No.83(2006年11月号)
ウズラ物語
Vaṭṭaka jātaka(No.118)
これは、シャカムニブッダがコーサラ国のサーワッティ(舎衛城)郊外にある祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)におられた時のお話です。
その頃、サーワッティに、ウッタラセッティという大富豪が住んでいました。
ある梵天(ぼんてん)が梵天界での寿命を終えてウッタラセッティの妻のお胎(なか)に入り、誕生後、成長して、梵天の風貌を思わせるたいへん美しい青年になりました。ウッタラセッティの息子は、友人たちが皆結婚しても、ずっと独身でした。梵天の寿命というのは気が遠くなるほど長いのです。あまりにも長い間梵天界にいたウッタラセッティの息子は、心がとても清らかで、煩悩に支配されるということがありません。そういうわけで、女性に興味が起こらなかったのです。
ある秋のこと、そろそろ満月がカッティカ星(昴/すばる)に近づく時節となりました。サーワッティでは、毎年、カッティカ星に満月が近づく頃に、カッティカ祭(秋祭り)という夜祭りが祝われることとなっていました。街中の人々は祭りの準備で忙しく、そのことで頭がいっぱいでした。
ウッタラセッティの息子の友人である豪商の息子たちは、「せっかくのお祭りくらいは、あいつのために誰か女を連れてきてあげよう。そして楽しく祝えばいい」と話し合いました。そして、ウッタラセッティの息子に、「君、もうすぐカッティカの星祭りがあるだろう。君のためにとびきりの美人を連れてくるよ。皆でいっしょに祭りを楽しもう」と言いました。
ウッタラセッティの息子は、「そんなこといらないよ。僕は女には興味がないんだ」と断りました。しかし友人たちは、彼の言葉を聞き入れず、一人の美しい遊女を豪勢に着飾らせて彼の家へ送りつけました。ウッタラセッティの息子は、美しい遊女をほとんど見ることもなく、しゃべりかけることもせず、静かに落ち着いていました。遊女は、「この人は、私のような魅力的な美女に言い寄ることもせず、ろくに見ようとさえしない。なんとか彼を魅了して、こちらに振り向かせてやろう」と、艶(あで)やかな媚態(びたい)をつくって微笑みました。
ウッタラセッティの息子は、微笑んだ彼女の歯を見たとたん、歯骨の相を観相し、瞬時に骨想観(体を単なる骨で組み立てたものだと見る冥想法)を会得して、欲は少しも起こりませんでした。彼は遊女に金を与え、女を帰らせました。遊女が外に出ると、ちょうどそこを通りかかった一人の貴族が彼女を見かけ、大金を与えて自分の屋敷に連れて帰りました。
祭りの七日間が過ぎ、カッティカ祭は終わりました。祭りが終わっても、遊女は家に戻りませんでした。遊女の母親は、ウッタラセッティの息子の友人たちのところへ行って、「娘はどこにいるのですか」とたずねました。彼らは母親を連れて、ウッタラセッティの息子の家へ行きました。ウッタラセッティの息子は、「あの女は、皆が連れてきた後すぐに、金をやって帰らせたよ」と言いました。
遊女の母は、「娘は帰って来ませんよ。娘を返しなさい」と、ウッタラセッティの息子を王のところに連れて行き、裁判に訴えました。王は審議のために彼と問答を交わしました。「若者よ、豪商の息子たちは、汝(なんじ)のところに娘を連れて来たのか」「はい、王様、その通りです」「女は今、どこにいるのか?」「王様、私は存じません。私はその後すぐに、金をやって、女を帰らせたのです」「今、ここに女を連れて来ることはできないのか?」「王様、それはできません」「女を連れて来れないのであれば、汝に刑罰を与える」。
刑を執行する役人がウッタラセッティの息子を後ろ手にしばり、刑罰を与えるために彼を連れ去りました。その噂はすぐに広がり、街中のいたるところで、「大富豪ウッタラセッティの息子が、遊女をどこかにやってしまい、王の刑罰を受けることになったそうだ」という声が聞こえました。ウッタラセッティの息子が街を引き立てられて歩いて来ると、彼を知っている人々は胸に手を当てて立ち止まり、「これは何かの間違いに違いない。あなたは無実の罪を着せられているのでしょう」と悲しみ、嘆きながら後をついて来ました。
ウッタラセッティの息子は、縛られて歩かされながら、「私がこのような苦しみを受けるのは、在家に留まっているからだ。この罰から放免されたなら、私は必ず、世尊、ゴータマブッダのもとへ行き、出家するぞ」と強く心に決めました。
一方、貴族の家にいた遊女は、街の噂を聞いて驚きました。彼女は大急ぎで街中に出て、人混みをかき分け、「皆さん、どうぞ私を通してください。どうぞ王様の役人たちに、私を見えるようにしてください」と言いながら歩きました。
役人は、遊女に気づくと、すぐに大富豪の息子の縄を解いて放免し、彼女を母親の元に返しました。ウッタラセッティの息子は自由になり、喜んだ友人たちに取り巻かれて河に行って沐浴しました。そして家に帰って簡単な食事をとり、食事が終わるとすぐに両親に出家の許可をもらって、祇園精舎に行きました。
釈尊に近づいて礼拝したウッタラセッティの息子は、すぐに出家をお願いしました。出家を許された彼は、熱心に修行に励み、しばらく経つと智慧が生じて阿羅漢果(最終的な悟りの境地)の悟りを得ました。
ある日、比丘たちが法話堂に集まって、「友よ、この間出家して悟られた方は、苦が生じた時にブッダの教えの功徳に気づいて出家され、熱心に修行に励まれた。そして、早くも最終的な悟りを得られたのだ」と彼の徳を賞賛していました。釈尊が来られて何の話をしていたのかお訊きになったので、比丘たちがお答えすると、「比丘らよ、自らに苦しみが生じたときに、『この方法で苦から逃れよう』と考えて自己の束縛を逃れたのは、ウッタラセッティの息子だけではない。過去にも、賢き者は、自らに苦が生じたときに、『この方法で苦から逃れよう』と考えて、自己の束縛を脱した」と言われ、皆に請われるままに過去の話をされました。
昔々、バーラーナシーでブラフマダッタ王が国を治めていた頃、菩薩(ぼさつ)は輪廻の流れの中でウズラのお胎(なか)に入りました。賢いウズラに成長した菩薩は、森に住んでいました。
森には、しょっちゅうウズラ捕りの男がやってきました。彼は罠を仕掛け、たくさんのウズラたちを生け捕りにして家に持ち帰り、おいしい餌をたらふく食べさせて肥え太らせました。そして、ウズラ肉を求めてやって来る人々に、ウズラを売って暮らしていたのです。
ある日のこと、菩薩がウズラ捕りの罠に捕えられてしまいました。ウズラ捕りは、たくさんのウズラたちと一緒に菩薩を家に連れ帰り、鳥籠に入れました。鳥籠の中には、ウズラの大好きな食べ物が、たくさん用意されていました。
菩薩は、「もし私がこのおいしい餌を好きなだけ食べたなら、私は肥え太り、すぐに売り飛ばされて食べられてしまうことだろう。もし私が何も食べないでいれば、やせ衰えた私は売れず、私は無事でいられるだろう。私は餌を食べずに自分を護ることにしよう」と考えました。
そのように考えて実行した菩薩は、日に日にやせ衰え、骨と皮だけになりました。肉のまったくついていない菩薩を買おうとする人は、誰もいませんでした。
ついに他のウズラたちはすべて売れてしまって、菩薩だけが売れ残りました。ウズラ捕りはやせ細った菩薩を籠から出して手の上に乗せ、「いったいこのウズラはどうしたのだろう。病気にでもなったのかしら」と調べ出しました。菩薩はウズラ捕りの油断をついて彼の手からサッと飛び立つと、森へ逃げ帰りました。
森のウズラたちは菩薩を見て、「君、最近は見かけなかったけれど、いったいどこに行ってたんだい?」と訊きました。菩薩が「ウズラ捕りに捕らえられていたんだ」と答えると、皆は驚いて、「どうやってあの怖ろしいウズラ捕りから逃げてきたの?」と訊きました。菩薩は、「僕は、あの男が与えた餌を食べないという手段によって、禍(わざわい)を逃れた」と、次の詩を唱えました。
思慮なき者
勝れた果を得ることなし
思慮深き者の果を見よ
われは、死と束縛を逃れたり
そのように、菩薩は、仲間のウズラたちに自分の行いとその結果について話しました。
お釈迦さまは、「その時の、賢いウズラは私であった」と言われ、話を終えられました。
スマナサーラ長老のコメント
この物語の教訓
我々の性格というのは、もしかすると、過去世から引き続いているものかもしれません。人間一人ひとりが自分独自の性格を持っている。自分と性格が似ている人は見つかるかもしれませんが、性格が完全に一致する人はいません。人間だけではありません。動物も一匹一匹、性格的に違います。双子、三つ子はとてもかわいいでしょう。それは、珍しい現象だからかわいいと思ってしまうのです。双子の場合も、肉体の形・話し方などは似ているが、性格は別々です。人格は別々です。
同じ人は二人いないと理解しておけば簡単ですが、生きている上では他の人々とつきあわなくてはならないので、問題です。似てない人同士の和合は難しいのです。それで性格について人間は学ぼうとする。いろいろカテゴリーに入れて、性格の差異を論理的に理解しようと励む。性格分析は仏教でも行われたのです。完成された心理学のある仏教さえも、人の性格はいくつかのタイプに分けて理解することになっています。でないと、一人ひとりの性格を完全に理解することはできません。
今月の物語の中に、「なぜ性格は違うのか」という疑問の一つの答えがあります。それは、過去世の生活習慣によるものだということです。我々には人の過去世を理解できる能力はありません。しかし、過去世から引き続いた性格を何となく発見できる方法があります。それは、赤ちゃんたちを観察することです。まだ世の中の影響を受けていないのに、赤ちゃんが一人ひとり自分独自の性格を持っているでしょう。それはもしかすると、過去世の習慣ではないかと推測しても構いません。性格といっても、それは固定して変わらないものではありません。日々、変わっていくのです。ですから、性格が良い人が安心することも、性格の悪い人がダメだと諦めることも、正しくない。しかし、無始なる過去から積み重ねてきた性格を簡単に変えられると思うことも、甘過ぎです。
ウッタラセッティの息子は、気が狂うほどの長い時間、前世で梵天にいたのです。梵天の心は常に統一した状態です。欲、怒り、後悔、混乱、疑などは機能しないのです。それで突然人間として生まれたら、心はなかなかこの娑婆(しゃば)世界に馴染まないのです。徳の高い梵天から降誕したので、彼の身体もとても美しかったのですが、他の若者たちとはなかなかかみ合わなかったのです。我々現代人は、俗世間の常識にロボットのように同意してくれない人々を「変人扱い」するのです。欲が少ない人、俗世間に未練を感じない人、孤独でいたがる人、女装・男装を好む人などを偏見で見る。これは、とても失礼なことです。人権侵害です。差別です。したがって悪行為です。自分や周りと少々違う性格の人がいても、そのまま自然だと、当たり前だと、当然だと、思わなくてはならないのです。受け入れることですね。
しかし、何でもただ受け入れれば良いということではないのです。悪い性格・罪を犯す性格・破壊的な性格などを見つけたら、差別の目で見ないで、慈しみに基づいて改良してあげる努力を絶やしてはなりません。人は、人格的に向上するべきです。
ウズラは何を教えてくれるのでしょうか。とても大事なことを教えてくれるのです。ウズラ捕りに捕られた鳥たちは、必ず殺されて人間に食べられるのです。絶体絶命です。夢の中ででも自由になれません。しかし、菩薩のウズラは見事に森に帰ったでしょう。絶体絶命状態であっても、智慧があれば、すばらしい結果が出るのです。我々は少々の不幸、災難に出会って怒りに狂う。感情に陥る。他人に、周りに、社会に、神や仏に、文句ばかりを言う。無知な行動なら何でもする。結果として、何倍も大きい新しい不幸を作り出す。一生苦しむはめになる。死後の不幸も築く。
理性に基づいて行動すれば「絶体絶命」は何のこともないのです。何があっても気にせず先へ進むべきだと、仏陀がすべての仏教徒に語られているのです。