ジャータカ物語

No.76(2006年4月号)

ローサカ・ティッサ長老物語②

Losaka jātaka(No.41) 

アルボムッレ・スマナサーラ長老

(前回のあらすじ)幼い頃にサーリプッタ尊者に出会って出家したローサカ・ティッサ長老は、なぜかお布施に恵まれず、わずかな食事で満足する生活だった。にもかかわらず熱心に修行に励んだ長老は、阿羅漢果(最上の悟りの境地)を得て、寿命が尽きると涅槃に入られた。釈尊は、不思議がる比丘たちに、過去の物語を話された。

ある村のお寺に、金持ちの居士のお布施を受けて修行している長老がいた。ある時その村に、阿羅漢である長老が現れ、寺に立ち寄られた。居士は寺を訪ね、翌日の食事のお布施に、お二人の長老方を招待した。寺に住む長老は、村の居士が旅の長老を尊敬しているのを見て、不快になった。


翌日の托鉢の時間になると、寺の長老は、指の節で鐘を小さく鳴らし、阿羅漢である旅の長老が休んでおられる庵の戸を爪でなでるように叩いてから、居士の家に一人で行きました。居士は寺の長老の鉢を取って用意した席に案内し、「尊者よ、旅の長老はどうされましたか」とたずねました。寺の長老は、「私はあなたの信頼する方の様子を知りません。来る時に鐘を叩き、庵の戸を叩いたのですが、彼は目を覚ましませんでした。昨日こちらでおいしいごちそうを食べ、それが消化できずに寝ているようだ。どうぞ気にしないでください」と言いました。

その頃、阿羅漢である旅の長老は、身の回りのものを整えて、鉢と衣を持ち、空に浮かぶように、どこかへ飛び去って行かれました。

居士は、寺の長老に、上質のバターと蜜と砂糖を入れた乳粥のお布施を差し上げました。そして、香りのいい粉で磨かせた鉢に同じ乳粥を満たし、「尊師、新しく来られた長老は、長旅で疲れて寝ておられるのでしょう。どうぞこの乳粥を持って帰って差し上げてください」と言いました。

寺の長老は乳粥の鉢を受け取り、寺に戻りながら思案しました。「あの比丘にこのおいしい乳粥を食べさせたら、首根っこをつかんで追い出そうとしても、寺を出て行かなくなるだろう。だが、この乳粥を他の誰かにあげたりしたら、私の行動がバレてしまう。どこか水の中に捨てたりしたら、バターの油が浮かんで不審に思われる。地面に捨てたなら、カラスが集まるから、やはりおかしいと思われる。いったいどこに捨てたらいいだろう」。ちょうどその時、焼き畑に出くわしました。寺の長老は焼き畑の燃えくずを取り除いて乳粥を捨て、上から燃えくずをかぶせました。

寺に戻った長老は、旅の長老がいなくなっているのを知りました。そして、「あの長老は、私の考えを知って、どこかへ立ち去ったのに違いない。あの方は優れた境地を得ていた。私は胃の痛くなるような悪いことをした」と、非常な心痛に襲われました。彼は人間のまま餓鬼のようになり、まもなく死んで、地獄に生まれました。

彼は、地獄に堕ちて何十万年も非常に苦しみました。しかし悪い業は尽きず、その後、五百回も夜叉に生まれ変わりました。夜叉でいた間、彼は、たった一日だけ排泄物を食べて満腹になることがあった以外、一日も何かを腹一杯食べることはできませんでした。次に、五百回、犬で生まれました。犬になっても、たった一日だけ吐き気を催すようなものをたくさん食べたことがあった以外、満足する量の食べ物を食べた日はありませんでした。

犬としての生を終えた彼は、人間となってカーシ国の村の貧しい家に生まれ、ミッタヴィンダカと名付けられました。ミッタヴィンダカが生まれると、その家はますます貧乏になり、水粥さえ満足に食べることができなくなりました。両親は飢えの苦しみに耐えられず、「貧乏神は出て行け」と言って、彼を追い出しました。ミッタヴィンダカは身寄りのない身となって、さまよいながら、バーラーナシーの都へとやって来ました。

その頃、菩薩は高名なバラモンであり、バーラーナシーで五百人の弟子たちに技芸を教えていました。当時のバーラーナシーでは、貧しい若者に奨学金を与えて勉強させる制度がありました。ミッタヴィンダカは奨学金を得て、菩薩のところで技術を学ぶことになりました。

ミッタヴィンダカは乱暴者で、すぐに暴力を振るいました。しかも頑固で、菩薩が親切に諭しても言うことを聞きません。乱暴なミッタヴィンダカが来てから、菩薩の弟子は少なくなりました。そのうちにミッタヴィンダカは若者とひどい喧嘩をして菩薩のところからも逃げ出し、あちこちさまよいながら流れて行きました。

ミッタヴィンダカは、とある辺境の村に流れ着き、一人の不幸な女と出会って一緒に暮らし出しました。その女に二人の子どもが生まれました。村人たちは彼を雇い、「良い情報や悪い情報があれば、我々に知らせてくれ」と言って、村の入り口にある小屋に住ませました。ここにミッタヴィンダカが住み着くと、村は災難つづきとなりました。七回も火事になり、七回も王の処罰を受け、七回も池が枯れて干ばつになったのです。村人たちは、「これはミッタヴィンダカのせいに違いない。あいつが来るまでは、こんな不幸は起こらなかった」と、彼を打って追い払いました。

家族を連れて村を出たミッタヴィンダカは、他の場所に行こうとして悪鬼の住んでいる森に入り、妻と子どもたちを食べられてしまいました。彼だけは何とかその森から逃げ出て、そのままさまよい歩いていると、ガンビーラという漁村に着きました。そちらではちょうど、舟が出航するところでした。ミッタヴィンダカは舟で雇ってもらい、航海に出ました。ところがその舟は、海に出て七日目に海のど真ん中で止まってしまったのです。岩に乗り上げたように静止した舟に困り果てた船乗りたちは、災難を起こす不吉者を捜すくじ引きをしました。くじは七回ともミッタヴィンダカに当たりました。船乗りたちは、竹の筏に彼を乗せ、海へ放り出しました。ミッタヴィンダカが舟から出たとたん、舟は無事に進み出しました。

ミッタヴィンダカは竹の筏に腹這いになって海の上を進んで行きました。彼はカッサパブッダの時代に出家して戒を守っていた果を受けて、海に浮かぶ水晶の宮殿にたどり着き、そこに住む四人の天女たちと七日間のあいだ楽しく暮らしました。七日経つと、天女たちは用事で島を留守にしました。ミッタヴィンダカは島を出て筏を進め、八人の天女たちが住む銀の宮殿に着きました。彼はそこにも長く留まらず、次に十六人の天女たちがいる宝玉の宮殿に流れ着き、そこでしばらく暮らしてからまたその島を出て、三十二人の天女たちがいる金の宮殿に流れ着き、その島にも満足できずに、さらに他の場所へと進みました。

すると今度は、たくさんの夜叉が住む島に着きました。一人の夜叉の女が山羊に化けて歩いていました。ミッタヴィンダカは、「山羊の肉を食ってやろう」と思って足をつかみました。夜叉は、魔力で彼を投げ飛ばしました。彼は海を越え、バーラーナシーの城の濠端にまで放り投げられました。

投げ飛ばされたミッタヴィンダカは、そこにいる山羊を見て、「もしまたこの山羊の足をつかめば、今度は海の上の天女の宮殿まで投げ飛ばしてくれるかもしれない」というバカげた考えから、山羊の足をつかみました。足をつかまれた山羊は、大声でわめきました。山羊飼いたちが飛んできて、ミッタヴィンダカを捕らえ、「盗賊め、長い間、王様の山羊を盗んできた山羊泥棒はおまえだな」と彼を殴って、きつく縛り上げました。

ちょうどその時、菩薩が五百人の弟子たちと沐浴に出かけようとして、そこを通りかかりました。菩薩はミッタヴィンダカを見て、山羊飼いたちに話しかけました。「彼は私の弟子だった者だ。いったいどうしたのか」「師よ、彼は山羊泥棒です。山羊の足をつかんだところを捕らえたのです」「そうか。私は彼を下僕として仕えさせようと思うのだが、こちらに渡してもらえないだろうか」「師よ、よろしゅうございます」。山羊飼いたちは彼を放免しました。

菩薩が「ミッタヴィンダカよ、長い間、いったいどこにいたのか」と訊くと、彼はそれまでのことを話しました。話を聞いた菩薩は、次の詩を唱えました。

  ためを思い憐れみて教え諭されるも
  その言葉を聞き入れぬ者
  山羊をつかんだミッタヴィンダカのごとく
  悲哀を得る

その後ミッタヴィンダカは菩薩に仕え、皆、それぞれの行いによって、生まれるべきところに生まれ変わって行きました。

お釈迦さまは「その時のミッタヴィンダカはローサカ・ティッサであり、高名なバラモンの教師は私であった」と言われ、話を終えられました。

スマナサーラ長老のコメント

この物語の教訓

それでは、ローサカ・ティッサ阿羅漢が過去世でちょっとした嫉妬のせいで犯した過ちは、既におわかりになったでしょう。居士が阿羅漢にお布施した食事を、本人に与えないで、燃やしたのです。業に照らすと、人の一日の食料を奪ったことになるのです。自分で食べていないので、盗罪にはならない。生き物や人に食べ物を与える布施者は、相手に①āyu:寿命(命)、②vaṅṅa:容色、③sukha:楽・幸福・楽しみ、④bala:力、⑤paññā:知恵(悟りの智慧ではなく、生命として必要とする認識力)という五つを与えるのだと、釈尊が説かれます。旅の長老の食事を捨てたことで、ローサカ・ティッサ阿羅漢は、過去世で、すべての生命が命を維持するために必要な五つのものを奪ったのです。罪を償ってからも、彼は、寿命・容色・幸福・力・知恵に乏しかったのです。

この物語は、業の働きのいくつかの側面を説明しています。大事なポイントは、まず、何か罪を犯したら、その罪が直撃することです。地獄・畜生・餓鬼道などに生まれ変わって、その罪の罰に直撃されるのです。その罪が転生する力はやがて尽きますが、それでも罪の形跡が残ってしまうのです。例えば、罪を犯した生命が人間として生まれたとする。人間に生まれることは善行為の結果です。しかし、過去に犯した罪の残量が、いろいろと不幸を招くのです。

このエピソードの主人公の村の比丘は、地獄などを転生して悪業の力が尽きたところで人間に生まれ、ミッタヴィンダカと知られるようになりましたが、人間らしい生き方をすることができなかったのです。一般の社会からだけではなく、親からも捨てられるのです。慈悲深い菩薩が育てようとしても、そこから逃げるのです。この不幸になる性格の悪さが、過去世の悪業の残量結果なのです。覚えておきたいのは、悪業の残量結果も大変厳しいということです。ですから罪は、軽く見えても、その結果は決して甘くないと理解した方が安全です。業の結果は決して一対一ではない。小さな罪が大きな不幸を築く。小さな善行為も、大きな幸福を築くのです。

行為と結果が一対一でないのはなぜでしょうか。物質的な働きの場合は、行為と結果はほぞ一対一です。しかし生命が行う行為は、心の働きなのです。物質的な働きではありません。心は瞬間 瞬間変化していく、光よりも早い「エネルギー」なのです。手をあげて人を殴ったとしましょう。物質的には一個の行為です。しかし、それを行うために無数の悪の心が流れて行くのです。悪の心一個一個が悪業になるのです。だから物質には一個の行為も、心の状態から見ると、無数の行為になるのです。そういうわけで、業の結果は一対一ではないのです。その心の法則を知っている人は、たとえふざけてでも、悪行為はしないのです。

次のポイント。ミッタヴィンダカがどこへ行っても、自分だけではなく周りも不幸になる。彼の母が妊娠した時から、その家族は不幸のどん底でした。水粥さえも満足に食べることができなくなった。彼が見事な貧乏神でした。ここで疑問です。罪を犯したのはミッタヴィンダカなのに、なぜ家族や村人まで不幸にならなくてはならないのでしょうか。他人の業も自分にかかってくるのでしょうか。それなら、たまったものではありません。世の中で人を殺したり他の罪を犯したりした人の報いが私たちにまで来るなら、理屈に合わないでしょう。

解明は以下の通りです。他人の悪業も、善業も、自分には関係ありません。完全な自業自得の法則です。しかし、人が悪いことをすると、「それは良かった」と賛成して喜ぶ人もいる。その人は、賛成行為で、悪業に参加しているのです。例えば、アメリカ軍隊はアフガニスタン、イラクを爆撃しましたが、「その行為は正しい」と認めると、アメリカ軍人が犯した罪に参加したことになるのです。イラクに自爆テロ行為があると、「イラク人は自分の国を守るためにそれしかないでしょう」と言うのはいいですが、気持ち的に賛成すると、自分がその悪業に賛成したことになるのです。業は物質的な働きではなく心の働きなので、このようになるのです。先祖供養、回向なども成り立つのは、この理由があるからです。

「過去は無始なる」と説かれており、一人ひとりの生命の過去は無限だと言えます。そうなると、過去の業の量も無量無限になるのです。実際に結果を出して機能しているのは一個二個ぐらいの業なのですが、環境のせいで眠っている過去の業が起きて機能する可能性は、確実にある。例えば、国の経済状態が悪くて栄養失調で悩んでいる人に、来日するチャンスが来たとする。その人は、日本にいる間は、栄養満点の食事を摂ることができるようになるのです。その人は、たちまち豊になったのではなく、環境のせいで一時的に幸福になったのです。しかし、それも過去の業の結果なのです。

平和な日本の福岡県に香田証生さんが生まれたのです。幸福で寿命を全うできる環境なのです。彼がイラクに行ったのです。イラクの環境はとても危険で、戦争状態です。そちらでテロに遭遇して亡くなられたのです。この場合も、眠っていた無量無限の業の一個が起きたのではないかと推測できます。もし、彼が日本を発たなければ、今も幸福で元気でいたことでしょう。ですから、他人の業が自分に降りかかるのではなく、生きる環境によって、周りの人々と似た自分の過去の業が起きるのです。不幸が連続するときは、環境を替えてみることも、良い智慧です。