ジャータカ物語

No.85(2007年1月号)

一四の裁決物語➀

Gāmaṇicaṇḍa jātaka(No.257) 

アルボムッレ・スマナサーラ長老

これは、お釈迦さまがコーサラ国の祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)におられた時に、智慧について語られたお話です。

昔々、バーラーナシーでジャナサンダ王が国を治めていた頃、菩薩(ぼさつ)は、王の第一王妃のお胎(なか)に入りました。皇太子として誕生した菩薩は、よく磨かれた黄金の鏡のように神々しく清らかな顔立ちで、アーダーサムカ・クマーラ(鏡王子)と名づけられました。

父王は、息子が七才になるまでに三つのヴェーダを完全に学ばせ、他の修得すべきこともすべて教えました。そして、七才になったばかりの皇子を残して亡くなったのです。王のために七日間にわたって盛大な国葬が執り行われた後、大臣たちは今後のことを話し合いました。「皇子様は利発な方ではあるが、まだとてもお若い。いったいどうしたものだろう」「王になる力があるのか、ないのか、皇子様を試してみることにしよう」

大臣たちは正式に法廷を準備させ、菩薩である皇子に、「殿下、法廷にお出ましください」と告げました。菩薩は「よろしい」と、多くの者を従えて法廷の王座に着席しました。

大臣たちは、二本足で歩く猿に家相を観るバラモンの服を着せて、法廷に連れて来ました。そして、「殿下、この者は亡くなられた大王様に仕えた高名なバラモンです。家相を占い、地中七ラタナの深さにある悪所でさえ見分ける力を備えています。この城の位置を定めたのもこの男です。殿下もこの男を重用なさいませ」と進言しました。

皇子はその男をよく観察し、「これは人間ではなく、ただの猿だ」とわかりました。「猿というものは、造られたものを壊すことはできても、まだ造られていないものを造ったり、それについて考案することはできない」と知る皇子は、次の詩を唱えました。

彼は名工にあらず
ただのしわ面の強欲者にて
造られたものを皆壊す
そがこの種族の本性なるぞ

大臣たちは「殿下、仰せの通りでございます」と、猿を連れ去りました。

何日か経つと、大臣たちは、再び猿に立派な服を着せて法廷に連れて来て、「殿下、この者は大王様の代の法務大臣であり、司法の責任者でした。彼を、再度、法務大臣に任命なさるのがよろしいかと存じます」と進言しました。

皇子はその男を観察して猿であることを見抜き、「心ある者の毛はこのようではない。心ない猿が司法を司ることはできない」と知って、次の詩を唱えました。

心ある者は、彼のごとき体毛なし
猿は信憑(しんぴょう)者にあらず
かくのごとき者、無知なりと
ジャナサンダ王はわれに説く

大臣たちは、「殿下、仰せの通りでございます」と、猿を連れ去りました。

何日か経つと、大臣たちは、また猿に立派な服を着せて法廷に連れて来て、「殿下、この者は大王様の時代に善く母に仕え、父に仕え、年寄りを尊敬しました。この男を家臣として召し抱えられますように」と進言しました。

皇子は、また、この男は猿であることを見抜き、「猿というものは、心が変わりやすい。そのような善業をなすことはできない」と知って、次の詩を唱えました。

かかる者は、母や父
兄弟姉妹友人を
養うことは能(あた)わぬと
ダサラタ王に説かれたり

大臣たちは「殿下、仰せの通りでございます」と、猿を連れ去りました。

大臣たちは、「皇子様は賢者であられる。国を治めるにふさわしい方だ」と菩薩の実力を認め、「アーダサムカ王御即位の勅令だ」と、街中に慶事を知らせる銅鑼(どら)を響かせました。

国王となった菩薩は国中に善政を敷き、その名君ぶりはインド中に知れ渡りました。

菩薩が賢者であることの証(あかし)の一つとして、一四の難問が解かれた逸話があります。「牛、子供、馬、籠細工師、村長、娼婦、若き女、蛇、鹿、オウム、樹神、龍王、苦行者たち、若きバラモンたち」の一四の問題が、一気に解決されたのです。それは次のようなことでした。

新王が即位すると、先代のジャナサンダ王に仕えていたガーマニチャンダという従者は、「この王国は、若い王様と共に、若い人々によって栄えていくだろう。私は歳をとりすぎている。田舎に引っ込んで農業をしよう」と考えました。彼は、街から3ヨージャナほど離れた村に住むことにしました。

自分の農地を耕そうと思ったガーマニチャンダは、雨の日に友人から二頭の牛を借りて一日中土を耕し、牛に草を食べさせて休ませてから、牛を返しに行きました。ちょうど友人は妻と食事中でした。慣れている牛たちはサッサと自分で家の中に入って行きました。ガーマニチャンダは友人夫妻に邪魔をしたくないと思い、挨拶せずに自宅に戻りました。

ところがその夜、牛泥棒が牛を二頭とも盗んでいったのです。朝早く牛小屋に行った牛の持ち主は、牛が盗られたことを知り、「これをガーマニに償わせよう」と企みました。彼はガーマニチャンダを訪ね、「君、牛を返してくれないか」と言いました。「牛は、昨日君の家に連れて行った。彼らは勝手に家の中に入って行ったよ」「では君は、私にきちんと牛を手渡したのか」「いや、手渡してはいない」「そうだろう。これは汝(なんじ)への王の使いだ、さあ来い」。

当時、その国では、砂利かどくろの破片を振り上げて「これは汝への王の使いだ、さあ来い」と言うと相手を訴えることができるという決まりでした。ガーマニチャンダは仕方なく、裁判のために、友人と城に行くことになりました。

二人が城に行く途中、ある友人の住む村を通りかかったガーマニチャンダは、「君、私は腹が減った。近くの友人のところで食事をしてくるから待っていてくれ」と言って、友人の家に行きました。友人は留守でしたが、友人の妻は、「ガーマニさん、すぐに何か作りますから待っていてくださいな」と食事を作ろうとしました。ところが、妊娠中であった彼女は、米倉へのハシゴを登ろうとして転倒し、七ヶ月目の胎児を流産してしまったのです。家に戻った友人は激怒し、「君は私の妻を流産させた。これは汝への王の使いだ、さあ来い」と、彼を訴えることにしました。二人の男は、ガーマニチャンダを間にはさんで、城に向かうことになりました。

ある村の門で、一人の馬丁が馬を杭(くい)にかけ損ね、馬が逃げ出しました。馬丁は、ガーマニチャンダの方に馬が逃げるのを見て、「ガーマニおじさん、その馬を何かで打って留めてください」と叫びました。ガーマニチャンダが石を投げると馬の足に当たり、馬の足は蘭(ラン)の茎のように折れてしまいました。馬丁は、「あなたは馬の足を折った。これは汝への王の使いだ、さあ来い」と、彼を訴えることにしました。

ガーマニチャンダは三人の男に訴えられることになりました。歩きながらガーマニチャンダは、「私には牛を賠償するお金もない。まして胎児や馬の賠償などできるわけがない。私は死んだ方がマシだ」と思いました。道中の森で崖を見たガーマニチャンダは、「友よ、私は用を足したくなった。ちょっと待っていてくれ」と言って崖に近づくと、下に飛び降りました。ところが崖の下では籠(かご)細工師の親子が籠を編んでいたのです。ガーマニチャンダは運悪く籠細工師の父の上に落ち、父親は死んで、ガーマニチャンダは助かりました。籠細工師の息子は怒り狂い、「父を殺した悪党め、これは汝への王の使いだ、さあ来い」と言って、ガーマニチャンダを訴えることにしました。一行は、五人でお城に向かうことになりました。(次号につづく)

スマナサーラ長老のコメント

この物語の教訓

仏教は智慧の宗教です。人間の財産の中で智慧に勝るものはありません。

智慧というのは、お祈りする者に神様や仏様が与えてくれるお恵みではありません。また、呪文や祈祷などの行を行うと突然頭の中に出現するものでもありません。智慧というのは、一人一人が丁寧に育て上げて完成するものです。世の中のほとんどの人々は、祈り・呪文・祈祷・儀式・儀礼・行などに頼って、この世の幸福を願うのです。健康と長寿を願うのです。家内安全、商売繁盛などを願うのです。しかし、皆の祈りが平等に利いたためしはないのです。

学業成就も祈願はする。正直な話、皆が適切に努力すれば、決して必死の願いは叶わないわけではありません。精進努力が嫌なら、お祈り呪文などは助け船になるでしょう。

しかし、仏陀の教えは、精進努力を徹底的に謳う世界です。人間は本来「怠け」というガンに冒されているのです。そのガンを残りなく取り除かない限りは、幸福になることは無理なのです。気持ちが落ち着く程度に好みの祈りや呪文を唱えても構わないが、落ち着いてから精進努力しないと何も得られないことを、よく理解した方が良いのです。

智慧というのは、皆に平等に育て上げることができるものです。妄想、観念、主観などを極力控えて、具体的に、また、合理的に物事を考える習慣を身につけることで、智慧が徐々に芽生えて成長するのです。これは言い換えれば、理性的な生き方だと言えます。智慧がある人は、その気になれば、どんな願いごとも叶えることができるのです。

しかし、智慧がある人は、余計などうでも良い役に立たない無意味な願いなどは、思うことさえもしないのです。だからなおさら智慧のある人の願いは、100%叶うものだと言えるのです。今月から続くジャータカは、智慧を賞賛する物語です。