No.109(2009年1月号)
雄鶏(おんどり)物語
Kukkuṭa jātaka (No.448)
これは、シャカムニブッダがマガダ国の竹林精舎(ちくりんしょうじゃ)におられた時に語られたお話です。
ある時、法話堂で、比丘たちがデーヴァダッタの話をしていました。「友よ、デーヴァダッタは、乱暴者の象を仏陀にけしかけたりして、正覚者を殺すことまで企んでいるのだ」とデーヴァダッタの不徳について話していたところ、お釈迦さまが来られ、彼らの話題をお尋ねになりました。比丘たちが話題の旨を伝えると、釈尊は、「比丘らよ、デーヴァダッタは、過去においても、私を殺すことを企んだことがあった」と、皆に請われるままに過去の話をされました。
昔々、コーサンビーでコーサンバカという王が国を治めていた頃、菩薩は野生の雄鶏(おんどり)として、森で生を受けました。成鳥になった菩薩は、多くの野生の鶏(にわとり)たちと共に森に住んでいました。
その森には一羽の鷹が住んでいました。その鷹は、鶏が大好物でした。ずるがしこい鷹は、あれこれ工夫をこらして鶏を捕らえ、一羽、また一羽と食べ続けました。そのうちに、とうとう、菩薩以外の鶏たちはすべて食べられてしまい、森に住む鶏は菩薩だけになってしまいました。
鷹はなんとかして菩薩も捕らえようとして、あれこれ企てました。しかし、注意深くて賢い菩薩のことは、どうしても捕まえることができません。なんとかして菩薩を捕らえようと思った鷹は、ある時、用心して安全な場所にいる菩薩に近づいて親しげに話しかけました。
「わが愛する鶏王よ、なぜ私を怖れ、私を避けるのか。私は君と親しくなりたいと思っているのだよ。あそこにも、ここにも、この森にはおいしいものがたくさんある。我々は一緒に餌を食べ、互いに仲良く暮らそうではないか」
「私はおまえとは友達にはならない。ここを立ち去れ、鷹よ」
「君は、私がかつて多くの悪事をはたらいたと思い、私を信用してないのだろう。確かにいろいろなことがあった。しかし、私は完全に心を入れ替えたのだ。これからは悪いことは決してしない。さあ、君はひとりぼっちではないか。これからは私と良い友達になろう」
「私はおまえのような友人は要らない。どこかへ行ってしまえ」
そのように、菩薩は鷹の申し出を三度まで拒絶し、「このような者と親しくなってはならない」と、次の七つの警句を唱えて森に響き渡らせました。
われは信ぜず、悪行の者
われは信ぜず、虚偽の者
われは信ぜず、利己主義者
われは信ぜず、ひけらかし屋
それらの者、常に渇く
喉が渇いた牛のごとし
「友」というのは、口ばかり
言葉のみにて行わず
こころ空しく合掌し
言葉の陰に身を隠し
恩を知らず、感謝ない
不実の者に、われは近づかず
われは信ぜず、移り気な人を
男であれ、女であれ、
言葉を守ることのない
取り繕う者、信じ得ず
鋭い刀を隠し持ち
すべてを滅ぼし破壊して
不浄の業に下り行く
危害なす者、信じ得ず
または、友の仮面をかぶり
こころにもなく、親しげに
さまざまな手管で、あれこれと
だまそうとする者、信じ得ず
食物、または財産が
豊かなりと目にすれば
愚人は友を裏切りて
己の友を殺し去る
雄鶏である菩薩は、詩句を唱えた後、「おまえが何をしようとしているか、私は知っているぞ」と厳しく鷹を叱りつけました。鷹は急いでそこを立ち去り、どこかへ行ってしまいました。
ここまで語られて後、お釈迦さまは、次の四つの句を唱えられました。
友の仮面をかぶりつつ
多くの敵は接近す
これら愚人を避け、捨て去れ
雄鶏の鷹におけるごとくに
ことが起こったその時に
意味を素速くさとらねば
敵の力に屈服し
後に悔いることとなる
ことが起こったその時に
意味を素速くさとる者
敵からの危難を免れる
雄鶏の鷹におけるごとくに
森に置かれた罠のように
非法破壊をなす者は待ち受ける
俊敏に気づき、遠ざけよ
雄鶏の鷹におけるごとくに
お釈迦さまは「その時の鷹はデーヴァダッタであり、雄鶏は私であった。デーヴァダッタは、そのように、過去でも私を殺そうとしていた」とおっしゃって、話を終えられました。
スマナサーラ長老のコメント
この物語の教訓
お釈迦様が、デーヴァダッタは仲良くしてはいけない人物だと警告されたことは度々ありました。デーヴァダッタの仲間たちはみな悪意を持っている者だと仰ったこともあるのです。釈尊たるもの、寛容的であった方がよいのではないかと思われるのでしょう。それは我々の思い違いです。釈尊はデーヴァダッタの活動の邪魔はしなかったのです。放っておいたのです。
預流果の悟りに達していたマガダ国のビンビサーラ王には息子がいました。デーヴァダッタがその息子をだまして宮殿から毎日ご馳走をもらっていたのです。お釈迦様は托鉢で食事をなさっていました。マガダ国王は釈尊が出家する前からの仲の良い友人でした。お釈迦さまに息子が悪いことをやっていると言われたら、親バカで有名なマガダ国王も息子を叱ったでしょう。しかしお釈迦さまは国王にひと言も告げませんでした。国王もお釈迦様と同じく、息子がやることに余計な口をはさまなかったのです。
自由にしてあげるとしても、度を越したら、批判するなり止めさせるなり何かしなくてはいけないのです。お釈迦様は、デーヴァダッタが釈尊の暗殺を企んだことには何もせず、怪我を治療してもらって痛みをこらえました。しかしデーヴァダッタは、比丘は終始(死ぬまで)これを守るべきだとして五つの戒律項目を釈尊に提示したのです。1.比丘は終始、托鉢で生活し信者の接待を受けてはならない、2.樹の下で住み屋根のあるところに入って寝てはならない、3.糞掃衣をまとわなくてはならない、4.菜食主義でなくてはならない、5.森林に住み村に入ってはならない、の五項目です。戒律を設定することは正覚者たるブッダだけの独占的な権利です。弟子にはその権利はありません。弟子の身分で戒律項目を提示するだけで間違いです。お釈迦様は、戒律であっても、柔軟性を重んじたのです。病気になったり身に危険性があったりする場合は、例外にするのです。デーヴァダッタの戒律は、病気になろうが、動物に襲われて死ぬはめになろうが、死ぬまで守らなくてはいけないもので、柔軟性はないのです。また、森に隠れることで解脱の道を一般人に説くことができなくなる。明らかに閉鎖的な態度です。托鉢で生計を立てるならば、菜食主義だなど自分勝手な食事習慣を言い張ることはできない。矛盾になります。
お釈迦様の反応は、「これを戒律にはしません。好きな人は自由に守ればよい」というものでした。たとえ自分で守っていなくても、ジャイナ教もどきの苦行を提案すると、愚か者の間で人気を買うことは簡単なのです。彼は、比丘たちの一部を分離して、自分を師匠とする弟子にしたがったのです。それは出家として師匠を捨てることです。お釈迦様は、多数の人々に不幸を招き、将来の人々の解脱の邪魔にもなる行為だとして、サンガの分裂を大罪であると説かれたのです。
お釈迦様がデーヴァダッタの企みに対して動いたのは、サンガの分裂を謀った時だけです。そこまでは、親戚でもあったデーヴァダッタに対しては、心配の気持ちで放っておられたのです。デーヴァダッタが仏教につけた傷痕は、現代まで残っているのです。デーヴァダッタの真似で、後の人々は簡単に宗派を作り、仏教を壊してしまったのです。解脱の道を閉ざしたのです。やがて、ブッダを、真理を発見した先駆者、偉大なる師匠として認めることも捨て、存在もしない架空の人物を信仰する、「仏教」と名乗る宗教まで現れたのです。
誰とも付き合うべきだ、誰とも仲良くするべきだと、世間では簡単に言っています。それは無責任な言葉です。人とは、何か目的があってこそ他人と付き合うのです。家族・親戚関係とは違うのです。人がわざわざ自分と仲良くしたがるのなら、まずその目的は何なのかと明らかにしてから交際するべきなのです。目的が悪くなく、互いのためになるものならば、仲良くするのです。罪を犯す目的、自分を罪に巻き込む目的、自分に様々な危害を与える目的で接するならば、断固として断るべきなのです。