No.115(2009年7月号)
ソーマダッタ物語
Somadatta jātaka(No.410)
これは、シャカムニブッダがコーサラ国の祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)におられた時のお話です。
ある歳をとった長老が、一人の子供を沙弥(しゃみ)として出家させました。長老は沙弥をとても可愛がり、沙弥も長老のお世話をしたり、親しく学んだりして楽しく出家生活を送っていました。ところが、その沙弥が、ある日突然病気になって、そのまままだ若くして死んでしまったのです。かの長老は沙弥の死をひどく悼んで、嘆き悲しみながらさまよい歩きました。
比丘たちは法話堂でそのことについて語り合い、「友よ、あの長老は、沙弥が死んだことを嘆き悲しむあまり、死に対する正念を失っているようだ」と話しをしていると、お釈迦さまが来られ、皆の話題をお訊きになったので比丘たちがお応えすると、「あの老比丘は、過去にも、かの沙弥をなくして嘆き悲しんだことがあった」と言われ、皆に請われるままに過去の話をされました。
昔々、バーラーナシーでブラフマダッタ王が国を治めていた頃、菩薩は帝釈天でした。その当時、カーシー国のとある街に、裕福なバラモンが住んでいました。ある時、バラモンは、世俗世界の苦を観察し、欲を捨て、家族と多くの財産から離れて出家することにしました。彼は雪山に入り、木の根や木の実などを食べながら修行生活をはじめました。
ある日、木の実を捜して山を歩いていたバラモンの行者は、象の子供が迷子になってうろうろしているのに出会いました。行者は子象を自分の庵に連れて帰り、ソーマダッタという名前をつけて、わが子のように可愛がって育てました。ソーマダッタも行者になつき、すくすくと大きくなりました。
ところがソーマダッタの体が行者よりもだいぶ大きくなったある日のこと、森でたくさんの果物を食べたソーマダッタはお腹の調子が悪くなり、そのまま体調を崩して寝込んでしまったのです。行者はソーマダッタを草庵で寝かせ、懸命に看病しました。しかし、行者が食べるものを探しに森に行った留守中に、ソーマダッタは死んでしまったのです。森から戻ってきた行者は、「いつもはわが息子が私を迎えに来るのに、今日はあの子は来ない」と悲しんで、次の詩句を唱えました。
森のはるか彼方から
来る私を迎える
象が今は現れず
ソーマダッタよ、
どこにいる
庵に戻ると、ソーマダッタは歩く冥想のための場所の端っこで死んでいました。行者は泣きながら象の首を抱いて、次の詩句を唱えました。
摘み捨てられた若芽のように
彼はここに斃れている
地に横たわり倒れている
ああ、死せるかな、わが象は
その時、帝釈天は世界を観察し、「この行者は妻子を捨てて出家したのに、今は象の子供にわが子の想を抱き、象を失って嘆き悲しんでいる。彼を揺り動かして正気にしてやろう」と思い、天界から行者の庵の上に降りて空中に立ち、詩句を唱えました。
すべてを捨て
出家の身になりし沙門に
是は相応しからず
逝きし者を思い悩むことは
それを聞いた行者は、次の詩句を唱えました。
サッカ(帝釈天)よ、ともに暮らせば
人も獣も変わりなし
胸のなか、愛着は沸き燃ゆる
悼み嘆かずにいられない
帝釈天は彼を戒めて、次の詩句を唱えました。
死すべき者が
死者を悼み悲泣するとは?
仙人よ、悼むなかれ
嘆き悲しむは
無益なりと賢者は言う
バラモンよ、
慟哭によりて
死者が蘇生するならば
われら親戚みな集い
死者を思いて悲泣するがよい
帝釈天の詩句を聞いて嘆くことを離れ、立ち直った行者は、涙をぬぐい去って次の詩句を唱えました。
油注いだ火のごとく
燃えさかるわが嘆きに
水を注ぐようにして
わが憂いを消し去りぬ
こころを貫いていた
箭は抜き去られた
悲しみに沈んでいた
我が息子への愛着は消え去った
ワーサワ(帝釈天)よ、君に耳を傾けて
私の箭は抜かれた
悲哀なく、平静に至りて
いまは泣かず、悲しまず
そのように行者は帝釈天を賛嘆して感謝しました。帝釈天は、行者を立ち直らせて天界に戻りました。
お釈迦さまは、過去の話を終えられて、「この時のソーマダッタは亡くなった沙弥であり、森に住む行者は沙弥の死を嘆き悲しむ老比丘であり、帝釈天は私であった」と言われ、話を終えられました。
スマナサーラ長老のコメント
この物語の教訓
この物語には、明快な教訓が一つと、読み取れない教訓が一つ、あわせて二つの教訓があります。明快な教訓は、死者に対して嘆き悲しむのは無益である、ということです。愛着があるから、悲しむのです。悲しむなかれと単純に言っても、愛着という感情で泣くから、なかなか治らないのです。ですから、厳しく躾しなくてはいけないのです。愛する者が死んだことで嘆く人に向かって、「死すべき者が死者を悼み悲泣するとは」と言うのです。仏教は、悼むことをこのように分析します。「私は死ぬことがないのに、愛する者が可哀そうに死んでしまった」と嘆き悲しむのだ、と。ですから、悲しみが生じたということは、自分が不死であると言い張ることになるのです。
末期状態の二人が並んで横になっているとしましょう。二人とも自分に先がないことは自覚している。その場合は一人が先に息を引き取っても、それを見たもう一人の人は、「可哀そうだ」と悲しみに陥らないのです。「私も今日か明日あたりで、このようになるでしょう」と思うのです。「なんで私の知り合いが死んでしまったのでしょうか」と、泣き崩れることだけはないのです。ですから、「死すべき者が死者を悼み悲泣するとは」という表現は、悲しみを取り除くためのショックを与える厳しい言葉です。
さらに悼む人をからかうのです。「あなた方が泣き崩れると死者が蘇ってくるならば、それはとてもありがたいことです。それなら誰かが死んだら親戚・友人・知り合い皆そろって、大騒ぎして泣けばよいのではないでしょうか」と。そこで、死者に対して起こる悲しみは、自分が無知であることの証拠になるのです。
読み取れない教訓は何でしょうか? 現世物語の長老も、ジャータカ物語のバラモンも、出家していたのです。世間では、家族に対する愛着によってこころが汚れる、財産に対する愛着によってこころが汚れる、様々な関わりを持って生きることでこころが汚れる。ですから、清らかなこころを育てたいと思うならば、世間との一切の関わりを絶たなくてはならない。出家とは、その意味なのです。家とは、煩悩を引き起こす様々なことを指すのです。家族と財産は、その中でも重役を担っているから、家族を捨てて、財産を捨てて、出家するのだというのです。しかし正しく言うならば、愛着に値する俗世間との関わり一切を捨てて出家するのです。
出家する人々は、まず形の出家をし、修行に励んでこころの煩悩を捨てなくてはならないのです。こころに煩悩が残っていると、不注意になった時点でたいへんな落とし穴に落ちてしまうのです。危険だと思って避けたものの中に、ちょっとした不注意で再び飛び込んでしまうのです。
家族を捨てて出家した長老は、自分のところに弟子入りした沙弥に対して「我が息子」という愛着を作ってしまったのです。在家の精神に逆戻りしたのです。この状況を、ジャータカ物語はもっと分かりやすく言うのです。財産も家族も捨てて、森の中で木の実や根を食べて生活することになったバラモンが、獣である象に対して、「我が息子」という愛着を作ってしまったのです。情が移るのは人間同士なら避けられない、と言っている場合ではないのです。相手が獣であっても、情が移ってしまうのです。ですから、自分が地雷を発見して踏まずに避けることができたと調子に乗ったところで、また別な地雷を踏むことがあるのです。出家はそれに気をつけるべきなのです。