ジャータカ物語

No.93(2007年9月号)

クンタニ鳥物語

Kuntani jātaka(No.343) 

アルボムッレ・スマナサーラ長老

これは、シャカムニブッダがコーサラ国の祇園精舎におられた時のお話です。

その頃、コーサラ国王の宮殿に、クンタニ鳥という鳥が大切に飼われていました。クンタニ鳥が大切にされていたわけは、王の大事な仕事をしていたからです。クンタニ鳥は、王の書信を空から届ける仕事をしていたのです。クンタニ鳥には、まだとても小さな二羽の雛(ひな)がいました。

ある時、コーサラ王は、ある王に宛てた手紙を運ぶよう、クンタニ鳥に命じました。クンタニ鳥は手紙を受け取って、すぐにその国に飛び立ちました。

ところがクンタニ鳥が仕事で城を留守にしている間に、たいへんなことが起こりました。いたずら盛りのコーサラ王の二人の子供たちが、遊びながらクンタニ鳥の雛を手でねじり殺してしまったのです。

そうとは知らず、城に戻ったクンタニ鳥は、すぐさま小さな雛たちに会いに行きました。しかし、雛たちは、どこにも見当たりません。真っ青になったクンタニ鳥は、半狂乱になって、可愛いわが子を捜し廻りました。必死で皆に雛たちのことを聞き回ったクンタニ鳥は、王の子供たちが遊びながら自分の雛たちを殺したことを知りました。

クンタニ鳥の心は凍りつき、怒りで燃え上がりました。悲しみと憎しみに震えるクンタニ鳥は、何とかして復讐しようと心に決めたのです。

お城には、一匹の獰猛(どうもう)な虎が、鎖につながれて飼われていました。王の二人の子供たちは、強くて立派な虎が大好きで、怖いもの見たさに、よく虎を見に来ていました。クンタニ鳥は、「彼らが私の子供を殺したように、彼らも殺されるべきだ」と考えました。そして、虎を見に来た王子たちを待ちかまえ、力強い足の爪で捕まえて、虎の足元に投げたのです。虎はガリガリと音を立てて、子供たちを食べてしまいました。

クンタニ鳥は、「これで私の思いは晴れた」と、ヒマラヤに飛び去って行きました。その事件は広く皆の知るところとなりました。

ある時、比丘たちが法話堂に集まって、「友よ、王宮に飼われていたクンタニ鳥が、コーサラ王の王子たちに自分の雛を殺された。怒りに狂ったクンタニ鳥は、復讐のために王子たちを虎の前に投げ捨て、虎に食べさせて逃げ去ったのだそうだ」と話をしていました。

釈尊が来られ、何を話しているのかと比丘たちにおたずねになりました。比丘たちがお答えすると、釈尊は、「比丘らよ、それは今だけのことでない。過去においても、あの鳥は、自分の子供を殺されて、復讐し返し、立ち去って行ったことがあった」と言われ、比丘たちに請われるままに過去の話をされました。

昔々、バーラーナシーでブラフマダッタ王が国を治めていた頃、菩薩は王の第一夫人のお胎に生を受けました。成長した菩薩はタッカシラーで学業を修得し、父王が亡くなった後に即位して、バーラーナシーを治める王となりました。菩薩は、公正に、偏ることなく、法に則って国を治めていました。

バーラーナシーの菩薩の城にも、一羽のクンタニ鳥が住んでいました。クンタニ鳥は、現世物語と同様に、王の書信を届ける仕事をしていました。クンタニ鳥には、二羽の雛がいました。ある時、クンタニ鳥の留守中に、いたずら盛りの菩薩の二人の子供たちが、クンタニ鳥の雛たちを手でねじり殺してしまいました。戻って来たクンタニ鳥は、半狂乱になって雛たちを探しました。菩薩の王子たちが雛を殺したことを知ったクンタニ鳥の心は、怒り憎しみに震えました。

コーサラ国での話と同様に、怒りに狂ったクンタニ鳥は、王の子供たちを城に飼われていた虎に食べさせて、復讐を果たしました。

ここまでは、現世物語と同じことが起こったことになります。しかし、ここからは現世物語と、少し違います。

クンタニ鳥は、王の子供たちを虎に殺させてから考えました。 「私はもうここに住むことはできない。どこかに立ち去ることにしよう。しかし、私は、お世話になった王様に話をせずに立ち去ることはするまい。王様と話をし、挨拶をしてから立ち去ることにしよう」。

クンタニ鳥は王のところに行って、王に礼をし、傍らに立って言いました。「ご主人様、あなた様が注意を怠っている間に、あなた様の王子たちが、私の雛を殺しました。私は悲しみと怒りに耐えかねて、あなた様の子供たちを虎に襲わせ、殺してしまいました。こうなってしまったからには、私はもう、ここに住むわけにはまいりません。このお城から立ち去ろうと思います。」

そして、クンタニ鳥は、次の詩を唱えました。

われ、大切に敬われ
汝の城に住めり
今、汝らはかくなせり
王よ、われ、今は去らん

それを聞いた菩薩は、次の詩を唱えました。

彼、悪事をなし、
汝もまた、同じくなす
この恨みついに静まるために、
クンタニ鳥よ、とまれ、去るなかれ

それを聞いたクンタニ鳥は、再び詩を唱えました。

ことを為したもの、為されたもの、
その友情は再び結ばれず
こころ、それを、許さざるゆえに
王よ、われ、去らん

それを聞いた菩薩は、再度、詩を唱えました。

ことを為したもの、為されたもの、
愚かなるものは、いざ知らず、
賢きものの友情は、また結ばれん
クンタニ鳥よ、とまれ、去るなかれ

クンタニ鳥は、「確かに左様でございましょう。しかしご主人様、私はここに留まることはできません」と言って、王に礼をし、ヒマラヤの方に飛び去って行きました。

お釈迦さまは、「その時のクンタニ鳥は、コーサラ王の王子を殺したクンタニ鳥であり、バーラーナシーの王は私であった」と言われて、話を終えられました。

スマナサーラ長老のコメント

この物語の教訓

二つの教訓があります。ひとつ目はごく一般的な教訓です。「自分が他人に対してやったことは、必ず自分にも返ってくる」という戒めです。いたずら好きな子供二人は、雛を絞め殺して、自分たちも結局は同じ運命になりました。たとえ王子であっても悪いことはしてはならない、という意味です。

われわれの社会では、子供たちの間だけでなく、大人社会の中でも何の躊躇もなくいじめがあるのです。自分にとって楽しいから、「あいつは嫌だから」というまったく理不尽な言い訳をして、他人をいじめるのです。仏教文化の社会なら、子供の時から「自分が他人に対して行うことは、何倍にもなって自分に必ず帰ってくるものだ」と厳しく躾するのです。因果応報を信じる子供たちは、怒り憎しみにもとづいて他人をいじめることをとてもヤバい行為だと知って、止めるのです。大人になっても、人をいじめることはできない状態になっているのです。

そういう仏教文化に育てられた子供たちも、結局は子供です。ふざけて遊びたい気持ちに変わりありません。相手をからかったりケンカしたり、いたずらをしたりするのです。しかし彼らは、排他的に相手を憎んで、相手に差別意識を持って、怒りにもとづいて人をいじめることはしないのです。仲良しの遊びに過ぎないのです。そのように、「いじめ」には、天と地ほども違う二種類があるのです。

ふたつ目の教訓。人間のあいだでは、いろんなことが起きます。ケンカしたり、損害を与えたり、約束を破ったり、裏切り行為をしたり、最悪の場合は、突然、怒りだして、いままで仲良くしていた人を殺してしまうことさえあります。それでも、われわれが人の過ちを許してあげて、たとえ悪人に対してでも慈しみを抱くならば、壊れてしまった人間関係でさえ簡単に修復できるのです。われわれは、人間関係において、人の過ちをあげつらうのではなく、慈しみでその傷を治すようにと考えるべきです。