No.108(2008年12月号)
使者に語らぬ行者の物語
Dūta jātaka (No.478)
これは、シャカムニブッダがコーサラ国の祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)で語られたお話です。
昔々、バーラーナシーでブラフマダッタ王が国を治めていた頃、王が重い税を課したので、その国の人々にはほとんどお金がありませんでした。当時、カーシー国のバラモンの家で生まれた菩薩は、「今はお金がないが、先生へのお礼は学業を終えてから国中を托鉢して集めることにしよう」と考えて、学芸の修習のためにタッカシラーに行きました。事情を話して、あるバラモンの弟子となった菩薩は、そちらで勉学を終えると、師に、「先生へのお礼を得るために旅に出ます。どうぞしばらくお待ちください」と言って、托鉢のために旅立ちました。菩薩は国中を偏ることなく托鉢し、かなりの時間をかけて、ようやく七ニッカの金を得ることができました。ところが、タッカシラーの師のもとに戻る道中で、ガンジス河の渡し舟が転覆し、持っていた金をすべて河の中に落としてしまったのです。
菩薩は、「今、この国では、どこに行っても金がない。あの礼金を再び集めるには膨大な時間がかかるだろう。それでは遅くなりすぎてしまう。金をたくさんもっているのは王様だけだ。なんとかして王様から先生への礼金をもらうことにしよう」と考えました。
そして、「私はこちらの河辺に坐って断食することにしよう。そうすれば、それが評判となり、いずれは王様の耳に入るだろう。王様はまず、家来に様子を見に来させることだろうが、私は王以外の人々には口を開かないようにしよう。そうすれば、いずれ王自らが来ることになるだろう。その時に王様に役に立つことを説いて、金をもらえばよいだろう」と、計画を立てました。
そこで菩薩は、ガンジス河の河辺で、辺りの砂を敷き詰めて銀の板のように平らにし、黄金の像のようにどっしりと坐りました。そして、祭儀用の紐を横に置いて、断食を始めました。何も食べずに痩せ細りながらも落ち着いて端正に座っている菩薩の姿は次第に評判になり、多くの人々が菩薩を心配してやって来ました。しかし菩薩は、何を話しかけられても、訊かれても、ひと言もしゃべろうとはしませんでした。そのうちに都の近くの村からも人々がやって来るようになりましたが、菩薩はひと言も話しませんでした。人々は、痩せ細った菩薩を心配しながら村に帰りました。次に、都からも人々が来るようになりました。しかし菩薩は、何を言われても、ひと言も話しませんでした。次に、市長がやって来て菩薩に話しかけました。しかし菩薩は、ひと言も話しませんでした。次に、王の家来たちがやって来て菩薩に話しかけました。しかし菩薩は、ひと言も話しませんでした。次に、大臣たちがやって来て菩薩に話しかけました。しかし菩薩は、ひと言も話そうとはしなかったのです。
とうとう、その噂を聞いて、国王自らが菩薩のところにやって来ました。王は、菩薩に次の句をもって話しかけました。
ガンジス河で冥想する者よ、
幾人かの使者を遣わして訳を問うたが
汝はいっさい答えぬという
いかがしたのか、バラモンよ
菩薩は、「王様、私は悩みを取り去ることのできる人には悩みを語りますが、その他の人には語りません」と、詩句を唱えました。
カーシー国を富ませる方よ
悩み苦しみが生じたときは
その苦を取り除くことができぬ者に
それを語ることなかれ
悩みを語るとき
ただちにそれを取り除く力のある人であれば
その人に親愛を示し、
語るべきです、大王よ
ジャッカル、ハゲタカの叫びは理解できても
人の言葉はわかり難い
先に「兄弟」「大親友」と、親しく喜び合いながら、
後には敵となり、終わる
問われもせぬのに
むやみに悩みを語るなら
彼に好意をもつ人も敵となり
彼のため思う人の心証をも悪くすることになりかねません
ゆえに、賢き者は、言うべき時を知り
雑心のない賢者を選び
穏やかな意味ある言葉で
諸々の苦痛を語るべきです
しかし、これは自らを安楽にする道ではないと知るとき
あるいは、これはなすべきではないと知るならば
賢者はひとり耐えるべきです
正しく恥を知り、罪を怖れて
そのように法を説いた後、菩薩は、自分の事情を語る句を唱えました。
街より街を、王城を
いくつもの国をさまよって
師への謝儀を得るために
王よ、私は行乞しました
居士を、役人を、商人を、バラモンを訪ね
やっと七ニッカの金を得た
ところが事故でそれを失った
ゆえに、私に嘆きが起こりました
大王よ、あなたの家臣たちには
たとえその気持ちはあっても
私の苦を除く力はない
ゆえに、私は語らなかった
大王よ、あなたは、実に、気持ちがあり
私の苦を除くことができる方です
ゆえに、私は、あなたにのみ語るのです
王は菩薩の法に適った話を聞いて、菩薩に十四ニッカの金を与えました。
釈尊は、そのことを、次の詩句で説かれました。
カーシー国を富ます者
ここに信のこころを起こし
黄金よりなる
十四ニッカを彼に与えたり
そのように、菩薩は王に法を説き、師への謝礼のための金を得ることができました。王はその後も菩薩から教えを聞いて、布施などの徳を積み、正しく国を治めました。彼らは自分の業に従って、死後、生まれ変わっていきました。
お釈迦さまは過去の話を終えられ、「その時の王はアーナンダであり、バラモンの師はサーリプッタであり、師に礼金を渡した弟子は私であった」とおっしゃって、話を終えられました。
スマナサーラ長老のコメント
この物語の教訓
記憶力がまったくなくて修行をあきらめかけていたパンタカ長老に、釈尊が一切れの布を渡して、「洗濯します」と念じながら揉むことを命じました。半日で、彼は悟りに達したのです。金細工職人がサーリプッタ尊者のところで出家しました。美人と美しいものに囲まれて生きてきたこの人が解脱に達するには不浄観が適していると判断したサーリプッタ尊者は、不浄観の瞑想を指導しましたが、まったく結果が現れなかったのです。出家として自分は失格だと思ったその比丘が還俗を決めたところで、釈尊は彼に蓮の花を渡し、「これを見続けなさい」と命じました。彼はたちまち悟りに達したのです。このように、人を悟りに導く能力において、釈尊は最勝者なのです。
仏教用語で「方便」という能力のことです。方便とは、決して、嘘を言って人をだまして良い方向へしつけするような汚らわしい手段ではないのです。教育上、最適な方法を選ぶ能力なのです。智慧と言えば智慧ですが、智慧があっても瞬時に適切な判断ができなければ困るのです。方便とは、智慧に基づいて瞬時に適切な判断を見出せる能力ではないかと思います。今月のDūta jātakaは、釈尊の見事な方便能力について語られた物語です。出家の間で釈尊の見事な方便力について話題になったところで、この過去物語が説かれたと言われています。
この物語を現代風にアレンジすると、意味が分かりやすいのです。ある人が、溜まったつけ払いをまとめて支払うために一生懸命苦労してがんばる。一円であろうとも貯金しようとする。何年間も苦労した末に金額が揃い、明日は金を払って楽になるのだと思っていたところで、空き巣に入った泥棒にすべて持っていかれた。その人が、どれほど落ち込むことか、悩むことかと、考えてみてください。
もしかすると、その人のところにマスコミが群がって、根掘り葉掘りいろいろ聞くでしょう。記者たちが書いたシナリオにあわせて、いろいろ喋らされることでしょう。マスコミは一円もくれないが、悩んでいるその人の自由な生活を昼も夜も侵すでしょう。各報道機関に同じことを何回も繰り返して言う羽目になるでしょう。あまり方便力がない我々は、世間の流れに簡単に流されてしまうのです。問題が解決するのではなく、新たな悩みがたくさん上乗せされるだけです。
ここで、仏教からのアドヴァイスです。何か悩み事があっても、ところ構わず誰にでもそれをペラペラ喋るものではありません。人は他人の事を心配してくれると安心してはならないのです。多数の人々は、他人の悩みを噂のネタにして楽しんでいるのです。悩みに陥っている人を、他人に楽しみを与えるエンターティナーにするのです。悩みごとを自分の知り合いや友人に言う場合も、気をつけなくてはならないのです。その人々は聞いてくれるかもしれませんが、他人にもそれを言いふらす可能性もある。また、自分との関係が悪くなったところで、攻撃の種にする恐れもあります。この世では、このような具体的な例はいくらでもあるのです。
では悩んでいる時、困っている時、どうすればよいのでしょうか。その悩みを解決してくれる能力ある人にのみ打ち明ければよいのです。また、悩みを聞く人は人格者でなくてはならないのです。助けてくれる能力がそれほどなくても、他人に落とし穴を掘らない、他人の弱みを握らない人であるならば、悩みを打ち明けただけでも気持ちが楽になります。悩んでいる人は、相手を選ばず悩みを言いふらすのではなく、問題を解決できる智慧のある人格者を選んで打ち明けるべきなのです。