ジャータカ物語

No.60(2004年12月号)

油鉢物語②

Telapatta jātaka(No.96) 

アルボムッレ・スマナサーラ長老

(前回までのお話)
たくさんの兄がいる王子である菩薩は、独覚仏陀の薦めに従い、自分の領土を求めてタッカシラーという町へと旅立つことにした。五人の家来を伴って道を急ぐ菩薩の一行を、女夜叉(鬼神)たちが森の中で待ちかまえていた。夜叉たちは、容色・美声・香り・美食・触感を使って、菩薩の一行を誘惑しようとした。五人の家来のうち二人は誘惑に負け、夜叉に食べられてしまった。

菩薩の一行は仕方なく、四人で道を急ぎました。二人目の家来を食べた夜叉たちは、先回りをして魅惑的なお香の店をつくり、美妙で典雅なお香の小箱をたくさん並べ、菩薩たちを待ちました。菩薩の一行が近づくと、美女に化けた夜叉は、天のお香をたきました。家来の中の香りに目がない男の足が、次第に遅くなりました。菩薩が「どうして遅れるのか」と訊くと、「王子様、私はひどく疲れました。少しあの店で休んでいこうと思います」と言うのです。菩薩が「あれは夜叉だ。惑わされるな」と忠告しても、「どうしても足が痛くて、これ以上は進めません」と動かなくなりました。菩薩はなんとかして引き留めようとしましたが、甘美な香りの誘惑に負けた家来は、吸い込まれるように、夜叉の店に入ってしまいました。夜叉たちは、店に入ってきた男を色香でとりこにし、殺して食べてしまいました。

菩薩の一行は仕方なく、三人で道を急ぎました。夜叉たちはまた先回りをし、今度は世にも豪華な料理店をつくり、最高の天の味覚を盛りつけたお皿を豪勢に並べてすばらしい匂いを漂わせ、菩薩たちを待ちました。一行がそこを通りかかると「こちらへどうぞ」とにこやかに呼び止めました。食道楽でおいしいものに目がない家来の足が次第に遅くなりました。菩薩がなんとかして止めようとしましたが、彼は吸い込まれるように料理店に入って行ってしまいました。夜叉たちは、店に入ってきた男にたっぷりとおいしい食事を取らせた後、彼を殺して食べてしまいました。

菩薩たちは仕方なく、二人だけで道を急ぎました。四人目の家来を食べた夜叉たちは、先回りをし、艶やかで華麗な家を造り、両方に赤い枕のある天の臥所を置いて、美しい天女に化けて二人を待ちました。二人が通ると寄ってきて腕にまとわりついて、家の中に呼び込もうとしました。最後に残った家来は、女夜叉の天女のごとき肌に惑わされ、次第に足が遅くなりました。菩薩が「おまえまで惑わされたのか。あの女は夜叉だ。だまされるな」と、なんとかして止めようとしたのですが、美しく化けた女夜叉の色香に惑わされた家来は耳を貸さず、夜叉の家へと吸い込まれていってしまったのです。夜叉たちは、家来を魔力のある色香でとりこにし、殺して食べてしまいました。

菩薩はとうとう一人になりました。しかし菩薩は臆することなく勇敢に森を抜け、タッカシラーへと急ぎました。一人の女夜叉が、「あの男は非常に意志が固い。私はどんなことをしてでも、あの男を食べてやる」と、可憐な美女に化けて菩薩の後を追いました。若くて立派な男の後を、世にも美しい若い女が追いかけて行くのです。通りがかりの人々は興味を引かれ、次々に、「あなたはなぜあの男を追いかけているのですか」とたずねました。女夜叉が、「あの人は私の主人ですから」と答えると、「こんなにやさしくて花のように美しい女性が、自分の家も捨てて追い従っているのに、なぜ一緒に行かないのですか」と菩薩を責めました。菩薩が「この女は私の妻ではない。彼女は夜叉なのです。私の五人の家来は彼女に食べられてしまいました」と言うと、女夜叉は涙を浮かべ「何と悲しいことでしょう。男というものは、怒ると、自分の妻を鬼だとまで言うのです」と嘆いて見せました。人々はすっかりだまされて、「こんなにやさしくて可憐な女性に対して、何という冷たい男だろう」と菩薩を責めました。夜叉は、おもしろがって、美しい妊婦に化けたり、赤ん坊を作って胸に抱いたりしながら、菩薩の後ろをずっとついて行きました。多くの人々がわけをたずね、そのたびに菩薩を非難しました。

やっとタッカシラーに到着しました。そのころには夜叉の赤ん坊は消えていました。菩薩はある空き家に入り、お守りの砂を頭にかけ、糸を身につけて坐りました。清められた砂と糸で守られた家に、夜叉は入れません。夜叉は仕方なく、天女のように美しく化けたまま、家の前で立っていました。

するとたまたま、その国の王がそこを通りかかりました。王は美しい夜叉を見て心を奪われ、家来に調べさせました。夜叉は「家の中にいるのが私の主人です」と答え、菩薩は「この女は私の妻ではない。彼女は夜叉です。私の五人の家来は彼女に食べられました」と言いました。それを聞いた王は、「男は彼女は自分の妻ではないと言っている」と夜叉を呼び、自分の象に乗せて城に連れて帰りました。

王は夜叉を、最高の后の位につけました。夜叉は美しく化けた色香で王をとりこにした後で、泣き出しました。王が「なぜ泣くのか」とたずねると「私は道で拾われた女です。后になっても、何の権威もありません。王様にはたくさんのお后がいます。私は皆にバカにされています。王様、国中の権力と命令権を私にお与えください。そうすれば、私をバカにする人はいなくなるのです」と訴えました。いくら夜叉でも、人からの権利を得なければ、自分の好き勝手には行動できないからです。王は「后よ、それはできない。国民は私のものではない。国民が王に逆らってなすべきではないことをなさない限り、私には何もできない。ただ好き勝手に命令する権利は、私にはないのだよ」と言いました。それを聞いた夜叉は「では仕方ありません。この城の権威だけでもいただきたいと存じます」と願いました。夜叉のとりことなった王は、夜叉の望みを断ることができません。「よろしい」と、城の主権を与えてしまいました。城を支配下におさえた夜叉は、王が眠りについた後、仲間の夜叉たちを呼び寄せました。女夜叉はまず王を殺し、骨だけを残して、筋、皮、肉、血など、すべてを食べてしまいました。夜叉たちは、王の妻たちや、家来たち、城中の馬や象から鶏にいたるまで、すべての生き物を、骨だけ残してむさぼり食いました。

夜が明けて、お城には人っ子ひとりいなくなりました。お城の中があまりにもしーんと静まりかえっているので不審に思った人々は、門を壊して中に入り、びっくり仰天しました。お城の中は血まみれで、骨が散らばり、地獄のようなありさまです。人々は呆然として、「あの女は夜叉だと言ったあの若い男は正しかったのだ。王様は夜叉を后にし、お城の人々や動物は、残らず食べられてしまったのだ」と言い合いました。そして「あのよそから来た男は、美しく化けた夜叉に対しても五官を制し、惑わされることがなかった。勇敢で智慧のある人物に違いない。我々には王が必要だ。彼が国を治めたら、すばらしい政治をするだろう。彼に頼んで王様になってもらおう」と、皆で菩薩のところに行き、「どうかこの国の王になってください」とお願いしました。菩薩は承諾し、国王となりました。菩薩はその後、正しく国を治め、数々の善行為を行い、その行為に応じて次の世に生まれ変わっていきました。

ここで釈尊は過去の話を終えられ、正覚者として次の詩を唱えられ、涅槃に至る法話を頂点に導かれました。

未踏の地へ行くことを望む者は
油で満たされた鉢を運ぶごとく
自己の心を護れ

そして、「タッカシラーの王になった王子は私であった」と言われ、話を終えられました。

スマナサーラ長老のコメント

この物語の教訓

このエピソードは、人間の弱みについて心理的に解明する試みです。「私はしっかり者だ、私は気が弱いのだ、云々」と、人は自己判断します。しかし、明確に自分の性格を分析して結論を出しているわけではありません。何となくそう思っているだけです。「自分を改良しなくてはいけない」と思う時でも、曖昧に、何となくその気になっているだけです。だから人には色々な決まり事があるが、実行となると一向に進まないのです。

世間では、何でもかんでもまとめて判断し、評価する傾向があります。例えば、「このご飯は美味しいです」と言う場合も明確な判断ではないと思います。食べ物には色と形がある。材料には独自の味がある。調理方法によって、その味が変わって、別の味になる。また、盛りつけという仕事もあります。このような複数の原因の結果が良ければ、料理が美味しいと言えるのです。しかし我々はまず「美味しい」と思う。「なぜ美味しいのでしょうか」と聞かれて、はじめて理由を考えるのです。だからまともな理由が思い浮かばないこともよくあるのです。

人の人生では、このようなやり方は正しくない。「あの人は良い人間だ、美人だ」と先に決めつけて、それから理由を探すのは、あべこべの行為です。「あなたは有罪だ。従って死刑に決める」と判決を下してから、有罪にするための証拠を調べるようなものです。人は「好きだ」「嫌いだ」という感情に振り回されて生きているが、それこそあべこべな生き方です。これは人間の弱みでもあります。「証拠と理由は後で探します。今は判断して行動します」という生き方は、決して正しくない。

このエピソードは人の「好き」という弱みについて説明する。「好き」といっても、仏教用語では「欲」です。心に欲が現れると、自由を失います。虜になってしまいます。魚が網にかかったようなものです。網にかかってから「なぜ、どのようにかかったのか、網にかからないためにどうすればよかったのか」と、後から魚さんがいくら智恵をしぼっても手遅れだと思います。人間は、欲という網にかかって不幸に陥る前に、欲の網の構成と機能を理解するべきです。

人間に眼・耳・鼻・舌・身という感覚を受ける場所が五つあります。この五つは、色・音・香り・味・感触に反応します。五官は皆同じレベルで感受性を持っているわけではない。人によって、ある人は一つの感覚は鋭敏で別な感覚は鈍感であることが普通です。「優秀な画家だが音痴だよ」という場合は、眼が鋭く、耳が鈍感なのです。突然「あの人は美人だ、恋に落ちた、何としてでも一緒になりたい」と判断を先走りすると、苦難に陥るのです。一人一人が、自分の五官の感覚能力、自分が何に弱いか、何に虜になりやすいかを理解した方が、安全に生きられると思います。