いて帰って行ったのに、今またやって来たのはどうしてなのか」とお尋ねになったので、一部始終を語って、「尊師よ、自分のところにやって来た善い評判を、妨げてはいけないのではありませんか。だから出家したいと思ってやって来たのです」と言いました。
そして彼は出家し、受戒して、あまねく修行を実践して、阿羅漢の悟りに達しました。
この出来事は、僧伽(サンガ)中に知れ渡りました。そこである日、比丘たちは説法場で議論を始めました。「友よ、これこれの資産家が、自分の耳にふと入った善い評判を、それを妨げるべきではないと言って、出家して、いまや阿羅漢の悟りに達した」と。そこへお釈迦さまがおいでになって、「比丘たちよ、ここに集まって、何を話しているのか」とお尋ねになったので、「これこれのことです」と答えると、「比丘たちよ、昔の賢人も、『自分の耳に入った善い評判は、それを失ってはいけない』と、出家したことがある」と言って、過去のことを話されました。
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その昔バーラーナシーにおいてブラフマダッタ王が国を統治していたときに、菩薩は、豪商の家に生まれて成長し、父親の死後あとを継いで豪商になりました。
彼は、ある日、王に仕えるために家から出掛けて行きました。するとかれの姑が、「娘に会おう」と彼の家にやって来ました。彼女は、少し耳が遠い人でした。
これ以後はすべて、前に述べた現在の出来事と同じことが起きました。
彼が王に仕えてから帰って来るのを見て、一人の男が「あなたは、出家なさったそうですね。あなたの家で、みんなが大声で泣いておりますよ」と言いました。菩薩は、「耳に入った善い評判は、それを妨げてはいけない」と、そこから戻って王のもとに行きました。
王が、「大豪商よ、いま帰ったばかりなのに、またやって来たのはどうしたのか」と言うので、「王さま、家の者たちが、出家してもいない私を、出家したと言っていているそうです。耳に入った善い評判は、それを妨げるべきではないでしょう。だから、私は出家いたします。どうか私が出家するのをお許しください」と、この出来事を明確にするために、つぎの詩句を唱えました。
王君 善い評判が
人に巡ってでも来たならば
智慧のある人は その名に背かない
悪評を恥じて
善という重荷を担うことにする
その善い評判が
王君よ 私に巡って来ました
これを重んじ私は出家する
世俗的喜びに浸る意欲はない
菩薩は、このように言ってから、王に出家を認めてもらって、ヒマラヤ地方に行き、仙人として出家し、神通と禅定とを得て、梵天の世界におもむきました。
お釈迦さまはこの説法を終えられると、過去を現在にあてはめられました。「そのときの王はアーナンダであり、バーラーナシーの豪商は実にわたくしであった」と。
スマナサーラ長老のコメント
【この物語の教訓】
世間の「評判」などというものは、実際には当てにならないものです。
人は、好き勝手に他人のことを噂話のネタにします。何の根拠もなく悪い噂が広がったときは、被害者が並々ならぬ精神的な苦悩を味わうことにもなります。不思議なことに世の中に流れるのは、往々にして悪い噂のほうが多いようです。人の噂話に翻弄されると不幸になるに決まっているので、そんなものは無視するか、TPOによって釈明するしかないのです。
滅多にありえないことですが、人に対して善い評判がたったならば、それがたとえ的外れのものであっても、その人は評判に符合した人間になるよう真剣に努力するべきです。