No.62(2005年2月号)
「無常を観る者」の物語
Uraga jātaka(No.354)
これはシャカムニブッダがコーサラ国の祇園精舎におられた時のお話です。
ある地主が最愛の息子を亡くし、片時も悲しみが忘れられずに嘆き暮らしていました。お釈迦さまは、この地主に預流果に悟る能力があることを観られ、托鉢の途中で彼の家に立ち寄られました。
喜んだ地主が礼拝して傍らに坐ると、釈尊は、「居士よ、何を悲しんでいるのですか?」とおたずねになりました。地主が「尊師、息子を亡くし、涙ばかり出るのです」と答えると、「居士よ、壊れる性質のものは壊れ、滅ぶべき性質のものは滅びる。それはある一人だけの話ではない。ある村だけでの話でもない。果てしなく広大な大宇宙(三界)の中で、死なない者はいないのです。一切の生きとし生けるものは死ぬ性質のものであり、つくられたものは壊れるものだ。過去の賢者たちは、我が子が死んでも『滅びるべき性質のものが滅びた』と知って、悲しむことはなかったのだよ」と説かれ、地主に請われるままに過去の話を語られました。
昔々、バーラーナシーでブラフマダッタ王が国を治めていた頃、菩薩はある村のバラモンに生まれ、農業を営んでいました。菩薩には息子と娘がいました。息子は成人して嫁をもらい、菩薩の一家は皆で仲良く暮らしていました。菩薩は、「お前たちは、それぞれ自分のできる範囲で施しを行いなさい。行いを正しくし、懺悔するのだよ。そして死を随観し、自分たちも死ぬことを観じなさい。死は確かなものだが、生は不確かなものだ。すべてのものは無常であって滅ぶ性質のものだ。それを、夜も昼も忘れないように、努め励みなさい」と皆に教えました。家族の者は「お父さん、よくわかりました」と菩薩の言葉を受け入れて、死の随観に励みました。
ある日、菩薩はいつものように息子と農作業に出かけました。息子が畑のゴミを集めて焼いたところ、その煙が近くの蟻塚に入り、蟻塚に住む毒蛇の目を痛めました。毒蛇は怒って蟻塚から這い出し、「こいつのせいだ」とばかりに息子の足を猛毒の牙で噛みつきました。息子は即死状態でその場に倒れました。菩薩はすぐに息子に駆け寄りましたが、息子が死んだのを知ると、彼を抱き上げて樹の根本に横たえ、上から衣を掛けました。普段から修行をしている菩薩は泣いたり嘆いたりすることはなく、「壊れるべき性質のものは壊れる。死すべき性質のものが死んだのだ。すべての現象は無常であり、死に至るものである」と無常であることを観察して、畑を耕しつづけました。
その時、隣人が畑のそばを通りかかりました。菩薩は「家の方へお帰りですか?」と声をかけ、「すみませんが、私どもの家に立ち寄って、今日は二人分の弁当ではなく一人分でよいこと、また、今日は女中だけに弁当を持たせず、家族全員が清らかな服を着て、お香と花を持って皆でこちらに来るようにと伝えてくださいませんか」と頼みました。
隣人は承知して家に帰り、菩薩の妻に伝言を伝えました。妻は、「誰がこの伝言を頼んだのでしょうか」とたずね、夫の言葉であることを知ると、息子が死んだことをさとりました。しかし、妻も普段からよく修行をしていたので、泣いたり喚いたりすることはありません。家族全員に菩薩の伝言を伝え、自分も清らかな服を着て、花とお香と菩薩の食事を持って、皆と一緒に畑に行きました。
皆、事情を察していましたが、泣き叫んだりする者は一人もいませんでした。菩薩は息子が横たわっている近くに坐って食事をし、食事が終わると皆に薪を集めさせ、息子の遺体を薪の上に横たえました。菩薩の一家は花とお香を遺体に供え、薪に火をつけて息子を荼毘に付しました。その間も、泣いたり喚いたりする者は誰もいません。ふだんの修行のおかげで落ち着いていました。
彼らの正しい行いの力によって、天界にいる帝釈天の、天の玉座が熱を帯びました。帝釈天は「いったい誰が私をこの座から動かそうとしているのか」と下界を眺め、菩薩の一家の徳の威光によって座が熱くなったことを知りました。帝釈天は喜びを感じ、「彼らが皆、正しい言葉を獅子吼するのであれば、あの家族を七宝で満たそう」と、急いで下界に下りました。
菩薩たちはまだ息子の遺骸を焼いていました。帝釈天は「何をしているのですか?」と、菩薩に話しかけました。「火葬を行っています」「落ち着いたその様子では、人間を焼いているはずがない。鹿の焼き肉を作っているのでしょう」「いいえ、人を火葬しています」「ではその人は、あなた方の敵なのでしょう」「いいえ、それどころかうちの一人息子です」「では、さぞ憎い子どもだったのでしょう」「いいえ、最愛の息子でした」「では、なぜあなた方は、我を忘れて泣き叫ばないのか」父である菩薩は詩で答えました。
人は死に
蛇が脱皮するように
己の身体を捨てて去りゆく
焼かれるものは親族の
悲しみなど知りはしない
ゆえにわれは、嘆き悲しまず
彼は行くべきところに行けり
帝釈天は菩薩の妻に訊きました。「ご婦人、亡き人はあなたの何だったのですか?」「十ヶ月間お腹に宿し、乳を飲ませ、手塩にかけて育てた息子でした」「奥さん、父親は男だから泣かないこともあろうが、母親の心は柔らかいものだ。なぜ泣き崩れないのですか?」母は次の詩で答えました。
招かれずして彼の世より来たりて
告げることなく此の世を去る
来た時と同じように去る
何の泣き崩るべきことがあるものか
焼かれるものは親族の
悲しみなど知りはしない
ゆえにわれは、嘆き悲しまず
彼は行くべきところに行けり
帝釈天は菩薩の娘に訊きました。「娘さん、亡き人はあなたの何でしたか?」「彼は私の兄でした」「娘さん、妹は兄を慕うものだ。あなたはなぜ泣き崩れないのですか?」妹は次の詩で答えました。
泣き悲しみてやせ細り
何の得るものがあることか
わが両親や親族たち
友人たちなど、親しい人を
煩い悩ますのみなれば
焼かれるものは親族の
悲しみなど知りはしない
ゆえにわれは、嘆き悲しまず
彼は行くべきところに行けり
帝釈天は死んだ息子の妻に訊きました。「ご婦人よ、亡き人はあなたの何でしたか?」「彼は私の夫でした」「女の人は夫が死んで一人になると頼りのない存在となるものだ。あなたはなぜ泣かないのですか?」妻は次の詩を唱えました。
死者を追い、縋り嘆くさまは
月を追い泣く幼子と同じ
得るものなどは何もない
焼かれるものは親族の
悲しみなど知りはしない
ゆえにわれは、嘆き悲しまず
彼は行くべきところに行けり
帝釈天は女中に訊きました。「女中さん、亡き人はあなたの何でしたか?」「私が仕える若主人でした」「その嘆かない様子を見ると、あなたはこき使われていたのでしょう」「とんでもありません。若旦那様はとても親切で、まるで私が育てた方のようでした」「ではなぜ悲嘆に暮れていないのですか?」女中は次の詩を唱えました。
壊れてしまった水瓶は
もう元には戻らない
同じように、死に去りし者を
想(おも)い悲しんでも、益はなし
焼かれるものは親族の
悲しみなど知りはしない
ゆえにわれは、嘆き悲しまず
彼は行くべきところに行けり
帝釈天は、皆が正しくしっかりと語るのを聞き、清らかな喜びの心を起こして言いました。「あなた方は死の随観の修行に励まれた。我は帝釈天である。あなた方にたくさんの財宝を与えよう。これからも、あなた方は、施しをし、戒を保ち、懺悔をして、修行に励みなさい」。帝釈天は、彼らにたくさんの財宝を与えて去っていきました。
お釈迦さまが過去の話を終えられて、さらにしばらく法話を続けると、息子を亡くした地主は預流果の悟りを得ました。釈尊は「その時の女中はクッジュタラーで、娘はウッパラヴァンナー、息子はラーフラで、嫁はケーマー、母はラーフラの母であり、バラモンの農夫は私であった」とおっしゃって、話を終えられました。
スマナサーラ長老のコメント
この物語の教訓
より理性的に、より実用主義的に生きるために、人はどのように思考の管理をすれば良いのかと教えてくれる物語です。死の随観という用語は、パーリ語で maraṇānussati です。anussati は、事実をそのまま観察することを意味します。想像したり、価値判断を入れたり、主観を挿入して色を付けたりしないことです。「生まれるもの、生起するものは、ことごとく壊れていく性質である」と観察するのです。そこに感情を導入すると、妄想になってしまうのです。頭が混乱するのです。「何で死んだんだろう。もう少々生きていれば良かったのに。親しき人の死別を経験する私は不幸だ」などと妄想して、理性が現れるどころか、更に無知に陥ってしまう。日の出も日没も、何の不思議もない自然現象です。そこには喜びも悲しみもありません。冷静に受け止めることができます。死という現象も、それと全く同じ気持ちで受け止められる精神的な能力を育むために、死の随観が勧められています。
無知な人は死を避けようとする。不幸な出来事だと思う。日常会話で使ってはならない禁句だと思う。事実に背を向ける人は、事実に遭遇すると途方に暮れるのです。やるべきことも出来なくなるのです。死を認めることは、死を宣告された時では遅いのです。将来に対していろいろ夢を抱いて、最盛期を過ごしている時に観察するべきものです。死は確実に来るものである。それは、やがて訪れるものではなく、いつでも起こり得るものであると観察する人は、我が儘奔放に、強情で生きることはしない。他人に迷惑を掛けたり、無駄なことに必死に努力したりもしない。妄想に耽って時間を無駄にしない。生きていることは珍しいものだとよく理解して、瞬時に壊れるはずのこの人生を、いかに有効的にするかということに興味を持つのです。
死を認める人は、とても明るくて活発的なのです。しかし、この世のものに対しては、執着や未練を粘り強く持っているわけではありません。親しい人の死に出会っても、泣いて悲しんで無気力になるのではなく、瞬時に「これからどうするべきか」と考えるのです。自分の死も、生が短いと分かった時点で、そこまで有効に生きるためにはどうすれば良いのかと考えるのです。執着がない代わりに、無駄な生き方だけはしないのです。
俗世間の人々の生き方をみると、限りない期待・希望を抱いて、無駄だけをして生きていることが伺えます。死ぬ時さえも、死にきれない思いなのです。「やりたかったことはいっぱいあるのに、果たさなくてはいけない責任が一杯あるのに」という気持ちで、立ち去っていく世界に対して未練を残したままで死ぬのです。それはとても不幸な死に方なのです。穏やかな明るい心で死を迎えることができないのです。暗い感情で死ぬ人には、暗い先が待っているのです。死を認める人は、明るく生き、明るく死を迎えて、明るい死後を築くのです。