No.47(『ヴィパッサナー通信』2003年11号)
ウドゥンバラ樹とオウムの話
Mahāsuka jātaka(No.429)
この物語は、釈尊がジェータ林におられたとき、ある比丘について語られたものです。
彼はお釈迦さまのもとで修行の指導を受けてから、コーサラ国の国境の村に近い森林に住んでいました。人々は彼のために、行き帰りが楽な所に昼夜住める房舎を用意し、うやうやしく仕えていました。ところが彼が雨安居に入った最初の月にその村が焼けてしまい、村人には蒔く種すらも残りませんでした。村人たちは、比丘においしい食べ物をお布施することができなくなりました。彼にとってはよい住居でしたが、食物が不味いことに悩んで修行は全く進みませんでした。それから三ヵ月過ぎて、彼はお釈迦さまのもとにご挨拶に行きました。お釈迦さまは、親しく言葉を交わされ、「食物には困ったろうが、房舎は快適であったろう?」とお尋ねになりました。彼は、その事情を報告しました。お釈迦さまは、彼のその房舎が快適であったことをお知りになり、「比丘よ、沙門というものは、房舎が快適であれば、食欲に陥るのではなく手に入った食べ物で満足し、修行を行うべきである。むかしの賢者は、動物として生を受けたときでさえも、自分の住所である枯木で木の粉を食べていても、欲望に囚われることなく、満足して恩(感謝)を忘れることなく、他の場所へ去りはしなかった。おまえはどうして『食物が乏しい、粗末である』と言って、適当な房舎を活用しなかったのであるか」とおっしゃり、彼に請われて、過去のことを話されました。
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むかし、ヒマラヤ山中のガンガー河の岸辺に、ウドゥンバラの森があって、数千羽のオウムが住んでいました。そこに一羽のオウムの王がおり、自分の住んでいる木の果実がなくなると、残っているものは若芽でも、葉でも、樹皮でも、枯皮でも、何でも食べ、ガンガー河の水を飲み、徹底した少欲知足生活で、決して別の場所には去りませんでした。彼の少欲知足の徳によって、帝釈天(サッカ)の天宮は震動しました。帝釈天は原因を調べたところで彼を見出しました。そして、彼を試すために、自分の神通力によってその木を枯らしてしまいました。そのため木は幹だけが残り、穴だらけになり、風に吹きさらされて立っていました。そしてその穴から木の粉くずがでてきました。オウムの王は、その木の粉くずを食べ、ガンガー河の水を飲み、他の場所へは去らずに、風や太陽の熱を気にせず、ウドゥンバラの幹のてっぺんに坐っていました。帝釈天は、彼がとても少欲であることを知り、「彼に恩(感謝)について語らせ、謝礼を彼に与え、ウドゥンバラ樹に甘露の果実を実らせてこよう」と思いました。帝釈天は一羽の白鳥に姿を変え、自分の妻である阿修羅の娘、スジャーを先に立てて、そのウドゥンバラの森へ行き、近くに立つ一本の木の枝にとまりました。そして、オウムと会話を始めて、最初の詩句を唱えました。
果実に溢れる樹木には
鳥は群らがり果実を賞味する
果実が尽きたところで
鳥たちは他方へ飛び去る
彼はこのように言って、オウムを立ち去らせるために第二の詩句を唱えました。
オウムよ、飛び去れ
何故枯れ木の上で困窮するのか
そのわけを聞きましょう
春の如き麗しい鳥よ
何故枯れ木を捨て去らないのか
そこでオウムの王は、帝釈天に向かい、「白鳥よ、私がこの木を捨てて去らないのは、この樹に恩を感じているからです」と言って、二つの詩句を唱えました。
白鳥よ 真友の友情は命の如し
苦楽と禍福を共にし
友人を捨て去ることはしない
善人は常に善行為を想う
白鳥よ 私も親善を尽くす
樹は我が親族にして友なり
命を惜しみ この枯樹を見捨てることは
友情の道ではない
帝釈天は彼の言葉を聞いて満足し、賞讃して贈り物を与えようと思い、二つの詩句を唱えました。
汝は友情と慈しみと和合を
見事に語る
この法を重んじる汝は
賢者の賞讃に値する
オウムよ
私は汝に謝礼をする
汝が望むものは
何なのか
それを聞いてオウムの王は、贈り物を選びつつ、第七の詩句を唱えました。
白鳥よ もしも私が謝礼を受けるなら
再びその樹の生命を希望する
枝葉がのびて果実が実り
栄えて美しく立つように
そこで帝釈天は彼に謝礼を与えようと第八の詩句を唱えました。
友よ 果実の豊かなこの樹を見よ
君はこの樹と共に住むべし
枝葉がのびて果実が実り
栄えて美しく立つであろう
このように言って、帝釈天は白鳥の身体を捨て、自分とスジャーとの神通力を現し、ガンガー河から手で水をすくって、ウドゥンバラ樹の幹に注ぎました。するとただちに樹には枝や若葉が茂り、甘い果実が実り、露出した宝石の山のように、美しく輝きながらそびえ立ちました。オウムの王はそれを見て喜び、帝釈天をほめたたえて、第九の詩句を唱えました。
多くの果実を眺め見て
わが喜びは限りなし
それと同じく帝釈天一族にも
幸福と栄えあれ
帝釈天は彼に謝礼をして、ウドゥンバラの果実を甘露の如くして妻のスジャーと一緒に自分の住処へ帰りました。
最後に、この物語についてお釈迦さまが次の詩句を唱えられました。
オウムに謝礼をして
再び果実を実らせ
帝釈天夫妻は
神々の歓喜苑へと立ち去った
お釈迦さまはこの話をされて、「比丘よ、このようにむかしの賢者は動物として生を受けても、欲に溺れることはなかったのだ。おまえは、どうしてこのような教えのもとで出家しながら欲に溺れる行動をするのであるか。行ってその場所で暮らしなさい」とおっしゃって、さらに指導なさいました。そして、過去を現在にあてはめられました。(その比丘は、その場所へ行き、ヴィパッサナー実践を行い、阿羅漢の悟りに到達しました。)「そのときの帝釈天はアヌルッダであり、オウムの王は実にわたくしであった」と。
スマナサーラ長老のコメント
この物語の教訓…恩返し
受けた恩を忘れる人は悪人であると、釈尊は説かれます。受けた恩を決して忘れないことと恩返しをすることは、仏教が最も重んじる道徳です。恩を知る人、感謝の気持ちを忘れない人こそ、この世で成長して幸福になるのです。仏道さえも完成するのです。
現世物語で出てきた比丘には、感謝の気持ちがなかったのです。村人たちは一生懸命お布施をして協力してあげたのに、その人々が不幸になったときに、一緒に居て励ましてあげる気持ちにはならなかったのです。食い物が不味かったことに心の中で不満を抱いて、自分の修行も失敗したのです。「私も命がけで修行を頑張りますので、皆さまも落胆することなく、この不幸を乗り越えるために頑張って下さい」と言えば良かったのに…。修行を完成することは、お布施をする人に対する最高で完全な恩返しなのです。